タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero


B

bacán (バカーン)

 最古のルンファルド文献では「女性の面倒をみている男」と定義されている。このことばが、一般に使われるようになると、女性の存在は抜きにして、単に「お金持ちの男」あるいは「金持ちぶった男」を意味するようになった。今日でも「金持ち」の意味で使われる。「高価な上等の服を着た」というニュアンスが含まれていることが多い。
 また、人間でないものに、「上等な」という形容詞として使われることもある。人に対して使われる場合も、物に対した場合も、皮肉っぽいときも、純粋にほめことばのときもある。
 語源は、イタリアのジェノヴァ方言「バッカン」で、「主人、パトロン、家長、貨物船の船長」などの意味だった。

En la puerta de un boliche
un bacán encurdelado
recordando su pasado
que una mina lo amuró . . .

とある酒場の戸口で
ひとりの情夫が酔っ払って
過ぎた日々のことを思い出していた
――ある女が彼を置き去りにし……

――タンゴ «Ivette»(イベッテ)1914年ごろ 作詞:Pascual Contursi
 この歌詞の「バカーン」には金持ちのところはまったくなく、彼女に食べさせるために盗みを働き、牢屋にも入ったそうです。だから捨てられちゃったんでしょう。
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌(1920年録音)。 ここをクリック


Que el bacán que te acamala
tenga pesos duraderos . . .

おまえを囲いものにしている金持ち男
お金が長つづきしますように……

――タンゴ «Mano a mano»(マノ・ア・マノ=五分五分)1923年初録音 作詞:Celedonio Esteban Flores
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


bacana (バカーナ)

 金持ちの女性、あるいは、ぜいたくな身なりの女性。上記の「バカーン」に囲われている女性を、こう呼ぶこともあったらしいが、タンゴの歌詞には、その用例はない。女性やものにたいして、「上等な、ぜいたくな」という形容詞にも使われる。

ブラジルの俗語では、「バカーナ」は、「最高にすばらしいもの」の意味で、
乱用と思われるくらい、よく使います。やはりジェノヴァ方言が語源だそうです。


Tu presencia de bacana
puso calor en mi nido . . .

おまえの豪華な女の姿がそこにあるというだけで
おれの巣にはあたたかい空気ができた……

――タンゴ «Mano a mano»(マノ・ア・マノ=五分五分)1923年 作詞:Celedonio Esteban Flores
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


Trajeada de bacana bailas con corte
y por raro snobismo tomás prissé . . .”

金持ち女ならではのドレスに身を包み あんたは場末風の荒っぽいタンゴを踊る
そして なんとも珍しい通人気取り、コカインをひとつまみ お鼻でかぐ……

――タンゴ «Che, papusa, oí»(チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


bachicha (バチーチャ)

 イタリア移民。ジェノヴァ方言で、よくある名前 Bautista (バウティースタ) の愛称が Baciccia (バチッチャ)。ジェノヴァ出身でない人も、この名前でない人も、イタリア出身者をバチーチャと呼んだ。
 参考 ⇒ criollo, gallego, ruso, tano, turco.

Bautista はイタリア語で (スペイン語でも) 「洗礼をさずける人」 という意味です。名前に使うときは、この1語だけのことはなく、
Giovanni Bautista 、スペイン語なら Juan Bautista (フワン・バウティースタ) つまり「洗礼者ヨハネ」という2語で正式名になります。


bagayo (バガージョ)

 イタリア語およびその方言で、類似のことばは「荷物、手荷物、スーツケース」といった意味。ルンファルドでは「(重かったり、かさばったりして)やっかいな荷物」「(チームに迷惑になるような)ヘタなサッカー選手」「(いっしょに仕事などするとき邪魔になる)ぶきっちょな人」などに使われる。最後の使いかたは、日本語で「あの人は他人の足を引っ張る、お荷物だ」というのに類似している。

「顔がみっともない女性」の意味にも使われていたが、そんなことばを使う人の品性のみにくさが丸見えだ。
もちろん、この意味ではタンゴの歌詞で使われることはない。


bajo (バーホ)

 ふつうのスペイン語では「低い」という意味だが、楽器の「ベース」のこと。“contrabajo” (コントラバーホ) の省略形で、コントラバス(ウッドベース)にもエレキ・ベースにも使う。伝統的タンゴには関係ない(?)が、エレキ・ベースの場合は、このことばが正式で、他の呼び名はない。


Bajo (バホ)

 定冠詞をつけて “El Bajo” (エル バーホ) と呼ぶのが正しい。ブエノスアイレスの地域名(行政上の公式名称ではない)。市の東端の、ラプラタ河に沿った地帯を指し、河に近いから「低いところ」と呼ばれた(実際に都心よりも海抜が低い)。Paseo Colón (パセーオ コローン) と、その延長である Leandro N. Alem (レアーンドロ アレーン) の両大通りに沿った、細長い、かなり大きな地域で、その東側は埠頭など港の設備がある。
 1950年代からの不景気によるキャバレーやナイトクラブの閉店、その後の都市再開発で、一部は大変貌してしまったが、かつては、高級でないキャバレー(もちろんタンゴ楽団が出演)、バーレスクやストリップ・ショーの劇場、流しの歌い手・音楽家や娼婦が出入りする小さなカフェやバー、船員や行商人などのための安旅館や下宿、怪しいホテルなどが密集する(といっては誇張ですが)、夜は危険な魅力がいっぱいの、活気のある地域だった。


