タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero
ma (マ)
なにかを言う最初につけて「でも……」と、(深い意味はなく)強めることば。このあとに疑問、驚き、あきれた気持ちなどが述べられる。イタリア語 “ma” (マ=しかし) の借用。
*しゃべりことばなので、歌詞には使われません。(語るのはいいが、うたうと不自然)。
ただし、一般のスペイン語では堅いことばとされる(文語のような) “mas” (マス=しかし) が、
アルゼンチン=ウルグアイの話しことばやタンゴの歌詞では、「でも……」といった軽い感じで、多用されます。
イタリア語が伝染したんでしょうね。
---Ma, ¡qué cosa, che! | 一体まぁ、どうなってるんだ、おい! |
maestro (マエーストロ)
ふつうのスペイン語で、「師匠、先生」。女性形は “maestra” (マエースタラ)。音楽関係では、ほぼ、クラシック音楽のオーケストラ指揮者、そして教授にかぎって使われることばだった。ポピュラー音楽のアーティストにも広く使われるようになったのは、1970年代以降か? その後は、むやみやたらと使われて、敬称としての価値がなくなったのは、日本と同様だ。
タンゴのオルケスタ・ティピカの指揮者に対して使われたのも60年代以降か? 以前には、逆さ言葉にして “troesma” と、半分からかい、あるいは皮肉をこめて使われていた。
アルゼンチン〜ウルグアイではレストランなどのウェイターへの敬意をもった呼びかけに使われていたが、これは下記のフランス語 “maître” を、そのままスペイン語に置き換えたのだと思う。
参考 ⇒ troesma.
maitre (メーテレ または メートル)
レストランの給仕長。世界的に通用するフランス語 “maître d'hôtel” の省略形。本来は、金持ちの個人の家や、高級(とされる)レストランのテーブルをとりしきる総責任者だが、ブエノスアイレスなどでは、それほど格が高くない場合も多い。ほかのウェイターなどはいなくて、ただひとりで全部やっている人もこう呼ばれる。大衆的なレストランでも使われる、つねに敬意のこもった呼び名。
参考 ⇒ mesero.
*下記の記事のイラストにブエノスアイレスの典型的なメーテレの姿が見えます。
《エル・トロペソーンの名声》
mala pinta (マラ・ピンタ)
みっともない格好・服装、さえない外見。参照 ⇒ pinta。
malevaje (マレバーヘ)
やくざ仲間。裏社会のグループ。下記 malevo の集合体。
malevo (マレーボ)
悪事を働く人、そのような人に関係した物事、社会に害となる(人、物事)を指すことば。より意味が、ゆるくなり、広がって、すぐ暴力をふるう人、ケンカ好きな人、一般社会からはずれて反抗的な人などにも使われる。女性、および、ことばの形の上から女性とみなされる物事に使うときは “maleva” (マレーバ) という。日本語では「やくざな」とか「やくざっぽい」と訳されている。必ずしも正しい訳語ではないが、ほかに仕方がないですね。
mamao (ママーオ)
下記のことばから発して「酔っぱらった(男)」という意味。スペイン語標準文法では “mamado” だが、その形では、かえって変なことばに聞こえる。より、なまった “mamau” (ママーウ) という発音は、たいへんよろしい!
