タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero
cachet (カシェー、またはカチェー)
芸能界の特殊用語で(フランス語をそのまま使用)、アーティストの出演料のこと。最初は俳優について使われていたらしいが、歌手でもダンサーでも、舞台に立つアーティストには、だれにでも使われる。今日でも、またアルゼンチンとウルグアイ以外のスペイン語各国でも、時には正式な契約書にも、使われることばになっている。
口語では、より用途が広がって、「カシェーのある」アーティストといえば「ギャラが高い」という意味。さらに、人間や物に対して「格が高い」「クラスが上級」「モノがちがう」といったニュアンスで使われる。
---¡Qué cachet!” | 「いやー! モノがちがうね!」 |
. . .que en un auto camba, de sur a norte | 高級な自動車に乗って、南から北へ |
――タンゴ «Che, papusa, oí» (チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
cadenero (カデネーロ)
cadena (カデーナ=鎖) から派生したことばで、馬をつなげて重い荷馬車( chata など)を引っ張って行くとき、その先頭に立って進む馬をいう。鎖を引きずって行くということだろう。
タンゴ音楽家の専門用語では、楽団の1セクションを引っ張っていく強い牽引力を持ったメンバーを指す。第1ヴァイオリン奏者にもそういう人はいるが、タンゴではリズムの強さ(音の大きさとはまた違った次元)が重要なので、ふつう第1バンドネオン奏者に当てはめられることば――ソロの名手だというのとはまた違った、タンゴ音楽家に対する最高の形容といえる。一般のファンにはわからない、音楽家だけが感じとれる資質である。
第1バンドネオンには多かれ少なかれカデネーロの資質があるだろうが、史上最高のカデネーロは、オスバルド・プグリエーセ Osvaldo Pugliese (1905 - 95) 楽団を引っ張っていたバンドネオン奏者オスバルド・ルジェーロ Osvaldo Ruggiero (1922 - 94) だろうという人が多い。
café-concert (カフェー・コンセール)
アルゼンチン=ウルグアイだけでなく、世界的に、このフランス語のままで使われてきたことばで、20世紀初めに各地にできた業種の名称。きっとパリが発祥地なのだろう。手元の学習者用フランス語辞書(1988年)によると、昔のことばと断った上で、「飲食者たちが、歌手たちや音楽を聴くことができるカフェ」と定義してある。「コンセール」とは(英語読みコンサート)規模の大小にかかわらず音楽会のことだったが、ちょっと大げさすぎる命名かな? 「カフェ」は、ごぞんじのとおり、語源はコーヒーだけれども、日本語なら「酒場」とするのが正しい。先のフランス語の定義を、ちゃんと意味を汲んで訳せば「アルコールを飲みながら、歌や音楽が聴ける店」となるだろう。
1910年代には、キャバレー、あるいは安い料金で楽しめるレビュー劇場などが、カフェ・コンセールよりもだんぜん優勢なエンターテインメント業種になった。
タンゴに関しては、「カフェ・コンセール」という名称は一般的ではなかったようで、同じ業態だけれど、単に「カフェ café 」の名前で、ダンスなしでタンゴを聴ける場所として、長いあいだ愛されてきた。
*実際には、そういう場所の呼び名に「カフェ」と付くことはほとんどなく、店の固有の名前に定冠詞を付けて「エル・○○」と人々は呼んでいました。
café cortado (カフェー・コルタード)
⇒ cortado
caferata (カフェラータ)
cafiolo を人名みたいに変えてできたことばで、娼婦の客引き、ヒモ。
Cafferata (カッフェラータ)
ブエノスアイレス市の南部、現在のポンページャ Pompeya 区の北隣りで、西側のフローレス Flores 区に付属しているような パルケ・チャカブーコ Parque Chacabuco 区の、さらにその中の地域(行政上の正式な地名ではない。俗称のようなもの)。1920年代に、公務員など低所得者用の住宅街として開発された(地名は、このような住宅建設企画「安い家」プロジェクトの推進者であるイタリア系国会議員の名前)。一般に Caferata と表記され「カフェラータ」と発音されるが、ガルデールは、はっきり「カッフェラータ」とイタリア式に正しく発音している。この地域の住人は、そう発音され、書かれることを今日も望んでいるようだが、もはや「カフェラータ」という名前が定着している。
En el barrio Cafferata, |
カッフェラータ地域の |
――タンゴ «Ventanita de arrabal» (場末の小窓) 作詞:Pascual Contursi 1927年
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌:ここをクリック
この地域の住宅は、ぜんぶ新築で2階建ての1軒家(2所帯背中合わせのもあり)だったはずですが、
それ以前からの移民の共同住宅も残っていたのでしょうか?
