Manuel Torre lorca-chico Nina de los Peines

フラメンコのスペイン語


概説 フラメンコのスペイン語


スペイン語は 現在、世界各地の広い地域で、たいへん多くの人が使っている言語ですので、
どこのことばを基準と定めるというようなことは、もう、スペイン1国内でさえ不可能な状態です。
「方言 el dialecto 」という分類は、いまでは学者・研究家はあまり使いません。
ぜんぶが「スペイン語 el español または la lengua española 」です。

フラメンコは、スペインのアンダルシーア州(現在の行政区分では「自治共同体」と呼ぶのが正しい)
la comunidad autónoma de Andalucía ――首都セビージャ Sevilla ――の
民衆が生んだダンス・音楽・歌です。
アンダルシーアは、ヨーロッパ大陸の南西部にあり、気候はほぼ北アフリカと同じです。
数千年の長いあいだにわたる、陸路よりもむしろ 地中海・大西洋の海を通じた、
さまざまな人間・文化・その他もろもろの生活要素の衝突と交流によって、
スペインの他の地方とは異なる独自の性格が生まれました。


*アンダルシーアといっても必ずしも一様ではありません。正式な地理・行政区分ではありませんが、アンダルシーアを
「低い(=南の)アンダルシーア Baja Andalucía 」と 「高いアンダルシーア Alta Andalucía 」に分ける人がいます。
 フラメンコの発祥地は「低いアンダルシーア」のほうで、グワダルキビール Guadalquivir 川流域の平野地帯です。
 現在の県 provincia の名前でいうと、セビージャ Sevilla 県、カディス Cádiz 県、コルドバ Córdoba 県の一部などです。
 でも、この分類には、あまりこだわってはいけないと思います。


この地方の日常生活はもちろん、感情表現・芸術・文化といったものもすべて、
ここ独特のスペイン語の中で生きてきました。
フラメンコの歌はもちろんですが、ギターも踊りもすべて、このスペイン語で語り、表現しているのです。
canto 一般的スペイン語で、歌うこと、歌声。  canción 一般的スペイン語で、歌・歌曲。
cante フラメンコの歌。
cantante 一般的に、歌手(男女ともに)。  cantaor/cantaora  フラメンコの歌い手(男性/女性)。
bailarín/bailarina 一般のダンサー(男性/女性)。  bailaor/bailaora フラメンコのダンサー(男性/女性)。
toque フラメンコ・ギターの演奏。
baile (踊り・ダンス)というスペイン語は、どんなジャンルにも使われる一般的なことばです。
特にフラメンコを指すときは、baile flamenco と言わなければいけません。
また、一般的な danza (舞踊・舞曲)ということばは、フラメンコにはそれほど使われないようです。単に慣用の問題です。
「スペイン舞踊」は、la danza española といわれることが、実際には、より多いですが、
この使い分けには理由・根拠はなく、口ぐせみたいなものです。



フラメンコのスペイン語


 スペイン語は、全体的にしっかり統一された言語で、「フラメンコのスペイン語」――正しくは、「アンダルシーアのスペイン語」です――といっても、ほとんどの単語や語句は 他の地域でも広く使われている、ふつうの一般的スペイン語と変わりありません。

*これについて、余談があります。読みたい方はここをクリック


 アンダルシーアのスペイン語は、発音の面で、数百年前から首都マドリードのスペイン語に、そしてラテンアメリカ各地のスペイン語に大きな影響を与えてきました。
 カンテは、アンダルシーアのスペイン語でうたわれます。しかし、歌い手のスタイルにより、歌詞の内容により、または、ただその場の流れ(口の動くまま)にまかせて、より一般的なスペイン語発音がされることもあります。(日常会話のすべての場面で、アンダルシーア発音と、より一般的な発音が混在していることは少なくありません)
 フラメンコ〜アンダルシーアのスペイン語の特徴を、いろいろな面から見てみましょう――


