タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero
cóctel (コクテル)
カクテル。英語 cocktail のスペイン語流の発音を、そのまま文字にしたもの。
参照 ⇒ copetín
cocoliche (ココリーチェ)
イタリア語のことばや発音をミックスした、イタリア移民のしゃべる怪しいスペイン語。
(vedera の項の参考曲をお聴きください)
comentarista (コメンタリスタ)
ラジオ放送に関して使われたのが最初だと思うが、新聞雑誌などの文章でも、コメント(解説)する人。日本語では「解説者」とか「評論家」というのが、ぴったりの訳だと思う。タンゴ界だけのことばではなく、たとえばスポーツ(特にサッカー)のコメンタリスタもいる。いちおう専門知識のもちぬしではあるが、学者のような研究家タイプと、ディスクジョッキーのタイプの両方(その境界ははっきりしないけれど)ある。タンゴのコメンタリスタには、ライヴのステージの司会者になる人もいれば、作詞でも成功した人もいる。もちろん著述家も。
comme il faut (コム イル フォー)
生粋のフランス語で、「そうしなければならないように、そうあるべきように」といった意味。慣用句として「正式な規則にのっとった(書類・行動など)」、「その場にふさわしい(服装・態度など)」を指して広く使われる。俗語では「上流階級の(人)」のこと。
このことばはルンファルドではないけれど、今日も人気のある、すてきなタンゴ曲の題名に使われているので、ここに収録した。
この曲の作曲者であるバンドネオン奏者 エドゥワールド・アローラス Eduardo Arolas (1892 - 1924) の両親はフランスからの移民で、子ども時代の家の中での会話はフランス語だったろうと思われる。交際した女性もフランス人あるいはフランス系だったので、フランス語の慣用句を、自然に、会話にまぜることは多かっただろう。人生の最後の部分はパリに住んでいた。タンゴ『 コム・イル・フォー 』の初版楽譜の表紙は街頭のスケッチで、いかにも上流の服装をした女性が通るのを、ふたりの伊達男が眺めて感心している絵。
タンゴ『コム・イル・フォー』は、1915年ごろ、アローラスと、いっしょに演奏していたギター奏者 ラファエール・イリアールテ
Rafael Iriarte (1890 - 1961) が合作しました。
作曲者としてアローラスひとりの名前で著作権登録し、1917年に彼の楽団で初録音されました。
アローラスの死後、1930年のタンゴ・コンクールに、イリアールテが彼ひとりの作品として出品した
“Comparsa criolla” (コンパールサ・クリオージャ=土地っ子のカーニバル・パレード)は、まったく同じ曲です。
その間の事情はもうわかりませんが、この曲のほとんどの部分がアローラス作曲であることは確実です。
compadre (コンパーデレ)
ふつうのスペイン語では、お互いに相手の子どもの名付け親になるような間柄を指し、意味が広がって「(義兄弟のような)親友」への呼びかけにもよく使われる。
ルンファルドでは、ガウチョが仲間をコンパーデレと呼び合っていたので、「都会に出てきたガウチョ」のことを、軽いからかいの意味をこめて、こう呼んだ。ガウチョは、都会と大草原のはざまにある場末の住人となっても、生活の道具であるナイフをいつもベルトに挿し、都会に溶け込んだようで溶け込んでいない独立心・自尊心を保っていた。
やがて、コンパーデレということばは、ガウチョを離れて、気取ってケンカっぱやく、反抗的な人間の1タイプを指すことばになって現在に至っている。
ある人の考察によれば、イタリア移民たちが新しい土地でのアイデンティティ確立のために、ガウチョのコンパーデレをお手本にしたのだそうだ。「土地っ子」の理想像がコンパーデレだった……なるほど……。
逆に、一般人から見た悪いイメージで(イメージだけでなく実体も悪いんですが)、限定して、女性のヒモを正業としている男を意味するときもあった。
compadrito (コンパディリート)
上記コンパーデレの真似をして、つっぱっている場末の若者。
タンゴの歌詞や芝居その他では美化され、あこがれる人々もいたが、ブエノスアイレス=ウルグアイの人口の少なくとも半分以上の人々にとっては最低の人間とみなされていた。多くの人は canfinflero (カンフィンフレーロー娼婦のヒモ) ということばを口にしたくないので、婉曲にコンパディリートと呼んでいたようだ。
compadrón (コンパドローン)
自信まんまんで、気取って、挑戦的な、場末の男。そのような男の性格を反映した物事(タンゴのリズムの形容にも使われる)。
comparsa (コンパールサ)
カーニバルで楽しむための(それ以外の機会に集まることもあるが)アマチュア・アーティストのグループ。みんな仮面をかぶり、それぞれのグループ独自のテーマ音楽、衣装などに趣向を凝らす。モンテビデオで、特に根強い伝統をもっている。
