タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero


F

facón (ファコーン)

 ガウチョ の道具であり武器であるナイフ類のなかで、いちばん長いもの(特に寸法の基準はない)。語源はポルトガル(ブラジル)語の facão (ファカォン=大きなナイフ)
 刀身は直線で、先がするどくとがっている。刀身の片側にだけ刃がついたものと諸刃 (もろは) のものがある。横から見てS字型あるいは半月型のつば(柄をにぎったこぶしをおおうガード)が付いている。古い剣や軍刀(サーベル)をリサイクルしたものもあった。鋼鉄のヤスリ(丸い棒状になっている)を、みずから研 (と)いで刃を付けたものが、もっとも切れ味・硬さにすぐれていて珍重された。
 参照 ⇒ dagacuchillopuñal

半世紀あまり前、日本のヤクザは、鋼のヤスリをていねいに研いで手製した短剣を
「ヤッパ」と呼んで、もっともすぐれた武器と考えていました。


factura (ファクトゥーラ)

 パン屋で焼かれる(菓子屋・ケーキ屋では売っていない)、甘いパン・ビスケットなどの類の総称。日本語の適訳はまったくないので、下の歌詞では「甘いビスケット」としておいたが、古くさい日本語の「菓子パン」でもいいだろう。チョコレート入りのクロワッサンとか、スコーンなども「ファクトゥーラ」に含まれる。日本の「あんパン」も仲間に入ると思う。ワッフルは?……わかりません……。要するに(何が要するにだ!)、朝食代わり・おやつに食べる、甘みのあるもので、食事のデザートにはしないもの。

下記の歌詞で、ココアを飲むのは、落ち着いた喫茶店に行こうと誘っているのです。
マテ茶は、男の部屋 garçonniere に連れ込もうとしています。
女性におごるお金も、自分の部屋もない男は……。


Cabaret . . . metejón . . .
un amor en cada esquina.
Unos se filan la mina
pa' tomar el chocolate;
otros facturas con mate
o el raje . . .
el raje para el convoy.

キャバレー……がまんできない恋ごころ……
どの街角にもひとつの恋。
ある男たちは甘いことばで女性を誘う
ココアを飲もうと、
また別の男たちは 甘いビスケットとマテ茶。
そうでない男は さっさと逃げだす
場末の共同アパートへ ひとりで まっしぐら!

――タンゴ «Pucherito de gallina»(プチェリート・デ・ガジーナ)1953年 作詞:Roberto Medina
*エドムンド・リベーロ Edmundo Rivero 歌。ここをクリック


fané (ファネー)

 年をとって、くずれた(顔・容貌)。ルンファルドというより、外来語という分類がふさわしいことばで、フランス語をそのまま流用。フランス語でも同じ意味、あるいは「色あせた」物事に使うが、元来は「(花・植物が)古くなって、枯れた・しおれた」こと。ルンファルドとしては、あまり一般的に使われることばではなかったはずだが、下記の歌詞で広く知られるようになった。


Sola, fané, descangayada,
la vi esta madrugada
al salir de un cabaret.

ひとりきりで、顔はしわだらけになって、今にも倒れそうな
彼女をわたしは見た、きょう夜明け前に
とあるキャバレーから出てきたとき。

――タンゴ «Esta noche me emborracho»(今夜わたしは酔っぱらう――「今宵われ酔いしれて」という題が通用していますが……)
1928年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


fayar (ファジャール)

 (人と約束していたことや期待されていたことを)果たさないで、人の信頼を裏切る(信頼するほうが悪いなんて言ってはいけません)。ふつうのスペイン語 “fallar” (ファジャール=故障する) と同じ語源。


Cuando la suerte, que es grela,
fayando y fayando
te largue parao;
cuando estés bien en la vía,
sin rumbo, desesperao;
Cuando no tengas ni fe
ni yerba de ayer
secándose al sol;
cuando rajés los tamangos
buscando ese mango
que te haga morfar,
la indiferencia del mundo
que es sordo y mudo
recién sentirás.

