タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero


L

la (ラ)

 文法用語で定冠詞と呼ばれるもので、文法上《女性タイプ》に分類される名詞(無生物や抽象的な概念でも)の前に付けて、「その、あの、この」と特定するニュアンスを与えたり、その名詞の存在感をはっきりさせることば。英語の “the” やフランス語の “la” とほぼ同じように使う。日本語に訳せないことも多いが、スペイン語の考えかたでは必要不可欠のことば。
 辞書の見出し語や、種々のリストなどでは、このことばを除いたABC順に配列することも少なくない。この辞典では、場合に応じて、la が付いたのも付かないのも、両方とも見出し語にしてあります。


La C.....ara de la L...una (ラ カラ デ ラ ルーナ)

 モンテビデオ生まれのピアニスト、マヌエール・カンポアモール Manuel O. Campoamor (1877 - 1941) 作曲のタンゴの題名。彼は、1905年に、「もうわたしのタンゴは時代遅れだ」と作曲をやめたので、それ以前の作品。
 意味は、「月の顔」なのだが、この題名を、……の部分をつっかえながら言えば、聴いた人はだれでも「ローラ(女性名)のXXX」という、バカバカしいけれど、人前では口にしてはいけない、驚き・ののしりのことばを連想する。タンゴが演奏される場所はほとんどすべて、ダンスのための、娼婦のいるところだったので、その環境では、この題は大笑いを誘い、大いに受けたろう。この作者のタンゴには、あと2〜3曲、怪しい題名のものがある。
 題名は下劣と言えば下劣だけれど、音楽は単純素朴な魅力をもち、曲を聴くと、「月の顔」は愛らしいんだな、と思わせないでもない。
 なお、「ローラの……」ということばは、悪いことばだけれど、たぶん今日まで、広く(?でもないか)使われつづけている。上品な人でも使ってしまう。口癖になってしまうと、治らないものだ。


La cumparsita(ラ クンパルシータ)

 ⇒ cumparsita


la Gaucha Manuela(ラ ガウチャ マヌエーラ)

 ⇒ Gaucha Manuela


La Razón (ラ・ラソーン)

 アルゼンチンの有力新聞。1905年に、ジャーナリストの エミーリオ・モラーレス Emilio Morales が創立。現場の記者・編集者が経営するアルゼンチン最初の新聞となった。最初は夕刊(午後版と夜版)のみの発売。1911年に編集長が代わったので、ボターナ を主導者にする大物記者たちが脱退した。しかし着実に読者を増やし、1939年に、ある富豪の起業家一族に買い取られた。ペローン政権時代は国に接収され、1947〜55年は、大統領夫人エバ・ペローンにコントロールされていた。この間、1952年に発行部数50万部で、ラテンアメリカ最大の新聞になった。ペローンが軍事クーデターで倒れた後に、もとの経営者に返却された。その後の経営は順調ではなく、一時はブエノスアイレス市が配布する無料新聞になったが、2000年より、マスメディア・ネット《クラリーン Clarín》・グループが買取り、ふつうの朝夕刊紙にもどった。


la matina (ラ マティーナ)

 朝、午前。イタリア語 “la mattina” (ラ マッティーナ) の借用。スペイン語にも “la mañana” (ラ マニャーナ) という、まったく同じ意味のことばがあるのに、イタリア語を使うのは「朝」ということを(多少なりとも)強調するため。参照 ⇒ domani


---Me despertaron, . . . ¡a las seis de la matina!

「起こされちゃったよ……の6時に!」


la Quinta del Ñato (ラ・キンタ・デル・ニャート)

 ⇒ ñato


laburar (ラブラール)

 働く、仕事をする。下記の名詞を動詞化したもの。


laburo (ラブーロ)

 仕事。単に「仕事、労働」を指すこともあれば、「たいへんな」「めんどくさい」「こみいった」「つらい」といったニュアンスを含むことも多い。男性が女性をくどく作業も、どろぼうをすることも、こう呼ばれる。語源はイタリア南部の方言。


---¡Qué laburo, che!