mamar (ママール)
必ず、 me, te, se, nos ということば(「自分自身で」と強めるニュアンスのことば)を前か後ろに伴って使われる。「酔っぱらう」という意味。ルンファルド の発生以前、19世紀のガウチョ のことばだった。標準スペイン語では「(おっぱい・乳を)飲む」ということで、ビンからじかにラッパ飲みする様子を、ふざけてこう表現したとのこと。
Y este encuentro me ha hecho tanto mal | そして この出会いがわたしを手ひどく痛めつけた、 |
――タンゴ «Esta noche me emborracho»(今夜わたしは酔っぱらう――「今宵われ酔いしれて」という題が通用していますが……)
1928年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
mango (マンゴ)
貨幣単位《ペソ》のこと、あるいは一般的に「お金」。ポルトガル=ブラジルの俗語が語源らしい。同義語 ⇒ guita、plata。
manyamiento (マンジャミエント)
警官に常習犯罪者の顔を見覚えさせるために、決まった署内に、決まった日に犯罪者を集めて陳列(?)すること。下記のことばが語源。
manyar (マンジャール)
イタリア語 “mangiare” (マンジャーレ=食べる) が語源。動詞活用はイタリア語ではなくスペイン語文法にする。本来の意味「食べる」のほかに、「よく見る」「認識する、さとる、気がつく、わかる」の意味でも使われる。後者は、口ではなく、目や耳や心で食べてしまうわけだ。
manzanilla (マンサニージャ)
ふつうのスペイン語で、ハーブの「カモミール」。フランス語 “camomille” (カモミーユ)、英語 “camomile” (キャモゥマイル)。医薬関係などで使われている和名「カミツレ」は、オランダ語(ドイツ語も同じだが) kamille なのだそうだ。これらはすべて「地面からとれるリンゴ」といった意味のラテン語(ゲルマン語起源)から来ている。スペイン語 マンサニージャ は「ちっちゃなリンゴ」というニュアンス。このハーブには、リンゴのような香り(味)がある。
世界各地で、カモミールの乾かした花を煎 (せん) じて飲むハーブ・ティーが愛されている。アルゼンチン=ウルグアイでは、ステーキを食べたあとの胃腸の調子を整えるのに最適ということになっていて、レストラン・食堂のメニューの最後に必ずのっていた。“ té de manzanilla” (カモミールのお茶)、“infusión de manzanilla“ (カモミールを煎じたもの) と呼ぶ。メニューには “té degestivo” (テー・ディヘスティーボ=消化にいいお茶) と書いてあることもある。
蛇足ですが、スペイン南西アンダルシーア地方の、サンルーカルでつくられる1種の白ワインも 「マンサニージャ」 と呼ばれます。
やはり、リンゴの香りがするからです。このワインは、すぐそばのヘレースでつくられる有名なシェリー酒と非常に似た味・舌ざわりですので、
スペイン以外ではシェリーの1種と思いこまれています。現地の人々は「まったく別物だ!」と
それぞれに誇りをもっていますから、混同するとケンカになります。ご注意!
アンダルシーア地方では、カモミール・ティーも愛されていますので、
レストラン・バルなどで注文するときは、ワインかティーか、はっきりわかるように言わないといけません。
アルゼンチン=ウルグアイでは、マンサニージャ酒は一般的でないので、問題(というほどでもないけど)はほとんどないです。
Maple (マペレ)
英国ロンドンの高級デザイン家具・内装店《メイプル》(有限会社設立1890年)は、1904年ごろフランスのパリにも店を開き、14年ごろブエノスアイレスの中心街スイパーチャ Suipacha 通りに大きなショールームを開いて、高級インテリアの設計・施行で名声を博した。タンゴの世界とは無関係の店だけれど、下記の歌詞で、私たち外国人のタンゴ・ファンにも有名だ。ブエノスアイレスの店は、1970年代末に人手に渡り、やがて消滅。ロンドンの本社も1997年に倒産した。
Corrientes 3-4-8, | コリエンテス通り 348番 |
――タンゴ «A media luz»(淡き光に)1925年 作詞:Carlos César Lenzi
marcador (マルカドール)
競馬の予想で「(上位に来るだろうと)マークすること」、それを表にしたもの。サッカーでは相手チームの中心選手をマークしてゴールを阻止する役目の人。
参考 ⇒ ganador, placé, performance.
marchanta (マルチャーンタ)
marroco (マローコ)
「パン」、「最低限の食べ物」。イタリアの隠語が元だそうだ。
El bulín de la calle de Ayacucho, | アジャクーチョの通りの小部屋、 |
――タンゴ «El bulín de la calle Ayacucho» (アヤクーチョ通りの小部屋)1923年 作詞:Celedonio Esteban Flores
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
Martín Fierro (マルティーン・フィエーロ)