これはふつうのスペイン語で、本来は王様につきしたがう従者・臣下たちのパレードなどを指していた。その後(といってもかなりの昔から)、演劇団の団員(主役クラスをのぞく)とか、「その他大勢」の役者たちを指して使われたことば。
参照 ⇒ cumparsa。
conventillo (コンベンティージョ)
ブエノスアイレスやモンテビデオなどの都会で、移民を住まわせるためにつくられた共同住宅。多くは、場末にあった古い建物を、小さい部屋に仕切って改装(?)したもので、その1部屋に1家族が住む。台所はなく、部屋の中で調理するために石炭のコンロのようなものが備え付けてあった。一酸化炭素中毒や火事などの事故も少なくはなかったようだが、仕方ない。中庭があり、そこに水くみ場があり、洗濯のスペースとして使われる。また、少し暮らしに余裕ができてきたら、中庭で焼き肉やダンスのパーティも開かれた。数百人が住む大きな コンベンティージョ もあった。
ふつうのスペイン語 “convento” (修道院) に、ふざけて、いやしんだニュアンスを加えたことば。
なお、このことばは、19世紀後半には娼婦の館を指す婉曲(えんきょく)な言いかただった。下記『エル・チョクロ』の歌詞は、そちらを指しているのだろう。
あるコンベンティージョでは数家族が共同で牝牛を1頭飼っていたそうだ。
なにはなくとも、毎日ミルクだけは飲める!
でも模倣者がひとつも出なかったところを見ると、あんまり割がよくなかったのかな?
牛を飼うにも、乳をしぼるにも、いちおう専門技術がいりますよね。そして牧草は?……
En el barrio Cafferata, |
カッフェラータ地域の |
――タンゴ «Ventanita de arrabal» (場末の小窓) 作詞:Pascual Contursi 1927年
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌:ここをクリック
Misa de faldas, kerosén, tajo y cuchillo | スカートと 石油ランプと 裾のスリットと ナイフのミサ |
――タンゴ «El choclo»(エル・チョクロ) 作詞:Enrique Santos Discépolo 1946年
*ティタ・メレッロ Tita Merello 歌:ここをクリック
convento (コンベント)
conventillo のこと。正しいスペイン語では「修道院」だが。
convoy (コンボーイ)
conventillo のこと。比較的新しいことばで、ちょっとふざけた言いかた。
下記の歌詞で、ココアを飲むのは、落ち着いた喫茶店に行こうと誘っているのです。
マテ茶は、男の部屋 garçonniere に連れ込もうとしています。
女性におごるお金も、自分の部屋もない男は……。
Cabaret . . . metejón . . . | キャバレー……がまんできない恋ごころ…… |
――タンゴ «Pucherito de gallina»(プチェリート・デ・ガジーナ)1953年 作詞:Roberto Medina
*エドムンド・リベーロ Edmundo Rivero 歌。ここをクリック
copera (コペーラ)
“copa” (コパ=グラス) ということばから発したことばで、カフェやバー(同じことだが)で、お客にアルコールをすすめで飲ませ、自分も飲むのを職業とする女性のこと。このことばは、アルゼンチン=ウルグアイで発明され、ラテンアメリカ各国で遣われるようになったのだそうだ。
copete (コペーテ)
ガウチョのことばで、馬のたてがみを10〜15cm、ひたいに垂らした部分のこと。1種のオシャレ(馬自身はどう思っているか知らないが)。
都市では、ガウチョことばから借りて、男女の髪型で、前髪がちょっと盛り上がった感じのスタイルをいう。
“De gran copete” (デ・グラン・コペーテ=立派なコペーテで) という曲があったが、「気取った髪型で、粋でステキな」というニュアンスと、「高慢たらしく、押しが強い」という両方のイメージを重ねているのだろう。
参照 ⇒ copetuda
copetín (コペティーン)
「ちっぽけなグラス」といった意味のことばで、アメリカで発明された「カクテル」のこと。cóctel という呼び名もあるが、なんとなく高級っぽく感じられるので、「コペティーン」のほうが広く使われ、今日に至っている。カクテルでなくても、「軽く1杯」の意味でも使われる。
copetuda (コペトゥーダ)
「大きなコペーテの女」、つまり前髪を高く盛り上げた上流階級の女性のこと。「気取って、金持ちぶった(ほんとうに金持ちなのだが)」というニュアンスが加わっていることが多い。
男性に対しては、copetudo (コペトゥード) という形で使われる。男性の髪型は(昔は)そんなに盛り上がっていないので、「偉そうに、ふんぞりかえった」という意味になる。
なお、男女ともに、立派な帽子(大きな婦人帽とか山高帽とか)をかぶった上流の人という意味で使われている?と思わせる用例もあった。日本語なら「頭(ず)が高い」ですか??