「いやぁ、 たいへんな仕事だね!」


ladrón (ラドローン)

 ふつうのスペイン語で「どろぼう」のこと。ただし、アルゼンチン=ウルグアイでは、少なくとも19世紀後半から、スリ、かっぱらい、強盗、詐欺師まで、悪事で人の物や金を取る人を、すべてこの名前のもとに呼んでいる。「悪党、悪漢」といった一般的な呼び名だ。


Lágrimas y Sonrisas (ラグリマス・イ・ソンリーサス)

 ふつうのスペイン語で「(数々の)涙と(数々の)ほほえみ」という意味で、ブエノスアイレスのレクリエーション・センター(centro recreativo)の名前。会員になると、このセンター(公立ではない)で開かれる各種イベントに、家族・友人グループなどで参加できる。庶民的な社交クラブといえる。土曜日のダンス・パーティがお目当て。
 イタリア系のクラシック音楽家 パスクワール・デ・グッロ Pascual de Gullo 作曲の、同名のワルツ vals(1910年代初め)――日本では『涙と笑い』の題が定着している――は、このパーティのためにつくられたのだろう。彼がこのサロンのダンス・オーケストラを指揮していたのだと思われる。


largada (ラルガーダ)

 手放すこと、手渡すこと、出て行くこと、縁を切ること、 etc。競馬用語では「発走」。


largar (ラルガール)

 ふつうのスペイン語(の口語)といえると思うが、ルンファルドでは意味がたいへん広がっている。追い出す、追い払う、手渡す、手放す、(男女の)縁を切る……。競馬では「レースをスタートさせる」(日本語の「発走」させる)。


¡Largá esa mano!

その手を放しなさい!。


¡Larguemos de aquí! Ya no hay más vino ni comida.

ここからさっさと出ていこう(←自分たちを追い出そう)よ! もうワインも食べ物もなくなったよ。


largar parado (ラルガール・パラード)

 ほったらかしにする、置いてきぼりにする。多くの場合、恋愛関係に使い、「縁を切る、ふる、見捨てる」といった意味。
 参照 ⇒ parado


Cuando la suerte, que es grela,
fayando y fayando
te largue parao;
cuando estés bien en la vía,
sin rumbo, desesperao;
Cuando no tengas ni fe
ni yerba de ayer
secándose al sol;
cuando rajés los tamangos
buscando ese mango
que te haga morfar,
la indiferencia del mundo
que es sordo y mudo
recién sentirás.

好運が――そいつは女だ――
あなたに約束したはずのことを次々と裏切って
あなたとは手を切ってしまう、そんなとき、
あなたがまったく住むところも食べるものもなく
行く先はなく、絶望している、そんなとき、
あなたがなにかを信じる心をなくし
取っておいたきのうのマテ茶の葉も
日に乾いてなくなってしまった、そんなとき、
あなたを食わせてくれる
あのお金というものを探し求めて
歩き回って靴もこわれた、そんなとき、
この世界の冷淡さを
――世界は耳が聞こえず、ものも言わない――
ようやく、あなたは感じ取るだろう。

――タンゴ «Yira . . . yira . . .»(ジーラ・ジーラ)1929年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*イグナーシオ・コルシーニ Ignacio Corsini 歌。ここをクリック


¡Largaron! (ラルガーロン)

 競馬実況中継などでのことば、「スタートしました!」。参考 ⇒ largar


la (ラス)

 文法用語で定冠詞と呼ばれるもので、文法上《女性タイプ》に分類される名詞(無生物や抽象的な概念でも)の複数形の前に付けて、「それらの、あれらの、これらの」と特定するニュアンスを与えたり、その名詞の存在感をはっきりさせることば。英語の “the” やフランス語の “les” とほぼ同じように使う。日本語に訳せないことも多いが、スペイン語の考えかたでは必要不可欠のことば。
 辞書の見出し語や、種々のリストなどでは、このことばを除いたABC順に配列することも少なくない。この辞典では、場合に応じて、las が付いたのも付かないのも、両方とも見出し語にしてあります。


Laura (ラウラ)