a) 発音


 全体的には、一般的な現代スペイン語と同じです(アンダルシーアの発音が、他の地方でも広く使われるようになったので、こんなことが言えるわけです)。
y, ll の音は、いずれも、英語やフランス語の /j/ の音で発音されます。日本語の「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」の にごった音です。
(日本語の「ジャ・ジュ・ジョ」などは、別の音ですので注意。/dj/ の音なんです。こちらのカタカナ表記は「ヂャ……」とするほうがいいのですが、「ジャ……」と書くのが慣習になっています)
例: Sevilla セビージャ(日本では「セビリヤ」「セビリア」という書きかたが一般的になっています。「セビーリャ」という発音は、他地方のスペイン人の中でも、ごく少数派です)
  paella パエージャ(日本では「パエリア」と書かれていることが多いですね)
  yo ジョ (わたし)
l は舌先が上歯ぐきなど口内のどこかに触れて出る音です。r は、舌先がどこにも触れないで発音される音です。アンダルシーアでは、この区別がいいかげんになってしまう人・場合が ときたまありますが、全体的には、しっかり区別しています。
 r は、一般スペイン語では、いわゆる巻き舌の発音が優勢ですが、アンダルシーアでは、あまり舌先を震わせない傾向にあります。巻き舌にはならなくても、舌先は口内のどこにも触れません。これが鉄則です。
 -r の音は、特に動詞の不定法などでは発音されないほうがふつうです。前の母音を、口の中にこもった感じに伸ばすことで 表現される場合が多いです。非常によく使うことばでは、r の次の音までいっしょに消してしまうことがあります。(不定法 infinitivo は辞書の見出し語に使われている形です。便宜上「動詞の原形」と呼ぶ先生がいますが、間違いです。動詞の原形などというものは、数千年の歴史の中に消えてしまいました。不定法は、簡単に言うと、「〜すること」という意味で、動詞を名詞の役割で使うために作られた形です、数千年前に!)
例: cantá y bailá (カンター イ バイラー)<cantar y bailar 歌うことと踊ること、または、歌って踊れ
  ¿Qué quie? (ケキエー)<¿Qué quiere? あなた・彼・彼女は 何がほしい?
 前に母音(a, e, i, o, u の音)、次に子音(a, e, i, o, u 以外の音)がきたときの -r- は、発音しないと意味が通じないので、発音はされますが、あいまいに口の中で空気が鳴っている音で――英語の場合と似たような現象です――、文字に書けない音です。19世紀末のフラメンコ歌詞集では、この音を -j- あるいは -s- の文字にしています。
例: cajne (カハネ――カタカナでは書けないんですが)<carne
 l は、次に子音が来るとき、r で発音されることが多いです。
例: er mundo (エルムンド) <el mundo 世界。 ただし el amor (エラモール――l の次が母音なら一般的スペイン語と同じ発音)
  r, l の発音をサボることから生じた、変ななまりで、それが ほとんど正式なことばと認められているような場合があります。
例: la Vinge (ラビンヘ)<la Virgen おとめ(マリア様)
  er Guardaquiví (エルグワルダキビー)<El Guadalquivir グワダルキビール川
  Garbié (ガルビエー) <Gabriel ガブリエール(男性名)
sa, se, so, su / za, ce, zo, zu を 発音し分けることはありません。これは今日のスペイン語世界の広い範囲の全般的な傾向です。
 大多数の人は、両方とも /s/ の音で発音します(音色の差は地域・人により、ありますが)。
 その他の人は、英語の th の澄んだ音(the でなく thing の音)――発音記号 /θ/――で発音します。後者の比率は、アンダルシーアでは、他のスペイン語地域より大きいようです。これは /ts/ に聞こえるときもあります。
例: atsuca (アツーカ)<azúcar 砂糖
 si, ci, zi は、日本語の「シ」に近づいた、あるいはまったく同じ発音 /shi/ です。一般的なスペイン語では、カタカナで「スィ」と書きたい発音(たとえば英語の sea, see のように)をする人も少なくありませんが、アンダルシーアでは、そういう発音をする人はめったにいません(世界的にも減っていく傾向です)。
 上記のとおり、si, ci, zi を、どれも /θi/ で発音する人は、アンダルシーアには多くいます。昔から今まで、よその地方の人や外国人(ラテンアメリカでも)には、ヒターノ、そしてアンダルシーア人はみんな、そういう発音をするものだという固定観念があって、芝居の脚本や小説の中の会話では “Zí, zeñó” (シー セニョー) <Sí, señor なんて書かれてます。
-s の音は、特に動詞の活用で第1人称単数・第2人称単数や名詞の複数形をあらわしている場合、まったく発音されないのがふつうです。後ろに子音が来たときには、空気をホッと吐き出すような音であらわすことがあります。歌詞を聴き取ったものなどで、この音を または h, j の文字で書く人もいます。(第1人称単数・複数は、話し手と仲間たち、すなわち「わたし」「わたしたち」、第2人称単数とは、心情的な距離感の近い話し相手「あなた」――神様、仲間、子どもなど――を指す概念です)
 -s の後ろに母音が来たときは、その空気音のこともあれば、はっきり発音されるときもあります。また1種の r に聞こえるときもあります。