corralera (コラレーラ)
ミロンガ milonga ・コラレーラ を省略した呼びかた。下記 コラーレス・ビエーホス 地域で生まれたもので、独自の、古風で荒々しく即興的な味がある。
それに乗った独自の、たるんだ味があるダンスのスタイルも、こう呼ばれる。曲はなんでもよく、曲を表現するときのスタイル・感覚の呼び名。楽譜どおりに弾いても、表現できない。演奏者では、バンドネオン奏者で楽団をひきいた アンセールモ・アイエータ Anselmo Aieta (1896 - 1964) が、少年時代から現場でこの感覚を吸収し、コラレーラ の真髄を完璧にもっていたといわれている。
今日のダンスに「コラレーラ」のスタイルというのがあるようだが、昔と同じなのか? ちょっと疑問である(それは、それでいいのだが)。コラレーラのスタイルで演奏できる人も、昔でさえアイエータしかいないと言われていたので、今日では皆無だ。
――ミロンガ «Corrales Viejos»(コラーレス・ビエーホス) 作曲:Anselmo Aieta
*アンセールモ・アイエータ Anselmo Aieta 5重奏団。ここをクリック
Corrales Viejos (コラーレス・ビエーホス)
ブエノスアイレスの地域名。パルケ・パトリーシオ 区にあった。「古いコラールがいくつもあるところ」という意味で、コラール は、柵で囲まれた空き地で、そこに馬をつないでおいたり、牛車や馬車をとめておいたりする場所。大草原から牛や穀物などの荷を運んできた男たちが一服するところだった。
19世紀の後半に、ここに集まってきた男たちが、アフリカ系の(いわゆる黒人の)ダンスを真似て、勝手に荒っぽいステップを発明して遊んでいたのが、タンゴのダンスの原型になったといわれる。
corralón (コラローン)
でかい(あるいは、粗末な)コラール。ただの大きな空き地だったところを簡単に囲って、牛車や馬車を止めておく場所にしたもの。現代の大型トラックやトレーラー駐車場の役目を果たす。
このことばを複数形にした corralones コラローネス は、19世紀にはコンベンティージョのことも指す、差別的な言いかただった。人間が牛や馬のようにギュウギュウに押し込まれている場所ということか?