 19世紀の末から1910年代半ば過ぎまで、「ダンスの家 casa de baile 」と総称されたタンゴダンス・サロンの、もっとも有名なものを経営していた女性 Laurentina Monserrat (ラウレンティーナ・モンセラー) の通称。アルゼンチン中西部のメンドーサ Mendoza 州出身と推測されている。背が高く、大柄で、黒髪に褐色の肌、顔立ちよく、ダイアモンドと黄金の豪華なアクセサリーをつけ、力強さとやさしさをかねそなえた立ち居振る舞いで、堂々たる女主人だった。サロン(彼女の家)は、パラグワイ Paraguay 通り2515番にある豪華な邸宅だった。「ラウラのところで、やくざ者がダンサーを取り合って決闘し……」などと、後にタンゴにうたわれているが、そんな伝説はすべて嘘。――とても高かったので、やくざ者はこの店に入ることはできなかった。
 このサロンの、ほぼ専属のピアニストは ロセンド・メンディサーバル Rosendo Mendizábal (1868 - 1913)。参照:⇒ entrerriano.


Leguisamo (レギサーモ)

 競馬の騎手 イリネーオ・レギサーモ Irineo Leguisamo (1903 - 1985) 、愛称レギ、あだ名 プルポ El Pulpo
 ウルグアイ北西部の小さな町に生まれた。戸籍などは不明。13才で初騎乗、初勝利。ウルグアイ各地やブラジルの競馬場を経て、1922年にブエノスアイレスの パレルモ Palermo 競馬場にデビュー。アルゼンチン=ウルグアイの競馬史上最高の存在となった。1944年には1年で144勝という大記録を作った。生涯に500ほどのクラシック・レースに優勝。1974年に、70才で引退した。
 タンゴ歌手 カルロス・ガルデール Carlos Gardel (¿? - 1935) との親交、彼の持ち馬《ルナーティコ》などに乗ったことが有名。ずっと隠されてきて、もう真相を知る人はなくなってしまったが、ガルデールとはかなり近い血縁だったらしい。


---¡Habla, viejo, nomás!
“¡ Leguisamo solo!
gritan los nenes de la popular.
¡Leguisamo, al galope nomás!
fuerte repiten los de la oficial.
¡Leguisamo, viejo y peludo nomás!
Ya está el puntero del Pulpo a la par.
¡Leguisamo, al trotecito nomás!
y el Pulpo cruza el disco, triunfal.”
---Bueno, viejo Francisco, decile al Pulpo:
A Lunático lo vi'a retirar al cuartel del invierno.
Ya se ha ganado sus garbancitos
y la barra se queda completamente agradecida.
Sentí la barra.
---¡Muy bien!
---¡Salute!

「話してやれ(目に物見せてやれ)、おやじ!」
レギサーモ ただひとり!
スタンド大衆席の坊やたちが叫ぶ。
レギサーモ、ギャロップ(馬のいちばん速い走りかた)でいけ!
役員席のみんなが大声で繰り返す。
レギサーモ、年はとっても髪はふさふさ!
もう《プルポ》(レギサーモのあだ名)は先頭に並んだぞ!
レギサーモ、軽くトロット(ふつうの走りかた)でいいぞ!
そして《プルポ》はゴール板を横切る――勝利者として。
「さて、マスキオおやじ(調教師)、《プルポ》に言ってくれ
――もう《ルナーティコ》(馬の名前)は冬ごもりの小屋に引退させてやろうと思う。
もう自分の食べる分はじゅうぶんかせいだものね。
おれたち仲間一同は本当に感謝しているよ。
一同の声を聞いてくれ」
「たいへん、けっこう!」
「さらば!」

――タンゴ «¡Leguisamo solo!»(レギサーモ・ソロ)1925年 作詞:Modesto Papavero/改編:Carlos Gardel
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。1927年9月録音。ここをクリック


lengüeta (レングエータ)

 一般的に空気の流れで音を出す楽器の「リード」。タンゴではバンドネオンに使われ、特別に開発されたスティール合金(原料の配合率は秘密!)の、細長くて薄い板がリードになっている。元の意味は「ちっちゃな舌」。なお、伝統的にバンドネオン奏者たちは(今日でも)このことばは使わず、簡単に “voz; voces”(声)と呼んでいる。


leones (レオーネス)