Balvanera (バルバネーラ)

 ブエノスアイレス市の中心部のすぐ西に広がる地区の名前。1970年代になって、正式な行政区分の地区名になったが、その前は、より小さな区域名(非公式?な名前も含んで)で呼ばれていたように思われる(あとで時間があったら、よく調べてみます。すみません)。国会議事堂、いまはショッピング・センターに再開発されたアバスト市場、ユダヤ人系の衣類商店街だった「オンセ」地域などを含む。商業などの中核的な地区なので、時とともに変化が激しく(ことに今日は)、地区の特徴を挙げることはむずかしくなってしまった。
 1831年に、バルバネーラ(スペインの地名)のマリア様をまつった教会が建てられ、1933年からバルバネーラ教区という名前の地域になった。そのころはブエノスアイレス市外と見なされていて、住んでいる人もたいへん少なかった。当時は、教会のふたつの塔が遠くからも見えた。この教会の敷地内の中庭、木の植えられた庭園は、政治的な信条・主張ゆえの決闘の名所だったという。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、この地域の東寄りには娼婦の館が集まった地域があり、詩人ボルヘスは、タンゴのダンスがエロティックになったのは、ここが発祥の地だと唱えている。


Sobre la huerta y el patio
las torres de Balvanera
y aquella muerte casual
en una esquina cualquiera.

No veo los rasgos. Veo,
bajo el farol amarillo,
el choque de hombres o sombras
y esa víbora, el cuchillo.

果樹園と中庭の上に
バルバネーラの塔たち、
そして かの たまたまそうなった「死」、
どこにでもある とある街角で。
 
わたしには はっきりした形は見えない。わたしに見えるのは
黄色い街灯の下で
男たちだか、影たちだかが、ぶつかっていること、
そしてあの毒蛇であるナイフ。

――詩 «Milonga de Jacinto Chiclana» (ハシント・チクラーナのミロンガ)より。作詞:Jorge Luis Borges
詩人ボルヘス自身が、この詩を読んでいる録音が、YouTubeで聴けます。ここをクリック


bandola (バンドーラ)

 楽器バンドネオンの異名のひとつ。それほど一般的なことばではないが、語感が良いので、詩人などがよく使う。
 なお、スペイン・ラテンアメリカの各地に同じ名前の、ギター・マンドリン系の楽器があり、民俗音楽の合奏に使われる。


baqueano (バケアーノ)

 元来はガウチョのことばで、なにかについて経験ゆたかで熟練している人、巧みな技術をもっている人を指す。いちばんよく使われるのは、地理を熟知していて、これといって目印もない大草原を道案内できる人のこと。たくさんの牛の群れを移動させたる旅や、あるいは先住民との戦争(19世紀末)で兵士たちを迷わず行進させていく、いつも馬に乗ったガイド役の人――位は高くなく、一匹狼のような人が多かったようだ。都会での、ちょっとふざけた使いかたでは、だれも知らない隠れた酒場に案内してくれる人や、観光ガイドのこともこう呼ぶ。


Barquina (バルキーナ)

 ジャーナリストだが、なんの仕事をしたかよくわからない、1930〜40年代の夜のブエノスアイレスの有名人 フランシスコ・ロイヤーコノ Francisco Antonio Loiácono の、みずから名乗った通称・愛称。巨大な体をゆすってあるくさまを、だれかに “barquinazo” (デカいボロ船) とからかわれたのが気に入って、そのことばをちぢめて通称にしたそうな。1910年生まれ。有名紙《クリーティカ Crítica 》新聞社のエレベーター・ボーイとしてジャーナリズムの世界(笑)に入り、人間がおもしろいので人気者になり、社主 ボターナ に認められて記者に採用される。歌手 カルロス・ガルデール Carlos Gardel とも親交があった。40年代にはバンドネオン奏者・楽団リーダー、アニーバル・トロイロ Aníbal Troilo の熱烈ファン・グループの最先端に立ち、「毎日」欠かさず彼の出演場所に待ち受けて、やってきたトロイロのバンドネオンを楽屋まで運び、次の出演場所への移動にも、途中でバーに行くときも、最後の出演を終えて自宅に帰る車に乗るまで、バンドネオンを運んだ。ほとんどの人は彼の職業は「トロイロのバンドネオン持ち」だと思っていた。もちろん! 報酬はまったくもらっていない。
 タンゴの歌詞も少しつくり、ギタリストの フワン・ホセ・リベロール(ガルデールの伴奏者だったギタリストの息子) Juan José Riverol が作曲した。つたない歌詞だけれど、バンドネオンを持ってくれる飲み友達への感謝のあらわれか(?)、トロイロ楽団が録音してくれた。なかでは、競馬の専門用語をいろいろ入れたタンゴ『N.P. (No Placé)』 がいちばん知られている。


Mirando tu performance
del hipódromo platense,
nunca al marcador llegaste.
Siempre fuiste “No Placé”.