例: Buenor díaj./Bueno’ día’. (ブエノル ディーア/ブエノ ディーア――どちらもアンダルシーア発音ですが、前者は今日では首都マドリードの民衆的発音になっていて、r を巻き舌にします。アンダルシーアでは後者が多数派です)<Buenos días. おはよう。こんにちわ。
  No no vamo todavía. (ノー ノバーモ トダビーア) <No nos vamos todavía. わたしたちは まだ行きませんよ。
  Ahora tú cantaj. (アオーラ トゥカンタ’) <Ahora tú cantas. こんどは あなたが歌うんですよ。
  lo jarmine (ロ ハルミーネ) <los jazmines ジャスミン(複数)
特殊な例: sentraña mía (センタラーニャ ミーア) <(la)s entrañas mías わたしの内臓(=わたしの体の一部と思って愛している人)
●他の音にはさまれた -d- は、弱く、いいかげんに発音されるか、まったく消えてしまいます。
例: mirá (ミラー) <mirada まなざし
  casao (カサーオ) <casado 結婚している、結婚した(男)
  comío (コミーオ) <comido 食べた、食べられた(もの)
  To e na. (トー エ ナー) <Todo es nada. すべては無だ。
  Tú puej. Yo no pueo. (トゥプエー? ジョノプエーオ) <Tú puedes. Yo no puedo. あなたはできます。 わたしはできません。
 /d/ が発音されないほうが、アンダルシーアでは標準的あるいは正式(?)になってしまったことばも少なくありません。
例: mare (マーレ) <madre
  pare (パーレ) <padre
  vía (ビーア) <vida いのち、人生、生活
  verea (ベレーア) <vereda 歩道
  zapateao (サパテアーオ) <zapateado サパテアード(靴で床を鳴らす踊りの技法)
 語尾の -d は、発音されません。これは一般スペイン語の話しことばでも同じです。
例: Soleá <Soledad ソレダー(女性名)
  Triniá <Trinidad ティリニダー(女性名)
 なお、人名や地名に関しては、日常会話でも、サボった発音ではなく、字に書かれたとおりに、正式に発音することが、かなり多いです。
 たとえば、歌では当たり前になっている Cai <Cadiz (カディス)Graná <Granada (グラナーダ) といった省略発音は、ふつうの会話では、わたしは聞いたことがありません(わたしの見聞は、あまりにも狭い範囲ではありますが)。
h (一般スペイン語では、まったく無音)j (のどから吐き出されるような音)f (上の歯と下くちびるのあいだを通って出る音。日本語のは両くちびるのあいだから出るので別の音)は、しばしば混同されます。
例: ¡Juera! (フエラ!) <¡Fuera! 出て行け!
  jambre (ハンベレ) <hambre 空腹
  jecho (ヘーチョ) <hecho 作られた(もの)
hua, hue, hui (ウワ、ウエ、ウイ)gua, gü, güi (グワ、グエ、グイ)bua, bue, bui (ブア、ブエ、ブイ)のたぐいは、しばしば混同されます。アンダルシーアに限らず、スペイン語の世界全体でそうなのですが。
例: Tá mu güeno. (ター ムグエーノ) <Está muy bueno. とても いい状態にあります、とてもおいしくできています、とてもいい感じです、etc...
ch の音は、標準音は 日本語の「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」の音ですが、地域・個人により、英語の sh (日本語のシャ・シュ・ショなどの音)で、あるいは上記 /θ/ の発音もあります。まだ少数派すぎるのでしょう、こういう発音をスペイン語学会は無視していますが。
 同じ人が、この3種をまぜこぜに発音しているのも聞きました。そのときの流れ次第で、どれでもいいんでしょう。それらの中間的な音もありますし。
極端な例: ¡Bonanoze! (ボナノーセ) <¡Buenas noches! こんばんわ、おやすみなさい(要するに、夜のあいさつのことば)
●母音に関しては、弱い i の音が e になってしまうこと、弱いo が弱い u (一般的な日本語の「ウ」の音) になることもあります。また、ふたつの母音がつながるとき、片方が消えることもあります。
例: No sabe estinguí. (ノサーベ エスティンギー) <No sabe distinguir. あなた・彼・彼女は それがほかとは違う特別な価値を持っていることがわからない。
  S'ha marchau. (サマルチャーウ) <Se ha marchado. あなた・彼・彼女は 行ってしまった。
  e'perencia (エペレンシア) <experiencia 経験
●なお、歌手は、歌詞の内容・スタイルにより、また声楽上の技巧あるいは個人的な美学での判断にしたがって発音しますので、必ずしも日常生活での発音と同じではありません。
 また、同じ人が同じ音を発音していても、イントネーション(口調、表情、抑揚、話の流れ)によって、微妙に(ときには、かなり)違った音に聞こえます。これは科学的・数量的な分析は(たぶん)絶対にできません。
*アンダルシーア発音について、むだばなしがあります。読みたい方はここをクリック