好運が――そいつは女だ――
あなたに 約束したはずのことを次々と裏切って
あなたとは手を切ってしまう、そんなとき、
あなたがまったく住むところも食べるものもなく
行く先はなく、絶望している、そんなとき、
あなたがなにかを信じる心をなくし
取っておいたきのうのマテ茶の葉も
日に乾いてなくなってしまった、そんなとき、
あなたを食わせてくれる
あのお金というものを探し求めて
歩き回って靴もこわれた、そんなとき、
この世界の冷淡さを
――世界は耳が聞こえず、ものも言わない――
ようやく、あなたは感じ取るだろう。

――タンゴ «Yira . . . yira . . .»(ジーラ・ジーラ)1929年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*イグナーシオ・コルシーニ Ignacio Corsini 歌。ここをクリック


fideo (フィデーオ)

 スパゲッティ、うどんなど、細長い麺類なんでもこう呼ぶ。スペイン語のどの国々でも共通の言葉。同義語:espagueti, tallarín.


filar (フィラール)

 犯罪者の隠語では「カモをだませるかどうか見極めるために、おしゃべりしながら、彼の顔色をうかがう」というような意味だったらしい。下の歌詞では「(女性を)くどく」という意味に使っている。
 参照 ⇒ afilar


Cabaret . . . metejón . . .
un amor en cada esquina.
Unos se filan la mina
pa' tomar el chocolate;
otros facturas con mate
o el raje . . .
el raje para el convoy.

キャバレー……がまんできない恋ごころ……
どの街角にもひとつの恋。
ある男たちは甘いことばで女性を誘う
ココアを飲もうと、
また別の男たちは 甘いビスケットとマテ茶。
そうでない男は さっさと逃げだす
場末の共同アパートへ ひとりで まっしぐら!

――タンゴ «Pucherito de gallina»(プチェリート・デ・ガジーナ)1953年 作詞:Roberto Medina
*エドムンド・リベーロ Edmundo Rivero 歌。ここをクリック


filo (フィーロ)

 ふつうのスペイン語では、「(ナイフなどの)刃」のこと。本来のルンファルドでは、「スリが盗んだものをものを、すぐ受け取って逃げる役目の人」および「顔色をうかがいながらだます詐欺師」の両方の意味があった(語源は別)。
 一般的、かなり日常的な俗語では、男性でも女性でも、結婚したいと思っている・望んでいる相手を指す。ふつうのスペイン語で、novio/novia (ノービオ/ノービア=いいなずけ・恋人の男性/女性) というのと同じくらい真剣なニュアンスのことばで、「引っかける」といった浮わついた話ではない。


flor de (フロール・デ・)

 「〜の花」ということで、もちろん実際の花のことをいうのがふつうだが、人や物に対して使うとき、最高級だという敬意・尊重・評価などをあらわす。
 参照 ⇒ de mi flor.


---¡Qué flor de macho!

なんと! 男らしさの見本だ!


---¡Flor de vago sos!

のらくら者の鑑(かがみ)だよ、おまえは!


folclore (フォルクローレ)

 英語フォークロア folklore(民俗伝承)のスペイン語化。アルゼンチン=ウルグアイでは、1960年代前半に一般化したことばで、それまではごく一部の学者しか知らなかった。本来の意味がかなり拡大されて、民間伝承・作者不明の民俗音楽・民謡といったものばかりでなく、それらから発した、あるいはそれらの感覚にもとづく歌・音楽・ダンスをこう称している。ひとことで言えば、さまざまの地方・地域の特徴をはっきり出した、ポピュラー音楽の1ジャンル。今日の「ワールド・ミュージック」ということばと、まったく同じ意味といえる。


fonda (フォンダ)

 現在スペイン語各地では一般に、郊外にある料亭といった感じの、昔の雰囲気をもった料理店を指す。アルゼンチン=ウルグアイでは、ガウチョの食堂がこう呼ばれた時代があり、現代では大衆食堂の感じで使われる。それほど使われない呼び名である。


fondín (フォンディーン)