ラプラタの競馬場の
おまえ(馬)の成績表を見るにつけ
おまえは一度もマークされたことがない。
いつも「入着の見込みなし」だった。

――タンゴ «N.P. (No Placé)»(入着の見込みなし)1950年 作詞:Francisco Loiácono
*ラウール・ベローン Raúl Berón 歌 (アニーバル・トロイロ楽団)。ここをクリック


barra (バーラ)

 いつも連れ立って歩く仲間、街角のグループ。酒場でいつもいっしょになる顔ぶれ、ステージの真ん前にいつも陣取っているファンの一統など。スペイン語本来の意味は、形にはめて固めた棒状のもののことで、たとえば金の延べ棒、チョコレート・バーなど。酒場のカウンター(立ち飲みの場所)もこう呼ぶ。


Media noche, ya ninguno,
se ve de la barra mía,
para darte una alegría
o el flechazo de un dolor.
Si parece que hasta saben
que además de la cerveza,
me encurdela la tristeza
de un amargo sinsabor.

Y si no vienen,
nada me importa,
lo mismo me sé encontrar,
que los amigos,
como los jueces,
han nacido pa' fallar.
Porque esta pena que encurdo
y engarzan dos ojos negros,
me han clavao uno de ellos
como un puñal al besar.

真夜中――もうだれも わたしの
いつもいっしょに飲んでいる顔ぶれはいない。
彼らがいれば、あんたを楽しくしてくれるか、
痛みの矢で射てくれるかもしれないのに。
だって まるで彼らは知っているみたいだ、
ビールのほかに わたしを酔わせているのは
にがい失意の悲しみなのだと。
 
それで、もし彼らが来なくたって
わたしはどうでもいい。
ひとりでいたって平気だ。
友だちなんてものは 裁判官とおんなじで
ファジャール(判決を下す & 人を裏切る)ために
生まれてきたのだ。
わたしを酔わせているこの悩みは
とあるふたつの眼に鎖でつながっている。
その眼のひとつが わたしに悩みを刺した、
ナイフのように、キスしたときに。

――タンゴ «Media noche»(真夜中)1928年 作詞:Eduardo Escaris Méndez
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


Ba-Ta-Clan / Bataclán (バタクラーン)

 1855年に、フランスのパリで、オッフェンバッハ Jacques Offenbach 作曲のオペレッタ『バ=タ=クラーン』が上演され話題になった。中国語を話す架空の国を舞台にした、おかしなオペレッタだったらしい。このオペレッタの評判に便乗して、1864年に、パリに《バ=タ=クラーン》という名前で、怪しげな中国風の、しかしなかなか立派な建物ができた、1階にはオペレッタやレビューを上演する劇場とカフェがあり、2階は大きなダンスホールという、エンターテインメント・センターである。
 このパリの演芸場《バタクラーン》のレビューは1920年代初めに、まずスペイン公演、次いで南アメリカ公演(1922年にブエノスアイレスのオペラ劇場で公演したのが最初)で大反響を巻き起こした。とくに、コーラス・ガールたちが、肉色のタイツをはくことなく、素肌のももや脚を全部出して(スカートは、とても短かった)踊るのが、大センセーションだった。すぐに、ブエノスアイレスやモンテビデオ、メキシコ・シティなどでは国産の「バタクラーン」スタイルのショー・レビューが、たくさんつくられるようになった。バタクラーン ということばは、レビューやキャバレーのショーの代名詞になった。

《バタクラーン》 のラテンアメリカ(ブラジルも含む)公演は各地で大成功だったはずですが、
フランス側の資料では、経済的には大赤字を出したとのこと。不可解な話ですが……。
パリの 《バタクラーン》 は経営難から、1932年に映画館になってしまいました。
その後いろいろありましたが、現在は昔の姿に修復・改築されて、エンターテインメントを提供しつづけているようです。
ラテンアメリカに 《バタクラーン》 を連れてきたフランス女性、マダム・ラシミ Madame Berthe Rassimi は、ラテンアメリカのアーティストをパリに紹介したりした、
大物プロモーターとして、ラテンアメリカ側の芸能史では特筆されていますが、
フランス側の資料では、どこにも名前を見つけることができませんでした。


bataclana (バタクラーナ)

 上記のことばから生まれた、当時の新語で、レビューやキャバレーのショーの踊り子、コーラス・ガール。やがて、歌や踊りはろくにできないが、裸の脚を見せるアーティストというニュアンスをもって使われた。「最下級の娼婦」という意味に使われたと記したアルゼンチンの人がいるらしいが、たとえそんなことがあったとしても、それはごく一部のバカな人たちが意味もわからず言ったのだろう。バタクラーナ は踊り子――B・C級でも、とにかくアーティストである。

Tenés más pretensiones que bataclana,
que hubiera hecho suceso con un gotán.

きみはショー・ガールよりも もっと スターになりたい気持ちをもっている
キャバレーでタンゴでも踊れば大成功していただろうに!