b) ヴォキャブラリー(使われる単語)


 根本的には、ふつうのスペイン語と同じです。そこにアンダルシーア独自のものを指すことば、地方的な言いまわしなどが加わっているわけです。
 アンダルシーア独自というと(じつは他の地方にも広がっていますが)、ヒターノの言語カロー caló があります。カローは、ロマ民族の言語(源は遠くインド)がスペイン語化したもので、世界の他のロマ(ジプシー)たちとの会話はまったくできないくらい、変形されています。
 ヒターノはスペインの住人になってしまったので、いく世代にもわたってスペイン語で生きてきました。完全にカローで会話することのできる人は、もうほとんどいないでしょう。スペイン語の中に、ちょっとだけ混ぜて使われます。
 いくつかの単語は、カンテの歌詞・日常会話にも使われ、ヒターノでない人・ふつうのスペイン人のヴォキャブラリーにも入ってきました。
 なお、カローは、時の流れとともに新しいことばを増やして発展してきた言語ではなく、逆に、百年以上前に発展が止まり、時とともに忘れられ、使われる範囲がせばまり、ヴォキャブラリーがどんどん減ってきた言語です。そのため、生き残った数少ない単語に、さまざまの意味・ニュアンスを含ませて、使っています。その解釈には、ヒターノの、あるいはアンダルシーア人の 感じかた、考えかたを、深く感じとる心が必要です。
 名詞には定冠詞をつけません。複数形はあったとしても、-s を発音しないので、同じことですね。
 比較的おなじみの単語を少し挙げておきましょう。
debé, undebé   gaché, gachó 非ヒターノの男  gachí 非ヒターナの女
payo 非ヒターノの人間、スペイン人  chabal, chabá 男の子、若者  duca(s), duquela(s) つらさ、くるしみ
 動詞はすべて、不定法の形が -ar です(実際には、不定法はほとんど使いませんが)。スペイン語のように活用します。
 理論的には、どんな活用形もできるはずですが、実際に使われているのは、第1人称と第3人称(ここに第2人称も含む)の単数形がほとんどです。また、実質的には、現在と不完了過去の 2つだけで活用します。それ以外の時制は実際問題として不要なのです(命令には第3人称単数の現在形を使うのが、正しいスペイン語文法なのですし)。
camelo わたしは のぞむ、好む、恋する、異性に言い寄る、誘惑する。  camela あなた・彼・彼女は のぞむ……。のぞみなさい!  camelaba わたし・あなた・彼・彼女は のぞんだ……。
chanelo わたしは 知る、知っている、わかる。  chanela あなた・彼・彼女は 知る……。知れ!  chanelaba わたし・あなた・彼・彼女は 知った……。
terelo わたしは 持つ。  terela あなた・彼・彼女は 持つ。持て!  terelaba わたし・あなた・彼・彼女は 持った……。
peno, chamuyo わたしは 言う、話す、口に出す。  pena, chamuya あなた・彼・彼女は 言う……。言え!  penaba, chamuyaba わたし・あなた・彼・彼女は 言った……。



