タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero
milanesa (ミラネーサ)
簡単にいえば「ビーフ・カツ」。イタリア料理の名前 “cotoletta alla milanese” (コトレッタ・アッラ ミラネーゼ=ミラノ風のチョップ) をスペイン語に訳して省略したもの。名前からして、骨付きのチョップ肉(厚さ3センチ以上の仔牛の肉)を使うのが本来だろうが、アルゼンチン=ウルグアイでは薄切りの肉を使うのがふつう。基本的なつくりかたは――(1)ヒレ肉・内ももなど、脂のない牛肉を、筋などを取り、きれいな薄切りにして、叩いてさらに厚さを均等に薄くする。肉は斜めのそぎ切りにしないといけない。素人のナイフではむずかしいので、すでに切られた「ミラネーサ用の肉」を肉屋から買ってくる。より上品な味にしたい人は、肉を30分ほど牛乳につけておく。(2)卵を溶いて、そこに塩・コショウをする。肉片をその卵液につける。(3)卵をコートした肉片を、さらににパン粉でコートする。(4)フライパンにバター(多めに)を熱し、溶かし、そこで揚げ焼きにする感じ。(4)両面焼いたら、できあがり。レモンを絞ってかけて食べる。ほかの調味料・ソースなどは不要。付け合せは “puré de papa” (プレー デ パパ=牛乳を混ぜて舌触りをやわらかくしたマッシュド・ポテト) が定番。
ポークカツは milanesa de cerdo (ミラネーサ・デ セルド)、
チキン・カツは milanesa de pollo (ミラネーサ・デ ポージョ) です。
milonga (ミローンガ)
ミロンガということばがアフリカ起源であることには疑問の余地はない。でも、アフリカといっても広いし、たくさんの言語・方言があり、どの言語のどのことばから来たのかは、定かではない。ブンダ語で、「たくさんのことば=混乱」という意味からという説明が、もっともらしいが、わたしは半信半疑である(ブンダ語が直接の語源ということに関して)。
とにかく、奴隷として南アメリカに連れてこられたアフリカ人たちがもたらしたことば、あるいは南アメリカに来たアフリカ人たちの造語で、「ダンスのある集会」「踊りのあるパーティ」といったものを指し、そこから「極端に無秩序なもの」(19世紀末のアルゼンチン語辞典による)も意味するようになった。
アフリカの言語に関して豊富な情報があり、しかも実際に生きて使われてもいるブラジルでは
「ミロンガ」はカンドンブレ(アフリカ宗教とカトリックの合体した信仰・儀式)用語で、「秘密、神秘」の意味で今日も使われていることばです。
今日のアンゴラ共和国を中心とするブンダ語(バントゥ人文化)からの借用語です。
出典: Olga Gudolle Cacciatore: &ldquo&Dicionário de Cultos Afro-Brasileiros” 1977, Editora Forense-Universitária. ほか。
わたしは、宗教の秘儀の集会を、外部の人が(わざと)誤解して、「踊りのパーティ」を軽蔑的にそう呼んだのだと思っています。
(1)踊りの場所としてのミロンガ
ミロンガということばは、最初は、貧しい人々がダンスで大騒ぎする集まり、およびその場所を指していた。場所は、都市の場末の酒場のようなところでも、大草原の辺境の空き地でもよかった。まだ、タンゴのダンスが生まれる以前のことである。
Ansí andaba como gaucho | このように わたしは 嵐が過ぎるときの |
――物語り詩 «El gaucho Martín Fierro»(エル・ガウチョ・マルティーン・フィエーロ)より 1872年 作:José Hernández
*この「ミロンガ」でのダンスの種目はガト、ファンダンギージョ、ペリコーンの名が挙げられています。
やがて、このような高級でないダンスの集まり、ダンスの場所では、タンゴが主に踊られるようになった。そこで、ミロンガは「タンゴが踊られる集まり、その場所」を指すことになった。
そして、1910〜30年代には、ミロンガは「キャバレー(兼ダンスホール)」の同義語だったようである。
また、キャバレーの女性プロ・ダンサー(接客業でもある)も「ミロンガ」と呼ぶ人があった。タンゴの歌詞でミロンガというと、ほとんどの場合、キャバレー関係の意味で使われている。
そのいっぽう、プロではないダンス好きが集まって催すパーティも、ミロンガと呼ばれてきたらしい。下の歌詞は、場末のパーティを「ミロンガ」と呼んでいることで、とても珍しい(この時代としては)。また、キャバレーでなくても、ミロンガと呼ばれたことの証明でもある。
今日では、ダンスホールなどの営業している店も、プライヴェートなパーティも、タンゴのダンスがある集まり・その場所を、すべてミロンガと呼んでいる。
Una noche en la milonga, | ある夜、あのミロンガで、 |
――タンゴ «Una noche en la milonga» (ある夜 あのミロンガで)1929年 作詞:Nolo López & Fidel Robertassi
*アダ・ファルコーン Ada Falcón 歌。ここをクリック
*歌手の超絶的な表現力が、作詞者たちの才能のなさを隠してしまいました!