――タンゴ «Garufa»(ガルーファ)1928年 作詞:Roberto Fontaina - Víctor Soliño
*アルベルト・ビーラ Alberto Vila 歌。ここをクリック


batir (バティール)

 言う、しゃべる。本来は犯罪者の隠語で、「(自分の犯罪を)白状する」「(他人の悪事を)密告する」という意味に限定して使われていたが、一般化して、意味は軽くなり、広くなり、ふつうに語ったり話したりすることを、このことばで表すようになった。
 多くの場合(いつもではない)「ほんとうのことを話す」というニュアンスは残っているようだ。
 ふつうのスペイン語では「打つ」が原意で、「(泡だて器やミキサーなどで)かきまぜる」など広い使いみちがあることば。


---¿Adónde fuiste, che? Batime.

どこへ行ってたんだ? おい、おれには白状しろよ。


batir el record (バティール エッレコール)

 ⇒ record


bayo (バジョ)

 ふつうのスペイン語だが、馬文化の高いアルゼンチン=ウルグアイでは大事なことば。薄いオレンジ色の馬をいう。黄色に近いものや白っぽいものなど、さまざまの種類がある。


bien frappé (ビエンフラペー または ビヤンフラペー)

 シャンパン、白ワイン、カクテルなどを「よく冷えた」というときに使うことば。フランス語をそのまま流用。本来は、「粉々に砕いた氷をまぜて冷やした」という意味だと思うが、グラスやボトルの外側から氷を当てて冷やしても、こう呼ぶ。

Che, madam, que parlas en francés
y tirás ventolina a dos manos,
que escabiás copetín bien frappé
y tenés el yigoló bien bacán . . .

もしもし マダム、あなたはフランス語をしゃべり
両手でお金をばらまく
キリキリに冷えたグラスをあおり
まったくご立派な色男をお持ちだ……

――タンゴ «Muñeca brava»(おそろしいお人形さん)1928年 作詞:Enrique Cadícamo 改編:¿Carlos Gardel?
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


bifacho (ビファーチョ)

 すごくうまいビーフステーキ、でっかいビーフステーキ。


bife (ビーフェ)

 ビーフステーキ。英語 “beef” (ビーフ=牛肉) のポルトガル語化した形が、たぶんブラジル経由で伝わったことば。
 でかい手のたとえに使ったことから転じて、「平手打ち」(手のひらで相手の顔を叩く)の意味でも、一般に広く使われている。


bife a caballo (ビーフェ ア カバージョ)

 ビーフステーキの上に、目玉焼き(卵ふたつ)を乗せたもの。逐語訳すれば「馬に乗ったビーフステーキ」――卵のほうが、ステーキに乗っているのだが……。


bife de chorizo (ビーフェ デ チョリーソ)

 サーロイン・ステーキ。英語でトップ・ロインなどの言いかたもあるらしい。もっとも多くの人が好む、もっとも愛されている部分のビーフステーキだと思う。より小さいので値段が高いヒレの部分のステーキより、うまみが濃いと好まれている。参照 ⇒ chorizo (2)


bife de lomo (ビーフェ デ ローモ)

 ヒレ・ステーキ。いちばんやわらかい部分を厚くカットした(3センチ前後)ビーフステーキ。フランス語で、フィレ・ミニョンと呼ぶカットに近いが、アルゼンチン=ウルグアイ独自の切りかたである。


biyuya (ビジュージャ)

 お金。“viyuya” とも書く。イタリアの方言から来ているともいうが、語源不明とするのが正しいと思う(わたしのような外国人が「正しい」なんて言っては僭越ですが)。


bocha / bochas (ボチャ/ボチャス)

 古代ギリシア発祥という、地中海文化圏(?)のゲームで、アルゼンチン=ウルグアイにはイタリア移民がもってきて、そこからブラジルにも伝えられた。イタリアでの呼び名は boccia (ボッチャ。本来は瓶(びん)のこと)――南フランス、プロヴァンス地方のペタングと同じもの。機械を用いるボーリング・ゲームの原点である。
 大人の手にようやく乗るくらいの球(木、金属、大理石などで作る)を、ある距離から投げて、より小さい球に、より大きい球をどれだけ近づけて停めるかというのを競うのが原理。ブエノスアイレスでは、場末の道端の空き地や公園で、昼下がりに、定年になって時間をもてあましているおじさんたちが、のんびりと、でも真剣に、球を投げ転がしているというのが、典型的なイメージだ。このゲーム専用のスペースを cancha de bocha と呼ぶ。
 細かいルールには違いがあるだろうが、現在はパラリンピックの1種目になっていると思う、イタリア語を正式名にして。


bohemio (ボエーミオ)

 ボヘミアン。タンゴの世界のボヘミアンは、ふつうに働く気はなく、したがって定収入はなく、たとえなにかの仕事でお金をかせいでも、知らないうちに使ってしまって、つねに貧乏な人で、政治・経済には無縁で、芸術・文化とは結びつきがある。多くの場合、酒場のカウンターにもたれかかっていて、服やシャツにワインの匂いがしみついている感じ。

有名なタンゴ『ボヘミアン魂 Alma de bohemio 』の主人公は詩人で、スペイン歌劇の登場人物に近く、
19世紀フランスの小説に出てくるようなヨーロッパのボヘミアン風です。彼らの多くは貴族とかお金持ちの家柄から
ドロップアウトした若者で、ぜいたくな社交界で泳いでいます。
ルンファルドでいう「ボエーミオ」は街角の人間です。


boliche (ボリーチェ)