この曲は『カッフェラータ』と題する、歌入り芝居の挿入歌でした。
cafishio (カフィーシオ)
canfinflero を、イタリアの方言に聞こえるように変化させてできたことばで、娼婦のヒモ。若くて色男で身なりが良く、女性をとりこにしてしまうというニュアンスをもっている。
cafiolo (カフィオーロ)
canfinflero を、イタリアの方言に聞こえるように変化させてできたことばで、娼婦のヒモ。若くて色男で身なりが良く、女性をとりこにしてしまうというニュアンスをもっている。
calavera (カラベーラ)
わたしは長いあいだ、このことばは ルンファルド だと思っていたが、そうではなく、ふつうのスペイン語だった。道理で、ルンファルド辞典にのっていなかった。
いま、ふつうのスペイン語辞書を見てみたら、不規則な人生をおくっている男、判断力のない男、一般から見て不道徳なよろこびを求めている男、悪い習慣(ふつう酒、女、ばくち)をもっている男……といった定義がされている。要するに「遊び人」である。本来の意味は、しゃれこうべ(頭蓋骨)で、頭の形はあるが脳みそがないということだろう。
なお、少なくとも1910年代くらいまでは、職業的犯罪者たちは、自分たちは「カラベーラ」だと称していたらしい(まさか、「わたしたちは、どろぼうです」とは言わない)。この場合は、本来の意味の「ルンファルド」(=盗人)と同義語で、実態を隠して美化した(?)呼び名といえる。
¡Cómo se pianta la vida | なんと逃げ足が速いことだろう |
――タンゴ ¡Cómo se pianta la vida! (人生は逃げてゆく)1929年 作詞:Carlos Viván
*アスセーナ・マイサーニ Azucena Maizani 歌。ここをクリック
calle (カージェ)
ふつうのスペイン語で、「通り、(人間が住んでいる地域の)道」。アルゼンチン=ウルグアイでは、市町村の家・建物の所在地(住所)は、その家の入り口が面している通りと、そこに付けられた番号の数字であらわされる。番号は、通りの始まるところから順番に付けられ、道の片側は奇数、反対側は偶数になる。この番号を、よく altura (アルトゥーラ=高度)と呼んでいる。大きな建物では、2〜3個の番号を占めるものもある。
ブエノスアイレス市の規定では、道幅が 17.32m 以上のものを calle と呼び、より広く 25.98m メートルを超えると avenida(大通り)と呼ぶ。
ブエノスアイレスでは、calle への思い入れがとても強く、たとえばコリエーンテス Corrientes 通りは、拡張されて正式には「大通り」になっても、もっとも華やかな、にぎわう地域は Calle Corrientes と呼ばれつづけた(たぶん、今でも)。
定冠詞を付けた複数形 “las calles” は、「(その)街、(ある地域の)家並み」といったニュアンスで使われることが多い。街を、家々ではなく、通りのイメージで代表させているわけだ。
“Tiene calle(s)” というと、直訳は「通りを持っている」だが、その人が街角で、酒場やナイトクラブなどの現場で学んだ、書物や学校では習えない知識・感受性・経験を身につけているという意味。
参考:cortada pasaje
---Tocar, toca. . . pero no es tango. Falta calle. | 「弾くには弾いてるけれど……タンゴじゃないね。街角の味がないよ」 |
caló (カロー)
スペインの、ヒターノ gitano(スペインのロマ、ジプシー)のことば。元をたどればサンスクリット(インドの古代語)だろうが、ヨーロッパ各地のロマ語(その中にもたくさんの、相互に理解できない変種がある)とは、かなり異なっていて、単語の数は少ない。文法はスペイン語と同じ。ヒターノは、いく世代にもわたってスペイン語で生活しているので、昔のことばは忘れてしまって、今日ではほとんどの人が カロー で会話はできない(ほんの少しの単語しか知らない。それらは一般のスペイン人も知っている)。