なお、この曲 (作曲:ギジェルモ・デルチャンチオ Guillermo del Ciancio) は
«Una noche de milonga» (ミロンガの一夜) と改題して、ロベルト・フィルポ Roberto Firpo 楽団が録音しています。
(2)音楽・ダンスとしてのミロンガ
1860年代の後半に(年代は確定できない)、混乱したダンスの集まりである「ミロンガ」の中で、踊りの合間に即興的にうたいだす男たちもあらわれ、そういう歌のスタイルも「ミロンガ」と呼ばれた。「ミロンガでの歌」ということばが省略されたのだろう。
歌の「ミロンガ」は……
(3)イメージとしてのミロンガ
……
ミロンガは、いろいろなものを指して使われるので、簡単に説明することができません。
大事なことばなのに、ここに収録するのが遅れています。すみません。
この項、まだ書きかけですがアップロードしました。これから書き加えてまいります。
milonguera (ミロンゲーラ)
キャバレーに出入りする女性。ショーのアーティストではない。またお客(ほとんどが男性個人、あるいは男性グループ)と同じテーブルで飲んだり、ダンスの相手をするが、必ずしも店からまともな給料はもらっていない。お客がお金を払う。
若い女性の場合、あるいは(若くなくても)軽く呼ぶときは milonguerita (ミロンゲリータ) という。
近年では、キャバレーとはまったく関係なく、ミロンガ(大衆的なダンス・パーティやサロン)で、実地にタンゴ・ダンスを学んだ女性、
あるいは、そのような (舞台のショーとは違う) 大衆的なスタイルのダンスを踊る人を指します。
. . . que con tus aspavientos de pandereta | あんたは、タンバリンみたいにやかましい 大げさな振る舞いで |
――タンゴ «Che, papusa, oí» (チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
Milonguera de melena recortada | ミロンゲーラ、長い髪をモダンな流行の断髪にして |
――タンゴ «Milonguera» (ミロンゲーラ)1925年 作詞:José María Aguilar
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
milonguero (ミロンゲーロ)
1920〜30年代のことばで、伝統の味をもったスタイルでタンゴを踊る、はえぬきの男性ダンサー。近年では、子どものころから(ダンス教室ではなく)実際のダンス・パーティで踊ることで、体でタンゴのダンスを独習した男性を意味する。
*今日では、(舞台のショーとは違う) 大衆的・伝統的なスタイルのダンス(いわゆるサロンのタンゴ)を踊る男性を指します。
また、ダンスを離れたことばとしては、タンゴの伝統的な濃い味わい、タンゴならではの深いリズム感覚――低音部が機械的な拍動ではなく、流れるような表情を含んでいる――をもった演奏家、および楽団をこう呼ぶ。ファンの主観で使われることばなので、明確な定義はできないけれど、ピアニストの カルロス・ディサールリ Carlos Di Sarli (1903−60) 、ヴァイオリン奏者で、ほとんどすべての楽器を弾いてメンバーを指導した アルフレード・ゴビ Alfredo Gobbi (1912 - 65) の楽団が「ミロンゲーロ」だということには、だれも異論をはさまないようだ。
ダンスについて使われるときも、演奏のときも、音楽形式《ミロンガ》とは関係なく(まったく無関係とはいえないけれど)、「タンゴ」に関することばである。
milonguita (ミロンギータ)
キャバレーの女性という意味の “milonga” に愛情をこめた、あるいは、軽い気持ちで呼ぶことば。
¿Te acordás, Milonguita? Vos eras | 覚えているかい? ミロンギータ。きみは |
――タンゴ «Milonguita» (ミロンギータ)1920年 作詞:Samuel Linnig
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ホセー・リカルド José Ricardo ギター。ここをクリック
(この時点では、ガルデールもリカルドも、タンゴならではの語りかた、奏法を全面的には確立していません。
ある部分は、スペイン流のオペレッタの中のタンゴみたいですね)
mina (ミーナ)
19世紀には「(犯罪者の)情婦・愛人」を指していた。その後、一般的に「(男に愛されている)おんな」を意味するようになり、さらに一般的に、単に「女性・おんな」という意味で、多くの場合、まったく後ろ暗いイメージをともなわずに使われている。 今日では、“¡Qué mina!” (ケ・ミーナ=なんという女!) と言えば、「なんて美人だろう!」「素晴らしい女性だ!」「なんてしっかりした、立派な女性だろう!」「なんて、ひどい女だ!」「悪い女だなぁ!」等々、どのようにも取れる。
語源は、ポルトガル語 “menina” (ブラジルでの発音:ミニーナ) ――単に「女の子・むすめ」を意味します。
minga (ミンガ)
無いこと。「〜なしの」。イタリアのミラノ方言をそのまま借用。
En el barrio Cafferata, |
カッフェラータ地域で |
――タンゴ «Ventanita de arrabal»(場末の小窓) 作詞:Pascual Contursi 1927年
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌:ここをクリック
mishé (ミシェー)