 元来はスペインの犯罪社会の隠語で「(不法な)ばくち・ギャンブルをする場所」を指していた(語源はカローかもしれない)。アルゼンチン=ウルグアイでは、まだルンファルドが生まれるずっと前のガウチョのことばで「酒と食料品を売っている小さな店」を指すようになった。立ち飲みのスペースがあるかないかというくらい小さい店の呼び名(より大きなものはプルペリーアと呼ばれた)。ルンファルドでは意味が少し変わって「ちっぽけな食堂」「ちっぽけな飲み屋」を指す。
 タンゴ社会(?)の人は、人をバカにしたり、からかう言葉づかいが好きなので、高級レストランや喫茶店も、飲食店はなんでも「ボリーチェ」と呼ぶことも少なくない。今日も、非常に多用されていることばである。


boludo (ボルード)

 タンゴの歌詞には絶対に出てこないことばだけれど、あまりにも多用されることばなので、ここに掲載する(ごめんなさい!)。
 他人をののしったり、さげすんだりするとき、および自分に腹を立てたときの「バカ!」という意味。女性に対しては boluda (ボルーダ) という。
 説明は省略するが品のない語源なので(たいしたことじゃないんですが)、ふつうの文章や公開のお話では使ってはいけない。ただし日常の会話では、老若男女、階級の区別なく、国民の過半数の人々が、ときには1日に10数回も使うだろうことば。


bombacha (ボンバーチャ)

 ガウチョの独特のズボン。幅広でダブダブ、裾(すそ)は開かず、くるぶしのところでしっかり足に止めてある。日本女性の「もんぺ」と呼んでいたものに似ている。腰まわりは、幅広の革ベルトを締める。


bombachita (ボンバチータ)

 「小さなボンバーチャ」ということだが、女性のズロース型の下着。親密な会話の中での、ユーモラスな呼び名。タンゴの歌詞には出てこないでしょうね。


bombilla (ボンビージャ)

 マテ茶を飲む(すする)ための金属のストロー。ふつうはブリキ、高級品は銀製の、細い筒で、片端は吸い口になっている。もう片端は小さな球状で、いくつも穴が開けてあり、それをマテ器に突っ込んで吸うと、葉は入ってこずマテ茶がのめる。
 ちっちゃなボンバ(ポンプ、水汲み機)といった意味から来ていることば。


bonaerense (ボナエレンセ)

 アルゼンチンの「ブエノスアイレス州の(人、物事)」。首都ブエノスアイレスと、その都市圏は含まない。
 参照 ⇒ porteño


bordón / bordona (ボルドン/ボルドーナ)

 スペイン語地域全体で使われる、ギターに関する専門用語で、「低音部の弦」のこと。アルゼンチン〜ウルグアイでは、bordón ということばのほうが、多く使われる。
 ギターには6本の弦が張られるが、その、より高い音の3本をまとめて複数形で “las primas” (ラス・ピリーマス)、低い音の3弦を “los bordones” (ロス・ボルドーネス) と呼ぶ。現在ではふつう、高音3弦はナイロン製、低音3弦はナイロン糸に金属線を巻きつけてある。
 この辞典の範囲を脱した新しい曲だが、ヴァイオリン・バンドネオン奏者で編曲指揮者の エミーリオ・バルカールセ Emilio Balcarce (1918 - 2011) 作曲のタンゴ “La bordona” (ラ・ボルドーナ) は、ギターの低音弦の重く悲しい気分に象徴される大草原のフォルクローレ的なメロディと、リズムの強いタンゴ・ダンスの音楽を対比させている。「低音弦」とは、イメージ的なタイトルで、音楽は直接にギターに結びついているわけでもない。アニーバル・アリアス Aníbal Arias (1922 - 2010) が、この曲のエッセンスを、ほんとうにギターのひびきに生かした編曲・演奏をしている。


bordoneo (ボルドネーオ)

 ギターの低音弦が主役になって演奏する部分。歌などの演奏・間奏・伴奏のときもあれば、ソロも、こう呼ばれる。一般に、1小節に8つの(音の長さはすべて等分)音のメロディで、ぜんぶ右手親指だけで弾く。
 元来は、フォルクローレの用語といえるだろうが、1910年代初めに、このことばをタイトルに入れたタンゴがある。後年、ギターのないタンゴ楽団で演奏するためのミロンガでも、ボルドネーオのスタイルを取り入れた曲がたくさんある。
 新しい時代の曲、バンドネオン奏者 オスバルド・ルジェーロ Osvaldo Ruggiero (1922 - 94) 作曲の “Bordoneo y 900 (ボルドネーオ・イ・ノベシエントス) では、ピアノ低音部(と コントラバス)で、ギターのボルドネーオを模し、そこに1900年ごろのタンゴ・ダンスと大草原のメロディの気分を重ねている。


Borges (ボルヘス)