 ふつうのスペイン語では「ライオンたち」。広い意味の(つまり、犯罪者と関係なく一般的な)ルンファルドでは、「(男性の)ズボン」を指した。ズボンの標準スペイン語は pantalones (パンタローネス) 。それをちぢめて、似た別のことばにすり替えたもの。かなりクダラナイことば遊びだと思うが、広く愛用された言いかただった。今日では古臭くて使えないと思う。
 単数形、león (レオーン) という使いかたもあった。


letra (レタラ)

 タンゴに限らず、スペイン語の曲の「(1曲の)歌詞」。韻文 versos (ベルソス) でつくられるが、必ずしも純粋に「詩 poema (ポエーマ)」とは呼べない場合もある。

元は「文字」という意味です。
“letras” となると、「複数の文字」「複数の歌詞」のほかに、一般的に「文学」を指します。


---Su vida era una letra de tango.

「あの人の人生は 1曲のタンゴの歌詞だった」


letrista (レティリースタ)

 タンゴに限らず、スペイン語の作詞家・作詞者。必ずしも「詩人 poeta (ポエータ)」とは呼べない人もいる。歌詞しか書かなかった詩人の オメーロ・エスポーシト Homero Expósito (1918 - 87) いわく――「すべての作詞者は、多かれ少なかれ詩人の素質をもっている。でも、いい詩人なのに歌詞がつくれない人がいる」


lindo (リンド)

 俗語ではなく、基本的なスペイン語で、「きれいな、美しい」という意味。アルゼンチン=ウルグアイは、ほかのどんな地域よりも、このことばを愛用・乱用しているので、ここに掲載しておきたい。別に同じような意味のスペイン語があるのに、「美しい、立派な、きれいな、すばらしい、見事な、よくできた」……なんでも、このことばを使う。


linyera (リンジェーラ)

リンジェーラ

 衣類や身の回りの品を、ひとまとめに束ねたもの。そこから意味が広がって、そのような荷物を背負った「渡り鳥移民」(たとえば、トウモロコシや小麦の収穫の季節にそこで働き、終わると故郷に帰ってくる。交通手段は徒歩です)。さらに意味がずれて、住所不定・無職の「放浪者」。鉄道の線路伝いに町から町へ渡り歩く、昔のアメリカ合衆国の《ホーボー Hobo 》にあたる人。(左の楽譜表紙絵は1930年代のもの)
 参照 ⇒ vía

 語源はイタリアのピエモント(ピアモンテ)方言で、衣類とか洗濯物に関することばだったようです。
アルゼンチンの渡り鳥移民・季節労働者は、最初はほとんどがピエモントやロンバルディア出身――北イタリアの人は、南と違って(失礼)、農作業をいやがりませんからね――だったそうですが、
すぐに他地方のイタリア移民も、アルゼンチン=ウルグアイで生まれ育った土地っ子たちも、出稼ぎをはじめたようです。
 リンジェーラは本質的には都会の住人ではありませんので(今日では都会の「ホームレス」もリンジェーラと呼びますが)、都市の社会を背景にしたタンゴにはほとんど登場しません。
これを題名にしたタンゴがありますが、歌詞はおざなりで、嘘っぽいので掲載しません。作詞者も許してくれると思います。


Linyera, Dante A.

Dante A. Linyera


lonyi (ロンジ)

 ばか、まぬけな男。語源はカロー (ヒターノ・スペインのジプシーの言語) longuí (ロンギー=なにも知らない、赤ん坊のように無知で悪気がない) なのだが、イタリア語と混同した発音になったようだ。そのため、longi, longhi と表記する人もいる。


los (ロス)

 文法用語で定冠詞と呼ばれるもので、文法上《男性タイプ》に分類される名詞(無生物や抽象的な概念でも)の複数形の前に付けて、「それらの、あれらの、これらの」といった特定するニュアンスを与えたり、その名詞の存在感をはっきりさせることば。英語の “the” やフランス語の “les” とほぼ同じように使う。日本語に訳せないことも多いが、スペイン語の考えかたでは必要不可欠のことば。
 辞書の見出し語や、種々のリストなどでは、このことばを除いたABC順に配列することも少なくない。この辞典では、場合に応じて、los が付いたのも付かないのも、両方とも見出し語にしてあります。


Los 33 orientales (ロス・テレインタイテレース・オリエンターレス)