なお、本来の カロー だけではなく、犯罪者などの(スペイン語の)隠語・俗語も含めて、こう呼ぶ人も少なくなかった(ヒターノへの差別意識があって良くよくないことだが)。
これらから ルンファルド に移入されたことばも少なくない。
また、「カロー」をおおざっぱに「隠語」と言う意味に使って、ルンファルドのことを「ブエノスアイレスのカロー」などと呼ぶこともあった。1960年代以降は、ゴベッロさんの著述などによって、ルンファルドの実態を一般の人も理解するようになり、そういう不正確な解釈は減ったようだ。
参考 ⇒ germanía lunfardo
カローについて、別のサイトにわたしが書いた記事があります。興味のある方はどうぞ。⇒ ヒターノ語
camba (カンバ)
bacán の逆さコトバ(vesrre)。意味はまったく変わらない。
. . .que en un auto camba, de sur a norte | 高級な自動車に乗って、南から北へ |
――タンゴ «Che, papusa, oí» (チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
cambio (カンビオ)
ふつうのスペイン語の基本的単語のひとつで「変わること、代えること」という元来の意味から発して「変化、交換、交代、両替、釣り銭」などいろいろな意味があるが、タンゴほかポピュラー音楽のミュージシャン用語では「正式のメンバーの代わりに臨時に参加したミュージシャン」を指す。メンバーがなにかの理由で――より給料の良い楽団に移ったり、病気や家庭の事情など一時的な障害があって――演奏する場所に来ることができなくなったとき、店の経営者や楽団リーダーが、つてを頼って代わりをさがしたり、あるいは行けなくなったミュージシャン自身が自分の責任で友人に代理を頼んだりする。臨時に行ったミュージシャンが良い仕事をすれば、また次の機会に呼ばれたり、正メンバーに採用されたりすることもあった。
日本では「トラ」と呼んでいました。「あの楽団にトラで入った」とか
「よんどころない事情があって、行けなくなったので、トラを入れた」とか……
このトラは 「エキストラ」 を転用したことばです。
レコーディング・オーケストラは別として、ふつうの演奏場所では、メンバーがひとりぐらい欠けても
お客にはわかりませんが、一般に契約書には「○人編成」と明記してありますので、
人数が足りないと契約違反になります。
camelar (カメラール)
(男性が女性を)好きになって追いかける、くどく、言い寄る、恋に誘う。カロー(スペインの隠語)をそのまま転用したもの。元来は、ヒターノ語で、男女の恋愛にかぎらず「(〜を)のぞむ、欲する、好きである、愛する」といった意味に広く用いられている。
このことばは、以前はルンファルド辞書にのっていませんでしたので、わたしはわからなくて苦労しました。
たぶん60年代から使われるようになったのだと思われます。
スペインでは、数百年前からあったはずです。
camelero (カメレーロ)
女性をなびかせるために、あるいは、人の歓心を買うために、見かけだおしのものや、見せかけだけのしぐさなど、表面的なことで、だまそうとする人。タンゴ音楽家なら、派手な衣装の指揮者、お客にこびて笑顔をふりまく指揮者、もらった花束を舞台から客席に投げ返す人、いかにもむずかしそうに楽器を弾く人、その他、音楽以外の、外見やしぐさで人気をとろうとする人……アレレ? それでは、全員ですかね。アーティストには、この要素がないといけないんですね。
camelo (カメーロ)
外見やしぐさ、つくった表情で(悪意はあってもなくても)人をだますこと。下心をもって、自分をいつわって見せること。それほどいやらしくない カメーロ としては、タンゴのショーで、ヴァイオリン奏者がマイクなしで、ステージの前に出て、あるいは客席で演奏したり、バンドネオン奏者が立ち上がって弾くのも、こう呼ばれる。この場合は「ちょっとしたショー的な演出」とでも訳したらいいのだろうか?