 ホルヘ・ルイース・ボルヘス Jorge Francisco Isidoro Luis Borges Acevedo (Buenos Aires 1898 - 1986 Genève, Suisse) は、アルゼンチンの詩人で文筆家(短編小説・評論エッセー)。さまざまの分野の、もっとも多量で詳細な知識をもっていた、20世紀の世界で最大の頭脳のひとりだと認められている。実在しない書物の目録を創作してしまったくらい本が好きだった。4才のときから読み書きができた。
 ブエノスアイレス市のパレルモ地区(上流階級も、貧しい移民たち・やくざものたちも住んでいた)、中庭と水くみ場のある邸宅に生まれた。クリオージョの、いい家柄の出身で、スペイン・アングロサクソン・ポルトガルの血が入っている。軍人の家系だったが父親は弁護士、家庭では日常的に英語とスペイン語が使われていた。
 1914〜21年、一家はヨーロッパ(スイスのジュネーヴやスペイン各地)に住んだ。この間、彼はフランス語を学び、ドイツ語を独学で習得した。
 21年に帰国したときから、ボルヘス(23才)は、ブエノスアイレスの街の魅力を「再発見」し、子どものころは実際に一部分を見聞していた、この街の場末の人物・風景を昇華した、架空の、超現実的なブエノスアイレスの場末を創造しはじめる。その世界は、19世紀と20世紀のごく初めの時代にあった(と思われる)ブエノスアイレスで、ガウチョとやくざものが混在し、事あるごとにナイフがきらめき、完全な男社会である。
 ……ボルヘスの作品と生涯は、この辞典の範囲をはるかに超えているので、タンゴに関することだけ記そう。まず彼は、先天的にメロディの識別ができない聴覚のもちぬし(いわゆる完全な音痴、フランスのドゴール大統領もそうだった)だったので、音楽を語ることはできない。すぐれた詩人なので、ひびきやリズムなどには、すばらしい感覚をもっていたはずだが……。「カルロス・ガルデールが、甘ったるい声でうたって、タンゴを殺してしまった」などという暴言を吐いている。
 ボルヘスはその生涯で、ほかにもずいぶん暴言を吐いた。でも「後世の人は、わたしの過失は忘れて、いいところだけ覚えていてほしい」と言っているらしいので、許してあげよう。ボルヘスのブエノスアイレスには「タンゴの歌」などというものは存在しないのだ。タンゴ・ファンが怒っても仕方がない。
 バンドネオン奏者・新しいタンゴ創造者 アストル・ピアソーラ Astor Piazzolla (1921 - 92) が、ボルヘスの文学に感動して、いくつかの詩に作曲している。また、ボルヘスの創った虚構のブエノスアイレスの街にも、現実のタンゴの魂・真髄が超現実的に反映していることはまちがいない。
 さらに、ルンファルド、というよりその発生以前のガウチョのことばなど、アルゼンチン独自の地方伝統をになっていることばに、適確なニュアンスをもって、詩的な生命を与えた天才である。


Me acuerdo. Fue en Balvanera,
en una noche lejana
que alguien dejó caer el nombre
de un tal Jacinto Chiclana.
 
Algo se dijo también
de una esquina y de un cuchillo;
los años nos dejan ver
el entrevero y el brillo.

わたしは覚えている。バルバネーラ区でのことだった、
とある遠い夜のこと、
だれかがその名前を落としていった、
ハシント・チクラーナとかいう男の名前。
 
そしてまた、なにかほかのことも言っていた、
とある街角のこと、1本のナイフのこと。
年月が わたしたちにかいま見せてくれるのは
あの決闘、あの刃の輝き。

――詩 «Milonga de Jacinto Chiclana» (ハシント・チクラーナのミロンガ)の始まりの部分。作:Jorge Luis Borges
*この曲を収録した楽譜アルバム “4 Canciones Porteñas” (Editorial Lagos) に載っている歌詞は重大な間違いを含んでいます。
下から2行めの nosno になってしまっています。これでは詩の意味がなくなってしまいます。
最初の歌手 エドムンド・リベーロ Edmundo Rivero は、さすがに正しくうたっていますが、ブエノスアイレス発音なので s の音は、空気音のように聞こえます
(詩を書いた本人、ボルヘスの朗読でもそうです)。
後の歌手たちは、みんな出版楽譜の歌詞でうたっていて、とても浅薄です。ここが違ったら、聴く価値はないですね。
この楽譜アルバムの歌詞には、もう1ヶ所(他の曲で)重大な間違いがあります。だれかが、安易な聴き取りでタイプしたのでしょう。
*この詩は、作者の言によれば、あるクラシック音楽家が作曲するというので、うたうために「作詞」したものらしいです。
しかし、歌曲にする話は立ち消えになって、詩集『6本の弦(=ギター)のために』に収録。後に、ピアソーラが作曲しました。
*同じ詩のべつの節が、 Balvanera の項にあります。
ボルヘス自身が、この詩を読んでいる録音が、YouTubeで聴けます。ここをクリック


Botafogo (ボタフォーゴ)