女性との交際にお金を払う男。フランス語の(一般的ではない)隠語 “miché” の借用。フランスでは元来は娼婦の用語で「金持ちのお客」の意味だったと思われる。ことばの使いみちが、より広がって「女性の歓心を買うためにたくさんのお金を使う男、金遣いの荒い男」も含むようになった。ごく限られた人々しか使わなかったことばだと思われるが、下のタンゴの歌詞に出てきたので一般にも知られた。この作詞者は、フランス語が好きだったようだ。参考 ⇒ bacán
Muñeca, muñequita, que hablas con zeta | 人形、お人形さん、あんたはスペインの古い家柄のお方みたいに ‹θ› (セタ) の音を使って話し、 *z (セタ) は、アルゼンチン〜ウルグアイなどでは s と同じ発音ですが、スペイン本国の正統とされるカスティーリャ語では、‹θ› (英語の th の澄んだ音) を使います。 |
――タンゴ «Che, papusa, oí» (チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
mishiadura (ミシヤドゥーラ)
下記のことばから派生した。「たいへんな貧しさ」「ひどい貧乏」。
misho (ミショ)
イタリアのジェノヴァ方言 “miscio” (ミッショ)(金をもっていない)が語源で、「びんぼうな(人)」「安っぽい、二束三文の、ガラクタ同然の(もの)」「ほんの少ししかない、なんの足しにもならないような(もの)」。参考⇒ shome
Montevideo (モンテビデーオ)
ウルグアイ東方共和国 República Oriental del Uruguay の首都。大河ラプラタの河口近く、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの対岸にあり、同市とともにタンゴを生み、育ててきた街である。
名前の由来は、入り江を入ってくるとすぐ目に付く「帽子のような」 “monte” (モンテ=小山) に関係していることは確実なのだが、 video が何を表しているのか不明である。こじつけの説が流布しているが、いいかげんな憶測にすぎないようだ。
ここはスペイン帝国のペルー副王領のいちばん東なので、東方地帯 Banda Oriental と呼ばれていた(今日のブラジル南部も含んで)。あまり重要な土地ではないと考えられていたのだろう。百年間ほどはポルトガル人(ブラジルを領土としていた)の支配をスペインは放任していた。やがて、ポルトガル人を追い払い(後にまた占領されたりするが)、軍事および商業の重要拠点として、1826年に、モンテビデオは本格的な町として創設された。スペインから、また、現在のアルゼンチンを含む連合国からも独立して、1828年に、ウルグアイ川東方国 Estado Oriental del Uruguay の首都となった。
20世紀初めに、スペインやイタリアなどから多数の移民を受け入れ、1908年の統計では、モンテビデオ市の人口の30%は外国人だったそうだ。
参照 ⇒ Los 33 orientales。
morfar (モルファール)
食う、食べる。イタリアの隠語(「口」という意味だった)が、アルゴー (フランスの隠語) に入り、そこからルンファルドに入ってきたらしい。
意味を詩的に(?)変化させて「(苦しいことを)耐え忍ぶ」という意味で使われることもある。
Cuando la suerte, que es grela, | 運命というものが――そいつは女だ―― |
――タンゴ «Yira . . . yira . . .»(ジーラ・ジーラ)1929年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*イグナーシオ・コルシーニ Ignacio Corsini 歌。ここをクリック
morfi (モルフィ)
食べもの、食事。
---Vos pagás el morfi. El chupi lo pago yo. | 「あんたは食事代を払え。酒のほうは、おれが払うよ」 |
morlaco (モルラーコ)
1ペソ紙幣。意味が拡大されて「お札、お金」。
Se dio el juego de remanye cuando vos, pobre percanta, | 相手を見きわめてモノにするゲームがうまくいった、おまえが――あわれなおんな!―― |
――タンゴ «Mano a mano»(マノ・ア・マノ=五分五分)1923年初録音 作詞:Celedonio Esteban Flores
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
mosaico (モサイコ)
ふつうのスペイン語で「モザイク」のこと。ルンファルドでは「女の子」の意味で使っていたが、これはふつうのスペイン語 “moza” (モサ=むすめ) の音を使った、単純なことば遊び。
このことばは、ルンファルドに満ちたタンゴ “El ciruja” (エル・シルーハ=ゴミ捨て場あさりの男) に使われた。この曲を、1960年代に エドムンド・リベーロ Edmundo Rivero (1911 -86) が解説付きで学生にうたってルンファルドの教材(?)にしたことから、いまでも「モサイコ」ということばはかなり広く知られ、若者が使ったりしている。
ただし、タンゴの歌の創造者 Carlos Gardel (¿? - 1935) は、このことばのひびきが男性的なことと、程度の低いことば遊びであることから、作詞者のけんめいの説得にもかかわらず(実際にこの単語は1920年代にはよく使われている実績があったが)、別のことばに直して録音した。わたしはガルデールの感性・ことばの美学に全面的に賛成する。
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