---Parece que es un gran bandoneonista. | 「すごいバンドネオン奏者に見えるね。でも |
cancha (カンチャ)
(1)競馬場、サッカー・スタジアムなど、スポーツ競技・試合のおこなわれる場所。このことばは、本来のルンファルドが発生する19世紀後半よりもずっと古くからある。後に都市と呼ばれるようなところが地方の町にすぎなかった、そんなスペイン植民地時代から使われている。昔は、2頭の馬で競い合う馬場や、ナイフ・短剣での決闘の場所などが カンチャ と呼ばれていた。語源となった先住民のことばケチュア語(インカ帝国の公用語)では、「壁・塀でかこまれた場所、野原の一角、小さな中庭」といった意味があった。ケチュア語から分かれて、現在のアルゼンチン、サンティアーゴ Santiago del Estero 州のかなり大きな地域の日常語であるキチュア語では、「馬の競走、球転がしの遊び、サッカー、薪 (まき)を積んでおくための、屋根のない場所」をあらわす。(Domingo. A. Bravo: DICCIONARIO QUICHUA SANTIAGUEÑO - CASTELLANO, 1975, Editorial Universitaria de Buenos Aires.)
参照 ⇒ ¡Abran cancha!。
(2)技 (わざ)をきそう場所という意味から拡大されて、「技」そのものを指しても使われる。あることに関して「戦術・策略・コツ・微妙な専門技術」などの意味。この意味のときは、ふつう「○○は、カンチャを持っている tener cancha」という言いかたをする。
---La revancha va a ser en la cancha del Huracán. | 「こんどは(サッカー)復讐戦で、《ウラカーン》チームの本拠スタジアムでやります」 |
---Dejáselo . . . Tiene cancha para esto. | 「(ほかの人は手を出さないで、彼に)まかせておこう。こういうことにかけては名人なんだよ」 |
canchero (カンチェーロ)
上記の(2)の意味から、なにかに関して「上手な人、名手」。その「なにか」は、人に役に立ついいことの場合も、人をだます悪事のときもある。
cancionista (カンシオニースタ)
タンゴやフォルクローレの女性歌手。
canfinflero (カンフィンフェレーロ)
ルンファルドの古語(大笑い)で、20世紀はじめごろからだんだん使われなくなった……ただひとりの女性だけをマネージするヒモのことだそうだ。語源はスペインの古い隠語、イタリア方言が入り乱れてややこしいので省略。
cantina (カンティーナ)
イタリア料理店あるいは食堂。格式はなく、(値段も)親しみやすい店で、ひとりで軽い一品(チーズとかサラミとかスパゲッティとか)とワインで長居してもよく、ご近所の家族連れで週末の食事を楽しみに来る人もあり、時にはにぎやかにバンドを入れて、貸切で結婚パーティもできるような店。(今日もそういう店が生き残っているかどうか、わたしは知りませんが)
Con el codo en la mesa mugrienta | 垢じみたテーブルに片肘をついて |
――タンゴ «La Violeta (ラ・ビオレータ)1929年 作詞:Nicolás Olivari 改編: Carlos Gardel
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
cantinero (カンティネーロ)
上記 カンティーナ の亭主、主人。
cantor (カントール)
スペイン語で歌手をあらわすことばはいくつかあるが、アルゼンチン=ウルグアイでは、自国のポピュラー音楽(タンゴとフォルクローレ)をうたう男性歌手をこう呼ぶ。女性は、cancionista と呼ぶのがふつうだった。
ふつうのスペイン語で、もっとも一般的に歌手を表すことばは、男性も女性も “cantante” (カンタンテ) です。