 アルゼンチンの伝説的なサラブレッドの競走馬 ボタフォーゴ (1914-22) 濃い栗毛の牡馬で、額の真ん中に白い星があった。これが、リオ(ブラジル)の名門サッカー・クラブの紋章――盾形の黒地の真ん中に白い星ひとつ――のようだったので、この名前が付けられたそうだ。無敗を誇ったが、1918年9月3日に、グレイ・フォックス Grey Fox に負けた。《ボタフォーゴ》を崇拝する(?)ファンの圧力に屈して、馬主は復讐戦(ボクシングなどでいうリターン・マッチ)をしなければならなくなった。《ボタフォーゴ》と《グレイ・フォックス》2頭だけの競争は、両馬の馬主だけの賭けとしておこなわれ、負けたほうが1万ペソ払い、それを慈善事業に寄付するということになった。9月17日、競馬場にファンがつめかけ一杯になったので午前10時に閉門。16時30分発走の100m競争で《ボタフォーゴ》が勝った。馬主は、その後はもう走らせるのをやめた。種牡馬となったが子どもたちは平凡な馬ばかりだった。ただし、母方に《ボタフォーゴ》の血が入った馬たちからは活躍するものが出て、その血筋は今日もつづいているそうだ。
 1936年に彼を讃える映画『民衆の馬 El caballo del pueblo 』がつくられた。脚本・監督・主題歌タンゴ作詞:マヌエール・ロメーロ Manuel Romero (1891- 1954)、音楽:アルベルト・ソイフェル Alberto Soifer (1907 - 77)


Botana (ボターナ)

 アルゼンチンの新聞王 ナターリオ・ボターナ Natalio Félix Botana (1888 - 1941)。国籍はウルグアイ。同国の地方の牧場主の一家に生まれた。家族は政治活動(保守派)でも知られていた。25才でブエノスアイレスに来て、《クリーティカ》紙を創刊。大衆の好むものを察知する、するどいカン・嗅覚にめぐまれた彼の新聞は、つねにセンセーショナルな話題を提供し、発行部数は最高、彼自身は大富豪になった。彼は文学や芸術の愛好家であり、別荘にはメキシコの画家 シケイロス David Alfaro Siqueiros が壁画を描いたそうだ。そのモデルは、シケイロスの妻でボターナの愛人と噂された女性だった。また、スペインの詩人 ガルシーア・ロルカ Federico García Lorca や、チリの詩人 ネルーダ Pablo Neruda は、その別荘に招かれ、歓楽の一夜(?)をすごしたとのこと。ボターナは、アルゼンチン北部フフーイ州で、自動車事故でこの世を去った。


breva (ベレーバ)

 貴重なもの、価値あるもの、美しい女性、きれいなもの。

スペインで、イチジクの最初にできた実をあらわすことばだったそうです。


Milonguerita linda, papusa y breva,
con ojos picarescos de pippermint,
de parla afranchutada, pinta maleva
y boca pecadora color carmín.

きれいなキャバレー娘、とっても美人、すてきな美女
いたずら小僧のような両目はペパーミント・リキュールの緑色、
フランス人っぽいおしゃべりで、やくざっぽくて粋なよそおい、
そして 真っ赤な色の 罪ぶかい口。

――タンゴ «Che, papusa, oí» (チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


bronca (ボロンカ)

 由緒正しいふつうのスペイン語らしいが、アルゼンチン=ウルグアイでは、他のどの地方よりもよく使われることば。意味は――敵意、反感、憎しみ、怒り、腹立ち、激しい言い争い、けんか……。ちょっとした言い合いでも、このことばを使うので、激しいニュアンスは薄れてきたようだ。


¡Qué bronca me da!

なんという怒りを わたしに与えることか!
=わたしは腹が立ちますよ!


Como con bronca y junando
de rabo de ojo a un costado,
sus pasos ha encaminado
derecho pa'l arrabal.
Lo lleva el presentimiento
de que, en aquel potrerito,
no existe ya el bulincito
que fue su único ideal.

まるで なにかに腹を立てているように、そして
横目で鋭く まわりに目を配りながら
彼は自分の足取りを向けてきた
まっすぐに、場末へと。
彼に足を運ばせているのは、あの予感
――あの小さな原っぱのところには
もう彼の住んでいた ちっぽけな部屋は存在しないだろうという予感、
そこは かつて彼の唯一の理想だった。

――タンゴ «El Ciruja»(エル・シルーハ)1926年 作詞:Francisco Alfredo Marino
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


Buenos Aires (ブエノサイレス)

 アルゼンチン共和国の州の名前であり、首都の名前。タンゴに関係あるのは、首都ブエノスアイレス市のほうなので、ここではそちらだけ紹介する。
 ブエノスアイレスの砦 (とりで) は、1536年に、大西洋からラプラタ河に入ってきた、スペインの貴族で探検家(いわゆる「征服者」)の ペドロ・デ・メンドーサ Pedro de Mendoza (1487 - 1537) がきづいた。地名ブエノス・アイレス(良い風)は、船乗りの守護聖母であるマリア様の呼び名のひとつにちなんだもの。しかし、先住民に攻撃されて(もともと彼らの土地なのだ)、1551年にスペイン人はすべて撤退した。(ただし、後世、1536年を公式にブエノスアイレス市創立の年とすることになった)
 1580年に、やはりスペイン人の フワン・デ・ガライ Juan de Garay (¿1528? - 83) が、ペルー、ボリビア、パラグアイでの植民地づくりを経て、パラナー河〜ラプラタ河を下ってやってきて、ここに町をつくることにした。この町が、現在のブエノスアイレス市に直接につながることになる。最初の住民は、パラグアイの首都アスンシオーン Asunción から報奨金をもらってやってきたスペイン人植民者76家族と、先住民グワラニー人200家族。このときは、ブエノスアイレスは、スペイン帝国のペルー副王領の辺境だったが、大西洋につながる港としての重要さが認識されるようになり、1776年には、スペイン帝国のラプラタ副王領 Virreinato de la Plata の首都になった。
 やがて、スペイン帝国の支配を脱して、1853年に、アルゼンチン連合国 Confederación Argentina の憲法で首都と決められた。ただし、ブエノスアイレス市と他の地方との確執は以前から根強く(今日でも敵対意識があるようだ)、地方派は「国から分離してほしい」と、首都であることを認めず、内戦にまでなった。1880年ごろ、ちょうどタンゴのダンスが生まれた時期から、ブエノスアイレスは国の行政の中心という地位をかちとったようだ。
 その後、スペインやイタリアほかヨーロッパからの移民で人口は増大し、1910年代には、ラテンアメリカ屈指の近代都市になっていた。
 参照 ⇒ porteño


