タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero
daga (ダーガ)
古いスペイン語で、短剣のこと。ガウチョ の武器をかねたナイフとしては、あまり長くない、細長い諸刃(もろは)の剣をいう。つば (柄をにぎった手を守るふたのような部分) はない。
参照 ⇒ cuchillo、facón、puñal。
Dante A. Linyera (ダンテ・アー・リンジェーラ)
ルンファルドの多い日常のことばでしか書かなかった、ブエノスアイレスの詩人、ジャーナリスト、ボヘミアン。本名は フランシスコ・バウティスタ・リーモリ Francisco Bautista Rímoli (1903 - 38)。筆名は、イタリア・ルネサンスの大詩人、『神曲』を書いた ダンテ・アリギエーリ と、放浪者を意味するルンファルドの「リンジェーラ」を組み合わせたもの。父親はイタリアのカラブリアからの移民。早くに孤児になり、子どものころカンティーナ(イタリア食堂)を開いていた。16才のころから新聞に小さな記事や、詩を書くようになった。名高い歌詞集の雑誌『歌う魂 El Alma que Canta 』の常連寄稿者にもなった。自身で、子ども雑誌やサッカー雑誌の編集発行人をしたこともある。詩集はたった1冊しか出版されていない。タンゴの作詞も少ししたが、後の時代には、ほとんど歌われることがない。もともと演奏のためにつくられた音楽だったせいもあるが、本人もメロディとリズムにしばられる歌詞をつくるのは苦手だったらしい。そしてまた、貧しさの現実を知りつくした彼の視点・哲学は、ポピュラー音楽に乗せるには、ちょっときびしすぎた。
Boedo, vos sos como yo: | ボエード(地区名)、おまえは おれのようだ |
de mi flor (デ・ミ・フロール)
「わたしの花の」という意味で、すばらしい人や物の形容に使う。元来は、ガウチョのことばだったが、都会の人も愛用している。「わたしの」ものでなくても使う。
参照 ⇒ flor de.
la china de mi flor | とってもすてきな いなか娘 |
derecho de piso (デレーチョ・デ・ピソ)
直訳すると「床(ゆか)の権利」。19世紀の末に、馬車などで運搬の業務をする人(今日ならトラックやタクシーのドライヴァー)が、ブエノスアイレス市に収めなければならなかった権利金のことだったという。現代の用法では、なにかの活動を達成するために、次々と乗り越えなければならない障害、そのことの苦労、はらわなければならない犠牲をいう。
---Ahora tengo la suerte de venir a tocar a Japón. Pero creeme, tuve que pagar el derecho de piso. | 今わたしは運が開けて、日本に演奏に来れた。でも、ほんとの話し、これまでずっと苦労しなければならなかったんだよ。 |
derecho viejo (デレーチョ・ビエーホ)
昔ながらのさだめ・決まり、古い規則・法律、といった意味から、「四の五の言わずに、そのまま受け入れて」「すべて言われたとおりに」行動するときに、また「言うことに間違いがないから、なんでも信用できる」「嘘のないまっすぐな」人間にも使う。エドゥワルド・アローラス Eduardo Arolas (1892 - 1924) 作曲の同名のタンゴ(1916年)があるが、この曲は法科の大学生に献呈されているので、ことば遊びを含んだ(深い意味を考えてはいけない)タイトルと言える。
Se va la vida . . . | 人生は行ってしまう…… |
――タンゴ «Se va la vida»(命短し)1929年 作詞:María Luisa Carnelli
*アスセーナ・マイサーニ Azucena Maizani 歌。ここをクリック
descangayado (デスカンガジャード)
こわれそうな、使い古された(人、物事)。女性、または形(発音)から女性とみなされる物事に対しては、 “descangayada” (デスカンガジャーダ) という形を使う。語源は、ポルトガル語 “descangalhado” (デスカンガリャード=支えをなくして、こわれそうな・くずれそうな) とのこと。ブラジル南部から、ガウチョのことばを通じて、入ってきたのだろう。
Sola, fané, descangayada, | ひとりきりで、顔はしわだらけになって、今にも倒れそうな |