Corrientes (コリエーンテス)
ブエノスアイレスの大通りの名前。港から発して西に向かい、やがて北西に向かって、チャカリータ墓地に達し、全長8.6km。
アルゼンチンのコリエーンテス州(独立・建国運動の中心地のひとつ)から採って、この道に公式に名前が付いたのは1822年。その後、都市の発展とともに重要性を増し、交通量の増加に対処するため、1931〜36年に、道の北側の建物を壊して、道幅を広げ、コリエーンテス大通り avenida Corrientes になった。タンゴの歌詞などで、なつかしがられているのは、拡張される前の「狭いコリエーンテス Corrientes Angosta 」であり、ただの「コリエーンテス通り calle Corrientes 」である。
この大通りの東端、数ブロックは金融・大企業のオフィスなどの街。タンゴにうたわれた架空のマンションの地番「コリエーンテス 348 」は、この区画にある。
エズメラールダ通り calle Esmeralda と交差してから、ずっと西へ、オベリースコ を経てさらに西へ、カジャーオ大通り Avenida Callao までが、本来の(といっては他の区画に失礼すぎるが)コリエーンテスで、劇場、映画館、キャバレー、ダンスホール等が立ち並び(この表現は大げさですが)、かつては「24時間眠らない街」と呼ばれた、ブエノスアイレス随一の繁華街である。
その西は商店街で、タンゴやエンターテインメントとは関係ないけれど、愛される大通りとしてつづく。
参照 ⇒ 9 de julio Triunvirato
cortada (コルターダ)
路地。2本の(ほぼ)平行した通りの間をつなぐだけの、せまい一本道。「(両端が)切られた通り」ということばを省略したもの。
cortado (コルタード)
ほんの少しミルクをたらしたコーヒー。日本で、昔風の(失礼!)コーヒー店では、コーヒーといっしょにミルクが入った小さな器が出てくるが、あれが「コルタード」。「切られたコーヒー」ということばの省略形。
corte (コルテ)
古いタンゴ独特の、動きを唐突に切る、荒っぽいタンゴのステップ(フィギュア、ポーズ)。即興的に生まれたものだが、すでに19世紀末に、いくつかの種類のコルテの形が定着していた。一般的なスペイン語では「切断」「(服の)裁断、スタイル」などの意味。
タンゴ音楽家・録音技師の専門用語では、演奏を「(途中で)切る、止めること」を指す。テレビの番組途中のコマーシャル・スポットも「コルテ」と呼ばれる。
Trajeada de bacana bailas con corte | 金持ち女ならではのドレスに身を包み あんたは場末風の荒っぽいタンゴを踊る |
――タンゴ «Che, papusa, oí»(チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
cortes y quebradas (コルテシ ケブラーダス)
タンゴの特徴的なさまざまなステップ、ポーズの形。昔の、いわゆる場末風のステップの、荒々しいタンゴ・ダンス。おおざっぱに「タンゴのダンス」そのものを指すこともある。
costillar (コスティジャール)
牛の肋骨(ろっこつ=アバラ骨)に付いた肉の部位の名前。1頭から2つ採れる。骨付きのままアサード にして食べる。薄い膜におおわれていて、焼けるとそれがカリカリの食感になっておいしい。
脂がなくて硬い(肉も少ない)ので、肉屋では、そぎとって、ひき肉にしてしまう(と、わたしは思います)。
crack (クラック)
競馬で、注目され、人気の高い若い馬。そこから転じて、サッカーの名選手、さらに、なにごとにでも、秀でた第一人者のこと。女性のタンゴ・ダンサーにも使われるのを聞いたことがある。
元来は英語の俗語だが、アルゼンチン=ウルグアイには、フランスの俗語を通じて入ってきたようだ。
criollo (クリオージョ)
南アメリカの土地に生まれ育った人、土地っ子。女性は “criolla” (クリオージャ)。この土地を植民地として支配していたスペイン人でもなければ、あとから来た移民でもない、独自のアイデンティティをあらわすことば。スペイン人の子孫でも、この土地に生まれ育てばクリオージョ(移民の二世も、もうクリオージョです)。
参考 ⇒ guitarra criolla, gallego, ruso, tano.