 上記の「フォンダ」に、ジェノヴァ(イタリア)方言で軽蔑するニュアンスの語尾をつけたもので「安食堂」。港の労働者が来るところというイメージが強い。メニューは定食1〜2種類くらい、ワインも赤白各1種類くらいしかないような、もっとも安価な、貧乏人のための、みすぼらしい食堂をいう。味がいいという可能性はある。


“FONDÍN”
Olor a grasa, a grasa refreída,
se juna laburar a las mandíbulas.
Ruído, olores, todo se soporta,
¡pero, ché, en el puchero cuánta mosca!

「安食堂」
脂の匂い、くりかえし使い古した脂の匂い
――まわりに目をやれば、アゴを忙しく働かせているひとびと。
騒音、さまざまな匂い、ぜんぶ我慢できる、
だけど、おい、この煮込みスープの中の、蝿(ハエ)の数ときたら!

――詩集 «Versos rante(日陰者のうた)1961年 詩:Álvaro Yunque


Fondín de Pedro Mendoza,
que sos el alma del puerto.
En cada mesa las copas
cuentan la historia de mi pasión.
La ronca voz de un borracho
le canta al alba su diana
como en aquella mañana
brumosa y triste que te dejé.

ペドロ・メンドーサ通りの安食堂
おまえは港の魂だ。
どのテーブルでも グラスたちが
わたしの情熱の あの物語を語っている。
とある酔っ払いの塩辛(しおから)声が
夜明けの光に向かって朝の歌をうたう、
わたしがあなたから離れた
霧深く悲しかった あの朝のときのように。

――タンゴ «Fondín de Pedro Mendoza»(ペドロ・メンドーサ通りの安食堂)1931年 作詞:Luis César Amadori - Ivo Pelay
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
ペドロ・メンドーサ通りは、正式名は Avenida don Pedro de Mendoza で、ラ・ボカ地区の東南の辺をぐるりと縁取っている、リアチュエーロ川の岸の長い道路です。
この曲の作詞者は芝居の台本を書いていた人たちなので、かなりキレイごとの、メロドラマのイメージになっています。
メロディ(バンドネオン奏者 ラウール・デロソージョス Raúl de los Hoyos 作)には、「港の魂」を感じますね、わたしは。


formativo (フォルマティーボ)

 金持ちではない人たちが、お金を出し合って開くダンス・パーティ。1910年代に、いちばん盛んだったと思われる。地域のコミュニティで(大きなコンベンティージョなら、そこの住人だけで)、自分たちで会費を集め、酒類・食料品店などダンスの空間がある場所を借り(コンベンティージョの中庭でも)、音楽家たちにご祝儀を払って、自分たちでワインや食べものを用意し、自分たちだけで楽しんだ。町の有力者・顔役といった人が、経費の大部分を負担して、安い会費を取って開くものもあった。
 これに似た会費制の、家族的なダンス・パーティは今日も存続しているが、《ミロンガ》という総称で片づけている。「フォルマティーボ」とは、みんなで集まって形をつくったもの、というような意味。


franchute (フランチューテ)

 「フランスの(人、もの)」。気取っているとか、振る舞いがわざとらしい、とか、皮肉・からかいのニュアンスが入ったことば。軽い差別用語といえる。参考 ⇒ afranchutado


frate (フラーテ)

 きょうだい。“fratello” を省略した、軽い言いかた。


fratello / fratelo (フラテッロ / フラテーロ)

 きょうだい。イタリア語をそのまま借用。スペイン語の “hermano” (エルマーノ) とまったく同じ意味だが、イタリア語を使うことで親近感・交情が深まる感じがする。実際の兄弟でない、兄弟のような親友・同胞にも使う(そのほうが、よく使われるかも)。