――タンゴ «Esta noche me emborracho»(今夜わたしは酔っぱらう――「今宵われ酔いしれて」という題が通用していますが……)
1928年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
diquero (ディケーロ)
派手に自分を見せびらかす(男、ものごと)。それが魅力的だと感心するニュアンスのときも、見えっ張りでイヤな感じというときもある。女性、および文法上女性とみなされるものごとに関しては、diquera (ディケーラ) という形をとる。
disco de acetato (ディスコ・デ・アセタ−ト)
78回転レコード(SP)盤で、金属円盤の上面にアセテート(酢酸樹脂)のコーティングをしたもの。樹脂はほとんど使い捨ての耐久性しかないが、1950年代(?)に、ラジオ放送用あるいは見本盤として使われた。最初に再生するときはふつうの盤とかわらないが、すぐに樹脂が磨耗して音質が劣化するので、市販の商品にはなれなかった。
disco de pasta (ディスコ・デ・パスタ)
78回転レコード(SP)盤。樹脂の1種の黒いパスタ(ペースト)が材料なので、この名がある。スペイン語各国共通語ではない。
domani (ドマーニ)
明日、あした。イタリア語をそっくりそのまま借用。スペイン語の “mañana (マニャーナ) とまったく同じ意味。参考 ⇒ la matina。
---Otro día me llevaste la revista. ¿Cuándo me la vas a devolver? | 「このあいだ、ぼくの雑誌を持っていったね。いつ返してくれる?」 |
Don Bosco (ドン・ボスコ)
イタリアのピエモンテ県生まれのカトリック司祭 ジュゼッペ・ボスコ Giuseppe Bosco (1815 - 88) は、教育者であり、サレシオ会の創設者。1934年に聖人の列に加えられた。
Don Chicho (ドン・チーチョ)
アルゼンチンのマフィアの首領だった フワン・ガリッフィ Juan Galiffi (1892 - 1943) の異名。もちろんシチリア島出身で、18才のときにアルゼンチンに渡ってきた。ロサーリオ市を本拠にして不法活動をしていた。対抗するボスを殺した事件がもとで、1933年に、イタリアに送還される。ムッソリーニと親交を結んだそうだ。最後はミラノで、自宅のベッドで亡くなった。
¡Qué falta de respeto, | なんという敬意の欠如! |
――タンゴ «Cambalache»(古道具屋)1935年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*ティタ・メレッロ Tita Merello 歌。ここをクリック
¿dove? (ドーベ)
イタリア語をそのまま借用して「どこ?」。ふつうのスペイン語の ¿dónde? (ドンデ) と、まったく同じ意味。
dulce de membrillo (ドゥルセ デメンビリージョ)
直訳は「マルメロの甘いもの(菓子)」。基本的な作りかたは、マルメロ membrillo の実を煮て、皮と種や芯の部分を少し取り除き(ペクチンが多く含まれる皮は取らないほうがいいと言う人もいる)、すりつぶし、それと同重量(あるいは80%)の砂糖と混ぜて、ふたたび、ゆっくりと煮詰めていく感じ。出来上がりの食感は、ジャムやジェリーというより、日本の羊羹 (ようかん) に近い。適当な容器(販売用のものは四角い箱)に詰めて冷蔵庫に入れておき、食べるときに切り分ける。
ポルトガルで発明されたのだとわたしは信じているが、スペインのカタルーニャ地方やイタリア、ラテンアメリカなど各地で名物になっている。
アルゼンチン=ウルグアイの大衆的レストランや食堂のデザートの定番だった(ステーキとポテトの食事のあとには、重すぎるとわたしは思いますけれど)。
別名を “postre del vigilante” (ポステレ デル ビヒランテ=パトロール警官のデザート) と呼ばれて、愛されていた。早い・安い・腹ごたえもカロリーもじゅうぶん!
無料動画サイト YouTube に、いくつか製法のビデオがあります。スペインからの投稿のようですが、
とりあえずここをクリックして、ごらんください。楽しいですよ、わたしには……。
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