アルゼンチンの ホセ・エルナンデス が書いた物語り詩の主人公。実在のモデルがいたという研究もあるが、姓名はめずらしいものではなく、創作された人物である。
『エル・ガウチョ・マルティーン・フィエーロ El gaucho Martín Fierro』は1872年刊行。第2部『マルティーン・フィエーロの帰還 La vuelta de Martín Fierro』が79年に刊行されたときは、第1部は5万部近く売れていたという、当時としては信じられない数字のベストセラーだった。今日でも、つねに両方合わせて(古いことばや特殊な用語の注釈つきで)出版され、非常に多くの人が愛読し、暗記し、ことあるごとに詩句が引用されて語られつづけている。「アルゼンチン人の聖書」というたとえは誇張ではない。
この作品は、マルティーン・フィエーロというガウチョが(一部では、他の登場人物が)自分の体験・生きざまを、うたい語るかたちをとっている。「叙事詩」という分類は、必ずしも妥当ではないらしい(分類はどうでもいいことだが)。この作品を愛し、尊重し、これに関するたくさんの研究・エッセー(まとめれば1冊の本になるくらい)を書いた文学者 ボルヘス Jorge Luis Borges は、「韻文による長編小説」と分類している。
すべてが、スペイン語の物語り詩のもっとも伝統的に多く使われる、8音節で1行の詩形で書かれ、とても親しみやすく、わかりやすい(アルゼンチン=ウルグアイ人には)。ギター弾き語りの、ガウチョの吟遊詩人の民衆詩のスタイルをそのまま採用しながら、語られる内容の興味ぶかさと、語りかたの巧みな表現が、作者の創造力の非凡さを証明している。ルンファルド発生以前の、アルゼンチン=ウルグアイの地方のことばが生きており(当然だが)、多くの単語が、ルンファルドなどに入って、今日もアルゼンチン=ウルグアイの文化に重要な役割を果たしているものだ。そういうことばの宝庫としても貴重な作品である。
舞台は、19世紀後半のブエノスアイレス州の大草原の辺境地帯(まだ先住民の支配する領土があった)で、マルティーン・フィエーロは官憲から追われるガウチョである。
参照 ⇒ José Hernández。
Aquí me pongo a cantar | ここにすわって わたしはうたいはじめる |
――物語り詩 «El gaucho Martín Fierro»(エル・ガウチョ・マルティーン・フィエーロ) 最初の章より 作:José Hernández
*この詩からの引用が milonga、pata ancha の項にもあります。
Maschio (マスキオ)
1920年代から、アルゼンチン=ウルグアイの競馬界の大物だった フランシスコ・マスキオ Francisco Maschio は、調教師で厩舎(きゅうしゃ)のもちぬし。ウルグアイの地方競馬にいた、後に歴史的な名騎手になる レギサーモ を発見して、ブエノスアイレスにデビューさせたことで名高い。タンゴ歌手 カルロス・ガルデール Carlos Gardel を筆頭に、アーティストたちとも親交があった。ガルデールとの出会いは、1921年、モンテビデオにて。そのころマスキオはまだ馬丁(ばてい)だった。
matambre (マターンベレ)
牛肉の部位の名前で、わき腹の肉と皮の間にある、厚みのない層になった肉。片面にはかなりの脂肪が付いているので、これをそぎ切るには、また破らないようにきれいに下ごしらえするには熟練を要する。世界のほとんどの地域では、めんどくさいので切り刻んで、ひき肉に混ぜてしまう。
ガウチョは、これをたいへん好み、1頭から2枚採れる膜を広げて遠火にかざし、アサード にして食べた。
今日の一般的な調理法は、この肉の膜を、脂の付いた面を下にして広げ、殻をむいたゆで卵(丸ごと)、すりおろし、もしくはひと口大に切ったにんじん、パプリカ、刻みパセリなどを乗せて、日本の太巻き寿司のように巻いて紐や楊枝で留め、長時間ゆでる。これを冷蔵庫で冷やして、あるいはオーヴンやグリルで焼き色を付けて食べる。いずれの場合も、輪切りにして、サラダとともに、前菜(!)として供する。この料理も、単に「マターンベレ」と呼んでいる。アルゼンチン=ウルグアイで発明された料理である。
mate (マテ)
(1) ヒョウタンやカボチャの仲間の、丸い実をつける植物の名前(先住民のことばケチュア語――インカ帝国の公用語――が語源)。その実でつくった器――上部に穴をあけ、中身をくりぬき、皮を乾燥させると、1種の茶わんができる。(2)のマテ茶を飲むためのものは、銀細工で飾った高級品まである。現代では、マテの実ではなく、他の材料でつくった茶わんもあるが、それらも「マテ」と呼んでいる。
(2) その茶わんで飲む一種の茶。いわゆる「マテ茶」。参照⇒ yerba
(3) アルゼンチン=ウルグアイほかの俗語で、「頭」。丸いところが、マテ茶わんみたいだから……バカバカしいけれど、今日でも非常にしばしば、広く使われていることばである。
Hoy tenés el mate lleno de infelices ilusiones, | きょう おまえのオツムは かなうはずのない甘い夢でいっぱいだ |
――タンゴ «Mano a mano»(マノ・ア・マノ=五分五分)1923年初録音 作詞:Celedonio Esteban Flores
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