このことばの元は、フランス語の crèole で、
アフリカやカリブ海の植民地で生まれ育ったあわれな貧しい人間という
マイナスのイメージをもっていたようです (現代では、フランスでも差別用語ではありません)。
アルゼンチン=ウルグアイでは、この土地をつくりあげた誇りをもって使われています。
Soy hico de Buenos Aires, | わたしはブエノスアイレスの息子 |
――タンゴ «El porteñito»(エル・ポルテニート)1903年 作詞(作曲も):Ángel Villoldo
*アルフレード・ゴッビ Alfredo Gobbi 歌。ここをクリック
イタリア語なまりで(スペイン語 “hijo” を “hico” と発音)「土地っ子」だと自慢しているのが楽しいです。
ゴッビはとても人気者のアーティストで、この曲ができたときから得意にしていました。
この録音は、1909年ごろかと思われます。
criollazo (クリオジャーソ)
すごい クリオージョ。はえぬきの土地っ子。
Crítica (クリーティカ)
1920〜30年代に、もっとも読まれていたアルゼンチンの新聞。1913年にウルグアイ人 ナターリオ・ボターナ が、ブエノスアイレスで創立(部数5,000部)。大衆の好むものを察知する彼の才能により、センセーショナルな記事づくり、三面記事の解説がわりに、漫画による図解や、ルンファルド を使って書いた詩をつけるなど、おもしろい紙面づくりで、大幅に発行部数を増やした。1922年には75,000部、26年には900,000部の大記録を作った。派手なネタの記事のいっぽう、1926年から文芸別冊《クリーティカ・マガシーン Crítica Magazine 》などで、時代の先端にいる最高級の文学者の詩文も掲載した。ボルヘス Jorge Luis Borges 、アルフォンシーナ・エストールニ Alfonsina Storni なども執筆した。1932年にはニュース映画の制作をはじめ、マルチメディアのマスコミの先駆となった。1941年に社主ボターナが事故で亡くなって、その家族が経営に当たった。しかし、大統領になる以前から ペローン Juan Domingo Perón の政治方針に反対していたこともあって、経営はどんどん悪化し、1951年にペローンの政府に買い取られた。1962年廃刊。
cuarta (クワルタ)
4分の1、あるいは4番めという意味を含むふつうのスペイン語だが、ガウチョの用語では、長い丈夫な綱(つな)または鎖(くさり)のこと。元来は綱を、4つ折りにして強度を増したのだそうだ。
沼にはまった、あるいは、荷物が重すぎて、動きがとれなくなった牛車または馬車を、引き出すために使う。クワルタ を、その車に結び付け、1〜数人の男たち、または力持ちの馬(ペルチェローンなど)、または別の牛たちで引っ張る。
cuarta de vino (クワルタ デ ビーノ)
プルペリーアでのワインの単位。594.75ccに当たるとのこと。日本の1升(しょう)のちょうど 1/3 ですね。昔は(今でもスペインの地方では)アローバ arroba という計量単位があり、その4分の1ということだろう。
今日の飲食店では、“un cuarto” (ウン・クワルト) というワインの頼みかたがある。
これは 1/4 リットル、すなわち250cc。日本なら 1 1/3合(ごう)ですね。
cuarteador (クワルティアドール)
前記のクワルタ が語源で、重荷を積んだ牛車や馬車が立ち往生したのを引き出すことを仕事にしている人。本来は御者(自動車の運転手に当たる)たちがお互いに助けあう行為・作業だったが、19世紀末〜20世紀初めのブエノスアイレス場末では、それでお金を取る人たちが出現した(御者だって貧乏だから、報酬はとても少なかったはず)。道は舗装されてなく(石畳というと聞こえがいいが、単に小石を敷き詰めたもの)、雨の後の水たまりはいつまでも小沼になって残り(海抜の低い土地が多かった)、急坂も各所にあり、危険なカーヴをもった狭い道もたくさん……そういう交通の難所には、クアルティアドールたちが、ロープや鎖を準備して、いつもたむろして待っていた。力持ちのペルチェローン馬に乗った一匹狼のクアルティアドールもいた。
タンゴの歌詞や映画の主人公にもなるクアルティアドールのイメージは、男らしくてカッコいいけれど、実際には、この仕事をしていたのは、一般社会からアブれたコンパディリートたちがほとんどだったと言う。本職のガウチョではないから、作業にはずいぶん時間がかかったことだろう。
後にタンゴの音楽家として有名になった人の中にも、若いころクワルティアドールだった経験者は少なくない。
なお、~tea~ と表記されるが、発音は表記どおりではなく、つねに 〜ティア〜 が正しい。