cantor nacional (カントール・ナシオナール)
おもに1930年代に使われたことばで、訳せば「国民的歌手」となるが、フォルクローレもレパートリーにしているタンゴ男性歌手をこう呼んだ。外国の曲・リズムは時たま、うたうだけ。ソロ歌手として活動し、伴奏はほとんどの場合、専属のギター合奏グループ。時に、2〜3人のグループ(ピアノ、ヴァイオリン、バンドネオン、ギターなどによる)の伴奏だった。原則として、タンゴ楽団とは共演しなかった。
カルロス・ガルデール Carlos Gardel を筆頭に、今日までも名声が残っているような大アーティストは、すべて、この分類に属していた。
彼らと同等の女性の大アーティストには、こういう呼称はありません。タンゴの文化は徹底的に男尊女卑です。
この問題を追及するのは、当辞典の範囲を逸脱するので(長くなりますし)やめておきます。
cara (カラ)
ふつうのスペイン語で「顔」のことだが…… 参照 ⇒ La C.....ara de la L...una
Carlón (カルローン)
ワインの名前で、スペインの カステジョーン地方 ベニカルロー Benicarló 産の、ガルナーチャ garnacha 種(今日もスペインのワインの個性をつくっている品種)のブドウでつくった赤ワインを、アルゼンチン=ウルグアイでは、産地の名前を簡単にして「カルローン」ワインと呼んだ。19世紀には、もっとも高く評価されていたワインで、上流階級の飲み物だった。色も味も濃く、香りが良くて、度数も当時としては高かった(アルコール15度)。しかし需要に供給が追いつかず、20世紀に入ると、熟成しないまま出荷され、味も色も薄くなって、人気は下落。それでも1920年代までは輸入されていたらしい。
どういうわけか、タンゴの世界では、イタリア移民というとカルローンを飲んでいる。イタリア人好みの味だったのか? 質が落ちたが値段が手ごろになって、貧しい移民にも飲めるようになったからか? 参照:上記の cantina。
現在もアルゼンチン=ウルグアイでは、赤ワインをソーダで割って飲んでいますが、
これは19世紀前半に、カルローン・ワインを飲むために始まった風習だそうです。
アルコールが強かったからですね。氷も入れたそうです。
*なお、スペインは、植民地でワインを生産することを禁じていました。
アルゼンチンでのワイン生産は独立後に始まり、20世紀に入ったあたりから、
もうスペインに負けないワインができた、とこの国の人は自慢します。
それはフランスからワイン生産者が入ってきたからだと、フランス人は言っています。ハハハ……。
*余談ですが、ヨーロッパ全土のワイン生産は、1930年に、ブドウの枯れる病気でほぼ全滅しました。
その後、苦心の研究の末、チリのブドウの株(病気に強い)を輸入し、そこに接ぎ木をして、
ヨーロッパのワインを復活させました。
今日、世界中のワインのたぶんすべては、チリ産の根から生まれたものです。
carmín (カルミーン)
スペイン語に入った外来語で、「真っ赤な(色)」「あざやかな赤色の染料」を意味する。アルゼンチン=ウルグアイでは、「口紅」そのものを指すことも多い。フランス語 carmin (カルマン) を借用。
Milonguerita linda, papusa y breva, | きれいなキャバレー娘、とっても美人、すてきな美女、 |
――タンゴ «Che, papusa, oí» (チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
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carne (カルネ)
ふつうのスペイン語で「肉」のことだが、食材に関して使う場合、アルゼンチン=ウルグアイでは限定して「牛肉」を指す。
豚肉は “carne de cerdo” (カルネ・デ・セルド=豚の肉)、鶏肉は “pollo” (ポージョ=わかどり) です。
Carnera (カルネーラ)