 バンドネオン奏者 ホセ・フェリペッティ José Felipetti “Natalín” (1890 - 1941) とヴァイオリン奏者 アルフレード・マセーオ Alfredo Mazzeo ( - 1954) 合作のタンゴの題名。定冠詞が付いて「あの33人の オリエンタール oriental 」という意味。「オリエンタール(東の人、もの)」とは、今日のウルグアイ東方共和国の人間を指す。19世紀には、ウルグアイは現在のアルゼンチンを含む「ラプラタ河諸県連合 Provincias Unidas del Río de la Plata 」のオリエンタール県だった。ここはブラジル〜ポルトガルに占領されてしまったので、ラバジェーハ Juan Antonio Lavalleja (1784 - 1853) にひきいられた、33人の同志が、ブエノスアイレスから出発してパラナー川をさかのぼってウルグアイに上陸、中心のモンテビデオを包囲し、ブラジル人を追い出した(1825年)。後のウルグアイ国独立にもつながる、この人々が「33人のオリエンタール」と英雄視された。なお、人数はもっと多かったらしく、またブエノスアイレス人やパラグアイ人も入っていたそうだ。タンゴ曲はウルグアイ建国の志士たちをたたえたものだろう。


luca (ルーカ)

 1000ペソ。一般的に「(ちょっとした額の)お金」をも意味した。ブラジル経由で伝わってきたことばらしい(その元はスペイン)。参考 ⇒ gamba


---En ese boliche con una luca se pueden comer dos personas bien, con vino y postre.

「あの店では 千ペソあれば 二人たっぷり食べられるよ、ワインもデザートも入れて」


Luján (ルハーン)

 アルゼンチン、ブエノスアイレス州の市(首都の北西約70km)。タンゴと直接の関係はまったくないが、ここにある「ルハーンのわれらの女主人」教会堂 Basílica de “Nuestra Señora de Luján” に鎮座ましますマリア様は、アルゼンチン=ウルグアイでもっとも広く深い信仰の対象であり、タンゴのアーティストにも、タンゴ・ファンにも信者が少なくないだろうと思われるので、民衆文化の重要な底流として、ここにご紹介する。
 1630年、ブラジルから、アルゼンチンのサンティアーゴ州の小さな村の教会へ、聖マリア像(粘土製)を運ぶ牛車が、ブエノスアイレス州のある地点で止まって、まったく動かなくなってしまった。マリア様は、ここにいたいのだということがわかり、そこに小さな御堂を建てて、像(高さ40センチ足らず)が安置された。40年後に、より多くの人が近づけるように、その地域の、いちばん人口が多い村落ルハーンにマリア像は移された。ルハーンが、都市計画を持った町になったのは1731年。教会堂は、1887〜1935年に建築され、美しいゴシック様式の壮大なもので、ブエノスアイレス州有数の観光スポットになっている。ここのマリア様の祭日は5月8日で、全国から、そして外国からも多数の巡礼が拝みにやってくる。
 女性歌手 メルセーデス・シモーネ Mercedes Simone (1904 - 90) が作詞作曲してうたったタンゴ “Cantando” (カンタンド=歌いながら) や、フォルクローレ調の曲に「奇跡をもたらすおとめ Virgencita Milagrosa」ということばが出てくるが、これはルハーンのマリア様の異名。
 参照 ⇒ Virgen.


Lunático (ルナーティコ)

 競馬の馬の名前(「頭のおかしい男」という意味)。タンゴ歌手 カルロス・ガルデール Carlos Gardel (¿? - 1935) の持ち馬だった。1922年生まれ。25年に、負傷から回復中のところを、ガルデールに一目ぼれされた。「天才は天才を見る目があった」と大げさなことを言う人がいるが、本当に天才馬だったのかもしれない。負傷の後遺症で(といわれる)走りぶりにはムラがあった。マスキオの厩舎(きゅうしゃ)に所属し、25年の初出走(3着)から、騎手はレギサーモが多かった。最良のシーズンは27年で、この年の2月に、もっとも人気がなかったのに1着で、単勝31.7倍、複勝10.65倍という高配当だった。騎手レギサーモの神業のなしたことと、これまた大げさなことを言う人がいるが、たしかに奇跡だったのかもしれない。


lunfa (ルンファ)