スペイン語、イタリア語、その他たくさんの言語で、日本語では必ず区別する「兄」と「弟」は同じことばなので、
日本の翻訳者はいつも悩んでしまいます。


Fray Mocho (フライ・モーチョ)

 アルゼンチンのジャーナリスト・エッセイスト・作家、ホセー・アルバレス José S. Álvarez (1858 - 1903) のペンネーム。エンテレリーオス州グワレグアイチュー Gualeguaychú に生まれ、同州のコンセプシオーン・デル・ウルグアイ Concepción del Uruguay 市で高等教育を受け、同地でジャーナリストとなった。22才のころからブエノスアイレスに住んで、新聞・雑誌に、独自の視点をもった、そしてユーモアにあふれ、鋭い観察のルポルタージュ記事、街の人々を描いた読み物を書いて、人気者になる。そのころから本名は忘れられ、筆名のほうが有名になった。
 1886〜87年の数ヶ月間、警察からスカウトされて捜査局員となり、犯罪者の情報の収集整理の仕事をした。それほど裏社会に通じていたのだ。
 1898年に週刊誌『顔たちと仮面たち Caras y Caretas 』を創刊、初代編集長となる。この雑誌は、都会や地方のさまざまなタイプの人間たちの生きかたを描いた、するどい観察のおもしろい読み物と、同じくらいの比重で巧みなカリカチュア・イラスト類を掲載して、広い層の読者に喜ばれた。彼はその後同誌を離れたが、彼のペンネームをそのまま誌名にしたイラスト入り雑誌は1940年代まで存続していた。彼は民衆のジャーナリストのシンボルになってしまったわけだ。
 彼の作品では、アルゼンチン〜チリ南端の土地パタゴニアを舞台にした船乗りたちの物語り『南の海で En el mar Austral』がもっとも有名だが、わたしたちにとっては、1897年出版の『一巡査の回想 Memorias de un vigilante 』が、貴重この上ない初期のルンファルド文献である。

この本は、インターネット上の図書館 www.scribd.com で読むことができます。
また、彼が著者である警官用の顔写真入りハンドブック『首都の犯罪者たちのギャラリー 1880−1887年 La Galería de Ladrones de la Capital 1880 -1887 』などもインターネットにあります。


fuelle / fueye (フエージェ)

 ふつうのスペイン語では、鍛冶屋の使う「ふいご」のこと。空気を送って火を強くするために、蛇腹(じゃばら)式の装置を使う。そこから、昔のカメラに使われていたものなど、なんでも蛇腹のことをフエージェというようになった。
 タンゴでは、バンドネオンの蛇腹がこう呼ばれ、また、バンドネオンそのものを指すことばにもなっている。


fuellero / fueyero (フエジェーロ)

 バンドネオン奏者。


fulbo (フルボ)

 サッカーのこと。英語 “football” の、アルゼンチン〜ウルグアイでのなまった発音を、そのまま文字に写したもの。


fule (フーレ)

 下記のことばの省略形。言いかたが乱暴なだけで、意味はまったく同じ。


fulero (フレーロ)

 悪い、よくない、ボロボロの、みすぼらしい、貧しい、顔が見にくい、偽物の、安物の、etc...
 カローに起源があり、スペイン俗語を経てルンファルドに入ったことば。
 女性、および文法上女性とみなされるものごとには fulera (フレーラ) という形を使う。


funghi (フンジ)

 ⇒ funyi


funyi (フンジ)

 帽子のこと(どんな帽子でも)。イタリア語"fungo" (フンゴ)――菌類、マッシュルーム――の複数形 "funghi" (フンギ) が、ジェノヴァ方言とまざってできたことばらしい。ルンファルドでは、これで単数形として使う。
 人によっては、"funghi" と書くが、発音はその場合も「フンジ」が一般的。


furbo (フールボ)

 賢い・利口な・頭が切れる男。しばしば、悪い意味で賢い、つまり、巧妙に人をだます男にも使う。女性なら furba (フールバ)
 イタリア語をそのまま借用。


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