イタリア出身で、アメリカで活動したボクサー、プリーモ・カルネーラ Primo Carnera (1906 - 67)。1930年からアメリカ合衆国で活動し、身長197cm(もっと高いとした資料もあり)は、当時のボクシング界では(今日でも)異例だったので、注目され、人気も上がった。1933〜34年、へヴィ級世界チャンピオン。その後、エキジヴィジョン・マッチなどでラテンアメリカをツアーし、アルゼンチンにも来ている。なにしろ大きいので、人々は彼を見るだけで喜び、満足した。
アメリカでの彼の試合はすべて犯罪組織が仕組んだ八百長だったらしい。後にマネージャー(マフィア関係者)に財産を持ち逃げされ、名声の落ちた カルネーラ は、数々のハリウッド映画に大男の役で出演し、おおむね好評だった。また、1946年にプロ・レスラーに転向し、つねにたくさんの観客を集めて大成功した。61年に引退するまでリングの人気者だった。
(下のタンゴに登場するのは、絶頂期のチャンピオン・カルネーラです)
“¡Qué falta de respeto, | なんという敬意の欠如! |
――タンゴ «Cambalache» (古道具屋)1935年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*ティタ・メレッロ Tita Merello 歌。ここをクリック
carrera (カレーラ)
ふつうのスペイン語では、いろいろな種類の「競走、レース」のことだが、タンゴの歌詞では、ほとんどの場合「競馬」または「競馬場」を指す。 carrera de caballos というのを省略した言いかた。同義語:burros
carreta (カレータ)
一般的にスペイン語で「荷車」を指すことばなので、各国・各地で(同じアルゼンチン=ウルグアイの中でも)さまざまなものが(手押し車も荷馬車も)この名前で呼ばれている。
わたしたちに関係あるのは、ガウチョのカレータで、最初にタンゴを即興で踊った男のそばには、これが停めてあった可能性は大いにあり、タンゴの原点の環境に密着したものだといえる。
日本の音楽ファンなどは「牛車(ぎゅうしゃ)」と呼んでいるけれど、一般的な標準日本語とは認められていないだろうと思う。
カレータは、大きな車輪(直径2〜3メートル)がふたつだけ付いた、運搬用の荷車で、進行方向に向かって太い木材が突き出している。その先端に、横向きにくびきを取り付け、その両側の牛の首に固定してひかせる。車の大きさによって牛の数は増えるが、2頭ずつ横に並んで進むので、数はいつも偶数である。運転者はただひとり、細長い棒に付けた針(ムチの役目)を使って牛たちを刺激して進ませる。
これによる運送の最盛期19世紀には、地形などの条件にもよるが、3.5トンほどの重さの荷を積んで、1日に50キロほど進んだという。
荷物を載せる本体は、ただの板のスノコのこともあれば、テント小屋のように屋根付のもある。右の絵は、carreta encuerada (革張りのカレータ)と呼ばれる、牛の革を張ったぜいたくなもの。(モリーナ・カンポス Florencio Molina Campos (1892 - 1959) 画。出典:www.musicadelasamericas.com)
わたしが持っている唯一の日本語辞書は『言海(ことばのうみ)』(大槻文彦・著、明治24=1891年)で、とても信頼しています。「読み物」としてもおもしろいです。
古書じゃありません。わたしは「ちくま学芸文庫」(筑摩書房)で出ている復刻版を買いました。
それには、こんなことばが出ています(原文はカタカナです。文中のよみがなは、わたしが補いました)――
うしぐるま 「牛車」 (一)ぎっしゃ。屋形(やかた)車に、牛をつけて牽(ひ)かするもの、官位等に依(よ)りて、乗用 製作に制限種種あり。
(二)大なる荷車の、牛にて牽(ひ)かするもの。
うしかた 「牛方」 牛車を扱ひて、荷を運ぶを業とする者。
ぎっしゃ 「牛車」(字の音(おん)の読癖(よみぐせ)) うしぐるまの条を見よ。
(この「うしぐるま」ということばを復活させてほしいですねぇ!)