 犯罪者、やくざっぽい人。乱暴者のニュアンスを含む。


lunfardo (ルンファールド)

 元来は、19世紀末からブエノスアイレスで、悪事を職業とする人を指していたことば。このことば自体が隠語で、一般社会には真意は知られていなかった。彼らは、自分たちで「われわれルンファルドは……」と言っていたとのこと。「われわれ職業犯罪者」とは言えないから。
 やがて、犯罪者社会の隠語が、ルンファルドと呼ばれるようになり(ルンファルド語という感じでしょうか)、その後は、だんだん範囲が広がり、一般人にもおなじみのことばを含めた、ブエノスアイレスのスラングの総称になっている。
 もともと犯罪の専門用語だったものも、ふつうの人が使うことによって、意味が広がって、悪の影が失われたものも多い。
 イタリア各地からの移民がもたらしたことばもたくさん、その他の外来語もブエノスアイレス語に吸収された。
 今日では、流行語や外来語、新語まで、なんでもかんでも「ルンファルド」と呼ぶ人までいて、困る。
 ルンファルドという呼び名は、1940年代ぐらいまでのアルゼンチン=ウルグアイの都会のことばに限定してほしいが……。規定したり定義を決めたりしても、人々は勝手に自分の好きなようにことばを使い、ことばは乱れていく――これがことばの宿命なので、どうにもならない。
 参照 argotcalógermanía

ルンファルドについての、もっとも古い資料は、
警察に務めていた Benigno B. Lugones (ベニーグノ・ベー・ルゴーネス)が1879年に新聞に書いたエッセーです。
そこでは「ルンファルド=盗人」と定義されています。
1897年出版の『一巡査の回想 Memorias de un vigilante 』という本では「ルンファルド=盗人、悪事をする人」という定義です。
本来は「スラング」という意味はなかったんですね。
ブエノスアイレスの民衆言語といえるルンファルドは、この街の住人たちのアイデンティティのひとつになっています。
これを研究する学術院 Academia Porteña del Lunfardo (アカデーミア・ポルテーニャ・デル・ルンファールド) があります。
これは非営利の学術団体で、1962年に創立され、会員・友人・後援者たちの寄付金で運営されています。
正会員は28名に限定され、現在の会長は(1995年から) José Gobello (ホセー・ゴベッロ) さんです。
詩人・エッセイスト・文筆家の彼は、このアカデミーの創立以前から実際的な中心人物でした。
ゴベッロさんが1963年に出版した «Vieja y nueva lunfardía» は不朽の名著です。
この『タンゴのスペイン語辞典』も、元をたどればこの本だと言えるくらいです。
ゴベッロさんは、昔の新聞・雑誌・出版物のたぐいを大量に調査研究したのに加えて、1950年代ですが2年間投獄されていました(政治的な理由です)。
そのとき、本物の悪漢たちと話をして調査していますので、研究は筋金入りです。
1963年の時点で、彼が収集したルンファルドは9千語あったとのこと。
ルンファルドのアカデミーの公式サイトは http://todotango.com/alunfardo/

ルンファルドの辞書は、無責任なシロウトがつくっているので定義や説明がいいかげんなことが多いですが、
無料で読めるので、下記のサイトを、ご紹介しておきます(スペイン語です)。
とにかく、なんでもかんでも、たくさんのことばを集めてあり、投稿によってまだ増えつづけているみたいです。
このごろは、ことばの用例へのリンクが出てきて、その点はすばらしいですね。
*サイトには、ここから直接のリンクはできません。
ABC順の辞書のように使うのは、実際的には困難な場合が多いです(1ページの容量が大きすぎるみたい)。
ページの左側、上のほうに、サイト全体で検索する場所がありますから、そこに語句を書いてサーチするのが最良の方法
と、わたしも試行錯誤の後にわかりました。
ñ の上に付く記号やアクセントを正しく入力しないと検索できません。
  http://todotango.com/spanish/biblioteca/DiccionarioLunfardo.aspx


目次 にもどる

◆記事のリンク・引用などは自由です。引用なさる場合は、出典を記してください。


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
タンゴのスペイン語辞典 by 高場 将美 is licensed under a Creative Commons 表示 3.0 非移植 License. inserted by FC2 system