buey (ブエイ)

 ふつうのスペイン語だが、牧畜文化の高いアルゼンチン=ウルグアイでは、たいへん重要なことば。去勢された牡牛(ふつう4歳以上)を指し、おもに運搬に使われる。労働者階級の牛である。人間を軽蔑して、このように呼ぶことがあるが、牛に対して失礼だと、わたしは思う。


bulín (ブリーン)

 日本語ではちゃんと訳せないので(他の言語にも訳せないだろう)簡単に「小部屋」ということにしてある――わたしも、いつもその訳語を当てています。日本でいうと「四畳半」の語感がぴったりだが、もちろんタタミはない。簡単なベッドと洋服戸棚と小さなテーブルと椅子1脚で ほとんどいっぱいになってしまうような部屋で、それが住居のすべてである(賃料を払って借りている)。アルゼンチン=ウルグアイではマテ茶はパンよりも不可欠のものなので、なにか湯をわかす器具はあるだろうが、キッチンと呼べるものはない。
 イタリア語の隠語でベッドを意味することばが語源だそうだ。寝るためだけの部屋ですかね? ただし、このことばが広く使われるようになると意味が広がって、実際の住まいとは別に 隠れ家として借りているようなアパートの部屋も「ブリーン」と愛着をもって呼ぶようになった。今日の日本のワンルーム・マンションの類である。
 参照 ⇒ garçonnière


El bulín de la calle de Ayacucho,
que en mis tiempos de rana alquilaba,
el bulín que la barra buscaba,
para caer por la noche a timbear.
El bulín donde tantos muchachos
en su racha de vida fulera
encontraron marroco y catrera,
rechiflado parece llorar...

アジャクーチョの通りの小部屋
わたしが、いっぱしの遊び人だったころ借りていたところ。
仲間たちが目指してきた小部屋、
夜にギャンブルするために。
小部屋――そこで、あんなに何人もの若者たちが、
貧乏人生の突風にやられたとき
食べるものと寝る所を見つけた
――そこは 今は変わり果てて、まるで泣いているみたいだ。

――タンゴ «El bulín de la calle Ayacucho» (アヤクーチョ通りの小部屋)1923年 作詞:Celedonio Esteban Flores
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
*ガルデールは、原作を2ヶ所変えてうたっています。詩の型がくずれてしまいましたが(字余りになった)、ふつうに聴いていたら気がつきません。
まず1行めでは de が余計です。彼自身がこの通りを、こう呼んでいたのでしょう(作者の言いかたのほうが普通なのに)。
そして4行目の最初は、作者が省略形 pa' と書いたのに、標準形に直しました。語りかた彼らしい語りかた――より表現効果が高まるフレージングを求めたからでしょう。
そもそもガルデールは、ぞんざいな日常のおしゃべり口調になるので、この省略形はきらっているみたいです(省略形にする必然性がある場合は別ですが)。


burro (ブーロ)

 競馬の馬。(スペイン語本来の意味は「ロバ」、俗語で「トンマな人」にも使われる) 同義語:pingo; tungo.


burros (ブーロス)

 上記のことばの複数形。競馬の馬たち。「競馬」そのもの、あるいは「競馬場」を指すことも多い。同義語:carrera

---Le gustan los burros.

「彼は競馬が好きだ」


buyón (ブジョーン)

 煮出したスープ(コンソメ)。意味を広げて「食事」の意味で使われる。毎日の食事・とにかくおなかに入れる最低限の食事、といったニュアンスを含んでいる。語源は、フランス語 “bouillon” (ブイヨン=煮えている液体の表面に浮かんでくる泡・あぶく ⇒ 煮汁) に、同じ意味のイタリア語 “buglione” (ブッリオーネ) が重なったものだろう。 参照 ⇒ puchero

ゴベッロさんの新しい辞書では、このことばの語源として、イタリアの
ジェノヴァ方言 “buggïo (ブッジオ=あぶく) を挙げています。以前はフランス語語源を採用していました。
ゴベッロさんのことばに対するアンテナの感度と正確さ、そして研究の深さはすごいので、
この語源もたぶん正しいでしょう(スペースがないので、彼は説明を省略していますが)。
なお、ある新しいことばが生まれ、定着するには、
複数の語源や、音の似たいくつかのことばからの連想などが重なっている場合が少なくありません。


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