Catamarca (カタマールカ)
アルゼンチン北西部の州の名前だが、タンゴの世界では、その州名をとったブエノスアイレス市の道の名前。1910年代に、その カタマールカ 通りに、知る人ぞ知る、タンゴのダンス・サロンがあった。会員制クラブのようなものだが、お金持ちのダンス好き仲間が集まる、個人の家のサロン。ダンス・パーティのために集まるので(売春宿ではないから)警察などが介入することはなかった。参加費は非常に高いので、ふつうの人は入れない。バンドネオン奏者 エドゥワールド・アローラス Eduardo Arolas (1892 - 1924) 作曲のタンゴ『カタマールカ』は、このサロンの主宰者か常連客に献呈されたのだろう。曲を献呈すると、ひと晩の出演料の10倍ほどの謝礼がもらえた。なお、サロンでの演奏では、出演料のほかにお客からのご祝儀(チップ)ももらえた。こちらのほうは、複数の人からもらったのを合計すると、出演料の数倍というところ。
参考: ⇒ Argañaraz, entrerriano.
catedrático (カテドラーティコ)
ふつうのスペイン語では、大学で専門的な講座 cátedra をもっている人、すなわち教授とか講師のこと。競馬界の用語では、血統の研究とかすべてのデータなど詳しい知識をもって、レースの予想の御託 (ごたく)を並べる人のこと。プロのジャーナリストの場合も、単なるアマチュアの競馬通の場合もある。また、バカにしてこう呼ぶときもあれば、茶化しながらも敬意を払っているときもある。
catrera (カテレーラ)
ベッド、寝台。「粗末な」「簡素な」というニュアンスを含んでいる。正統スペイン語 “catre” に不要な語尾を付けたことば。
cedrón (セドローン)
植物名。アメリカ大陸原産の潅木(かんぼく)で、アルゼンチン、ウルグアイ、チリには自生し、メキシコなどでは栽培されている。クマツヅラ科に属し、学名 Aloysia triphylla(ほかの学名もあり、統一見解?は まだ ないみたいです)。
白い小さな花が咲き、レモンの香りがするので、庭や生垣に植えて愛されている。
葉は煎(せん)じてお茶のように飲む(いわゆるハーブ・ティー)。こちらも大いに愛されている。参照 ⇒ manzanilla
日本では、「セドロン」という名前で、ハーブ・ティーがアルゼンチンから輸入されています(ティー・バッグになって)。
わたしにはぜいたく品ですが、飲んでみたら、とてもからだにいい感じがして、なんだか元気になります。
気のせいですかね? でも、この種のものは「気のせい」が大事ですね。わたしは、ハーブ・ティーの最高峰だと思いました。
なお「セドローン」とは「杉もどきのもの」というあいまいな意味なので、各地で、各種の異なる植物にこの名が付いています。
また、ペルー=チリ原産の hierba Luisa (イエールバ・ルイーサ) などの名前で愛されているハーブは、
まったく同じ(もしくは非常に近縁の)植物らしいです。ペルーからハーブ・ティー・バッグで輸入されています。
こちらは、スペイン経由でヨーロッパ各地に伝わり、レモン風香料の原料として栽培もされているようです。
La noche amiga me trajo al centro | わたしと仲良しの夜が この気もそぞろな |
――タンゴ «Menta y cedrón (ミントとセドローン)1945年 作詞:Armando Tagini
*アンヘル・バルガス Ángel Vargas 歌/アンヘル・ダゴスティーノ Ángel D'Agostino 楽団。ここをクリック
Ayer, estaba recordando | きのう、わたしは思いだしていた |
――ワルツ «Absurdo» (不条理) 作詞:Homero Expósito。
Centenario, el
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