cuarteada (クワルティアーダ)
前記のクワルタ を使って、動けなくなった牛車や馬車を引き出す作業。
このことばを「加勢すること、助っ人行為」のたとえに使った用例がボルヘスの物語り詩にある。そこでは、発音どおりに “cuartiada” と表記している。参照 ⇒ Triunvirato
cuchillo (クチージョ)
ふつうのスペイン語で、一般的に「ナイフ」のことで、料理用の各種ナイフも、食器のナイフも、こう呼ばれる。
ガウチョ にとっては「6本目の指」と呼ばれるほど重要な道具で、1本のナイフでパンや肉も切れば、牛や馬を解体もし、また敵に対する自衛の武器としても使った。そんな伝統をひいて、今日の都会人でも、牛肉の大きな塊を丸焼きにするパーティには、自分用のナイフを持参して、それで肉を切り取って食べる「通な」人もいる。こういう人はフォークは使わない。また皿も使わず、切った肉はパンの上に乗せ、あとで血や肉汁のしみたパンを食べる。
参照 ⇒ daga、facón、puñal。
cumparsa (クンパールサ)
カーニバルを楽しむためのグループ。本来のスペイン語ではコンパールサ。ゴベッロ さんは、このことばのイタリア南部でのなまり cumpàrza (クンパルツァ) が採用されたのだと言っている。
cumparsita (クンパルシータ)
「ちっちゃなカーニバル・グループ」といった意味。上記のことばを、愛着と謙遜のニュアンスをこめて変形したもの。
このことばに定冠詞を付けて題名にしたタンゴ『ラ・クンパルシータ La cumparsita 』(1916年)は、モンテビデオのアマチュア(後にプロとなる)作曲家ヘラールド・マトス・ロドリーゲス Gerardo Hernán Matos Rodríguez (1894 - 1948) が、自分の所属する大学生グループのカーニバル・パレードの行進曲としてつくった。それをタンゴのリズムに直して、やはりモンテビデオの、一流のプロ・ピアニスト、カルロス・ワーレン Carlos Warren (1891 - 1953) に頼み、ピアノ用楽譜を書いてもらった。それを、ブエノスアイレスから来たピアニスト・楽団指揮者、ロベルト・フィルポ Roberto Firpo (1884 - 1969) に演奏するように頼んだ。原曲は、タンゴの1曲としては幼稚すぎたので、フィルポは、そこに2種類の対旋律を加えた。新しく第2部を加えた(オペラの間奏曲のメロディを借用したとフィルポは語っている)。さらに第3部(トリオ)が必要なので、自身の旧作『ラ・ガウチャ・マヌエーラ』の一部分をそのまま転用した。このように、3分の2以上はフィルポの作品だが、マトス・ロドリーゲスの単独名義で著作権登録・楽譜出版された。
cuore (クオーレ)
心臓、こころ。イタリア語をそっくりそのまま借用したことば。
curandera (クランデーラ)
薬草やまじないで怪我や病気を治す女性。医者のいない地方では、真に必要な、そして能力の高い治療者である場合も多い。また一方では、恋わずらいの治療など、怪しい仕事もある。アルゼンチン〜ウルグアイだけでなく、スペイン語全地域で使われることば。
1920〜30年代には、ブエノスアイレスの場末、周辺部で、人生相談・占い・霊能者を兼ねた女性が、こう呼ばれた。
カトリックの聖人・聖女などをひきあいに出すまじない師は santera (サンテーラ)と呼ばれたが、クランデーラと区別はされない。呼び名はちがっても同じもの。
当時の実情を描いた読み物があります。お読みください。「クランデーラとサンテーラ同業組合」
Era una paica papusa | 彼女はすごい美人の女の子だった、 |
――タンゴ «El ciruja»(エル・シルーハ=ゴミ捨て場あさりの男)1926年 作詞:Francisco Alberto Marino
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
curda (クルダ)
酔い。スペインの俗語だそうだが、アルゼンチン=ウルグアイで、たいへんよく使われることば。人間を指して「酔っぱらい男」という意味でも使われる。“en curda” は「酔いの中に」つまり「酔っぱらって」という意味になる。参照 ⇒ encurdar。
文法上、「酔い」は女性名詞(la curda; una curda...)、「酔っぱらい男」は男性名詞(el curda; un curda; los curdas...)としてあつかわれます。
curdela (クルデーラ)
酔い。上記の語から派生。参照 ⇒ encurdelar。
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