c) 文法


 文法は一般的スペイン語と、まったく変わりません。
 話す人自身――日本語の「わたし」――を、文法では第1人称と呼びます。スペイン語では、どんな場合でも(日本語では、おれ、あたし、ぼく、わし、etc. 使い分けますが) yo (ジョ) です。
 話している相手――日本語の「あなた」――は、第2人称です。第2人称(あなた)は、話している自分と距離感の近い人は、スペイン語のほとんど全域で (トゥ) です。
 第1・第2人称以外は、距離感のある「あなた」も含めて、みんな第3人称としてしまいます。(なお、それぞれが単数か複数かも明白にしないといけません)
 スペイン語では(他のインド=ヨーロッパ語族の諸言語と同様に)、動詞――「〜の動作をする、〜の状態にある」という意味をあらわすことば――は、人称にしたがって語尾が変化します。いわゆる動詞の「活用」です。活用した形で 主体が何なのかわかるので、主体の単語(いわゆる主語)は省略されることが多いのです。
 アンダルシーアの一部では(また、人により)、2人称複数(あなたたち)形の vosotros ボソートロス(女性 vosotras ) を、単数の「あなた」に対して使うことがあります。動詞も第2人称複数の活用形を使います。この用法は、いちおう、ていねい語(距離を保つほうが礼儀にかなっている相手に使う)なのです。古いカンテの歌詞には、この用法は、現代より多くあります。
Hoy e feriao, ¿no sabéi? (オイ エ フェリアーオ、ノ サベイス) <Hoy es feriado, ¿no sabéis (=sabes)? 今日は休日ですよ、あなた 知らないの?
 このときの命令法は、-d という形になります。最後の音は、スペイン語全般的に発音されません。
 アンダルシーアでは、動詞の不定法(辞書に出ている形)をそのまま、命令法として使うことのほうが、より多いようです。不定法はどの動詞でも -r であり、この語尾の音も、発音しないことが多いので、結局は同じことばになりますが。
¡Mirá! (ミラー!) <¡Mirad!, ¡Mirar! ごらんなさい!
 アンダルシーアのスペイン語の特徴に、どんな種類のことばにでも、-illo (-iyo)/-illa (-iya) (男性形/女性形)-cito/-cita; -ito/-ita といった語尾を ひんぱんに付けることが挙げられます(ニュアンス・用法が少し異なりますが、メキシコのスペイン語もそうです)。
 こういう語尾は、伝統的な(つまり古い)文法では「縮小辞 diminutivo 」と呼ばれてきましたが、この名称は誤解を招きやすいです。長年かけてようやくまとまった現代スペイン語の「新しい文法」では――縮小辞ということばを便宜上使ってはいますが――「そのものへの(話し手の)評価を表わす接尾語 sufijo apreciativo」のなかの1種類として、こまごまと解説しています。
出典 Real Academia Española - Acociación de Academias de la Lengua Española: «Nueva gramática de la lengua española / MANUAL», 2010
 上に挙げたアンダルシーアの接尾語たちは、縮小辞という名前のとおり、付いたことばに「小さい」というニュアンスを付けるときもありますが、「かわしい」「いとしい」といったニュアンスのプラスの評価、「ちっぽけな、とるにたらない」といったマイナスの評価もあらわす場合があります。さらに、プラスもマイナスもなく、単に話し手の気持ちがそのものに向いていることがあらわれているだけの、意味のない使われかたも、たいへん多いです。こういう気持ちの動きには、文法学者の分析も なかなか ついていけませんね。
gitaniyo (ヒタニージョ) <gitano 小さなヒターノ、かわいいヒターノ、どうでもいいヒターノ、くだらないヒターノ、(単に)ヒターノ。
una vuertecita (ウナ ブエルテシータ) <una vuelta ちょっとひとまわり
momaíta (モマイータ) <mamá 母親、おふくろ。
hincaíto de roílla (インカイート デ ロイージャ) <hincado de rodillas (心をこめて)ひざまずいて

*この項について、志風 恭子(しかぜ・きょうこ)さんより助言をいただきましたので、書き直しました。
志風さん(セビージャ在住)は、日本人で唯一(つまり最高)の、全面的なフラメンコ研究家です。



d) 歌の技巧のためのことばづかい


 カンテ・フラメンコでは、同じことの繰り返しをきらい、自分なりに変える自主(あるいは反抗?)精神がたいせつです。また、メロディのフレーズを伸ばす技巧のためにも、意味の上では必要ない、でも美意識の上では必要な音・ことばを足していきます。
 ¡ay!, y, que などのことばは、音楽の一部として とても重要なのです。歌い手が、いいかげんに、むだに入れているわけではありません。もちろん、即興的ですが、確固たる美学にもとづいたものです。
 また、歌いだしのことばの頭の音をひとつか ふたつ声に出さないで、歌い手の頭の中に置いておく技法もあります。歌詞を伝えるという 歌い手の役目を果たさない、邪道の技法ですが、うまくハマると、聴き手の頭にも聞こえない音が感じられて、思いがけない感動をよびます。
 これらの歌の技法では、女性の ニーニャ・デ・ロス・ペイネスさん Pastora Pavón “La Niña de los Peines” (Sevilla 1890 - 1969) が、フラメンコ史上最高の巨匠です。アンダルシーア発音と、より一般的なスペイン語発音のバランスも絶妙(ぜんぶ即興で自然です)。同時代および後世の男女の歌い手たちの 手のとどかないお手本でありつづけています。このページの上に銅像を建てさせていただきました。



◆記事のリンク・引用などは自由です。引用なさる場合は、出典を記してください。
© 2014 Masami Takaba

⇒ トップ・ページにもどる

inserted by FC2 system