matina (マティーナ)
⇒ la matina。
maula (マウラ)
昔、モーロ人に征服されていた時代のスペインでは、体制・権威におもねってイスラーム教に改宗したカトリック教徒(スペイン人)を「マウラ」と呼んだそうな……一般のスペイン語では、根本的に「人でなし」の意味で、他人を裏切る人、軽い意味では「するべき仕事をしない怠け者、のらくらもの」を指す。アルゼンチン=ウルグアイでは、策略で人をだます「裏切り者、卑怯者」、あるいは「弱い者をいじめる冷酷な人間」などを、こう呼ぶ。「人非人(にんぴにん)」という日本語は、もう死語でしょうか? まだ使えるなら、それが最適の訳語です。
Se dio el juego de remanye cuando vos, pobre percanta, |
相手を見きわめてモノにするゲームがうまくいった、おまえが――あわれなおんな!―― |
――タンゴ «Mano a mano»(マノ・ア・マノ=五分五分)1923年初録音 作詞:Celedonio Esteban Flores
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
mechera (メチェーラ)
女性のどろぼうの1種。商店の客をよそおい、布地や衣服を、自分の服などに隠して持ち出す専門家。
Era una paica papusa | 彼女はすごい美人の女の子だった、 |
――タンゴ «El ciruja»(エル・シルーハ=ゴミ捨て場あさりの男)1926年 作詞:Francisco Alberto Marino
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
medio (メーディオ)
ふつうのスペイン語で「半分の」という意味。ルンファルドとまでいかない、一般的な話しことばで、“medio ~” というとき、それは「半分くらい〜」ではなくて、「完全に、とっても〜」という意味の、ひねくれた言いかた。日本語で「ちょっとヒドいですね」というのが「たいへんヒドイいですね」という意味なのと、似たことばづかいである。
membrillo (メンビリージョ)
ふつうのスペイン語で、果実の名前。日本語では「マルメロ」――これはポルトガル語 “marmelo” なので、南蛮人の時代に入ってきたんですかね? フランス語は coing、イタリア語 cotogna、英語 quince。
この果物は、リンゴやナシの仲間だが、生では酸っぱくて、とても食べられない。多量の砂糖といっしょに煮て、ジャム・ジェリーの類にするのに、果肉の質がとても適している。参照 ⇒ dulce de membrillo。
ジャムの類を「マーマレード」と呼びますが、このことばはポルトガル語で「マルメロでつくったもの」という意味が語源です。
ポルトガルは世界一の砂糖消費国だった歴史があります(もしかしたら、今日でも)。
menega / meneguina (メネーガ/メネギーナ)
「大金、お金」のこと。イタリアのミラノの俗語で、ミラノ人を meneghin (メネギーン)、女性ならmenega(メネーガ)と呼ぶ。アルゼンチン〜ウルグアイでは、ミラノ人は金持ちということに決めてしまって、このことばができたらしい。
mesero (メセーロ)
レストランやカフェで、あるていど経験を積んだウェイターのこと。 “mesa” (メサ=テーブル) を仕切る人という意味で、客をテーブルに案内し、注文をとり、料理を運び、支払いを受けるまで全部を担当する。自分の担当のテーブル以外のお客は無視するのがルール。場合によっては、グループ客のためにテーブルを並べ替えて席を作る。客が望めば、オイル・酢・塩を程よく配合してサラダのドレッシングをつくる。もちろんお客はチップを払わなければいけない。チップは、彼らの正当な報酬だ。多くの場合、飲食代は彼らがまず立て替えて店のレジに払う。タバコのほしいお客には、レジから買ってきて渡す。それらを入れるために、メセーロは、みんな私物の立派な財布を持っている。
参考 ⇒ maitre.
metejón (メテホーン)
熱狂的に恋をすること、愛すること。人間や物に対して、欲しくて、手に入れたくて、たまらなくなること。下記の歌詞でわかるように、必ずしも「永遠の愛」なんてものではなく、抑えられない一時の情熱といったニュアンスを含んでいる。参照⇒ metido。
Cabaret . . . metejón . . . | キャバレー……がまんできない恋ごころ…… |
――タンゴ «Pucherito de gallina»(プチェリート・デ・ガジーナ)1953年 作詞:Roberto Medina
*エドムンド・リベーロ Edmundo Rivero 歌。ここをクリック
metido (メティード)
熱狂的に愛して、欲している(男)。女性に対して使うときは “metida” (メティーダ) という。本来は「自分を中に入れた」という意味で、日本語で「入れ込んでいる」というのと、かなり似た発想のことばだ。
---¿Qué pasa con Juana? Está muy rara. | 「フワーナに何があったんだろう? 様子が変だねぇ」 |
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