タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero


Pa - Pi

pa / pa' (パ)

 アルゼンチン=ウルグアイにかぎらず、スペイン語全域の口語(都市でも地方でも)で、“para” (パラ) を省略した発音。○○の前につけて「○○に向かって」というのが基本的な意味で、日本語にすれば「○○のために、○○に向かって」など、とても多く使うことば。


---Pa' mí es igual.

わたしに とっては どっちでもおんなじだ。


Pabellón de las Rosas (パベジョーン・デ・ラス・ローサス)

 ブエノスアイレスのパレルモ地区に、20世紀の初めにできたレストランでダンス・サロンの名前。後には実質的にキャバレーだったとも伝えられる。隣の地所にあるキャバレー《アルメノンビール》と経営者・出資者は同じだった。店名は「バラのパヴィリオン」、パヴィリオンはいろいろな種類の建物に使われる呼び名だが、元来は森の中などにある別荘を指していた。
 ヨーロッパ風の庭園の中にある鉄筋コンクリートの立派な建物で、スケート場、大小の宴会のための野外・屋内の会場、ダンス・サロンなどの設備があった。いちばん大きなサロンには本格的なステージ設備があった。一時は専属オーケストラをもち、この楽団は1910年にレコード録音もしている(レパートリーはワルツやタンゴなど)。
 タンゴの一流ミュージシャンの数々も出演し、ダンスのために演奏した。正午ごろから夕方の時間は、上流階級の家族連れが来る上品なダンス・サロン、夜は女性同伴の男性客(上流でない人も多い)ばかりで、キャバレーの様相を呈した。
 1929年のカーニバルを最後に閉店。


――ワルツ «Pabellón de las Rosas»(パベジョーン・デ・ラス・ローサス)1913年ごろ 作曲:José Felipetti
*フワン・ダリエンソ Juan D'Arienzo 楽団。ここをクリック


paese (パエーゼ)

 イタリア語で「国」のこと。イタリア人の「お国」「故郷」といったニュアンスで、イタリア語のまま発音する。


Con el codo en la mesa mugrienta
y la vista clavada en un sueño
piensa el tano Domingo Polenta
en el drama de su inmigración.
Y en la sucia cantina que canta
la nostalgia del viejo paese
desafina su ronca garganta
ya curtida de vino Carlón.

垢じみたテーブルに片肘をついて
視線は とある夢に釘付けになって
イタリア男ドミンゴ・ポレンタは考える
彼の移民のドラマのことを。
そして汚いカンティーナ――その店は
古い故郷のノスタルジーをうたっている――
そこで調子はずれにうたう彼のしわがれたのど
もうカルローン・ワインで焼けたのど。

――タンゴ «La Violeta»(ラ・ビオレータ)1929年 作詞:Nicolás Olivari 改編: Carlos Gardel
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


paica (パイカ)

 むすめ、若い女性。


pa'l / pal (パル)

 アルゼンチン=ウルグアイにかぎらず、スペイン語全域の口語(都市でも地方でも)で、pa' と定冠詞 el が1語につながったことば。


Palais de Glace (パレ・デ・ガラース)

 ブエノスアイレスのレコレータ地区にあったアイススケート・リンク兼社交サロン。1911年に開設された直後から、リンクに氷を張らずフロアにして(地下に冷凍設備があった)、上流社会のダンス・サロンとしても使われた。スケートの人気がなくなると、ダンスの比重が増し、1920年ごろには完全に、タンゴ・ダンスが支配するキャバレー化していた。
 元は、パリのシャンゼリゼに1893年に開設された同名(「氷の宮殿」の意)のスケート・リンクを模した、ベル・エポック調の、円形の立派な建物。スペイン語での発音どおりに Palé de Glas と表記する人もいた。フランス語の本来は “Palais des Glaces” が正しい。
 後年、経営者が変わって《Vogue's Club ヴォーグズ・クラブ》という店名になったが、人々はずっと「パレ・デ・グラース」と呼びつづけた。1931年にクラブは倒産し、地所・建物は国の所有物になった。1936年に外観も大改築されて、おもに美術展覧会場に使われた。後に、テレビ(7チャンネル)のスタジオとなり、やがてふたたび国の文化省の建物にもどり、今日では美術・音楽その他の文化活動・イベント会場として健在。建物は、国の文化財に指定されており、「パレ・デ・ガラース」の名前も生きつづけている。


pampa (パンパ)

 先住民のことばケチュア語 (インカ帝国の公用語) で、野原を意味する。南アメリカ各地で、台地や高原も含めて広野を指して使われることば。
 タンゴの世界と関係のあるのは、地理学上「湿潤パンパ Pampa húmeda 」と呼ばれる地域で、ブラジル南部のリオグランヂドスール Rio Grande do Sul 州、ウルグアイ Uruguay 全国、アルゼンチンのエントレリオス Entre Ríos 州、サンタフェ Santa Fe 州およびコルドバ Córdoba 州の部分、ブエノスアイレス Buenos Aires 州、ラパンパ La Pampa 州を含む、広大な土地。
 かつては、目のとどくかぎりほとんどすべてが芦の仲間の丈高い草でおおわれていたらしい。たいへん遠く離れ離れに数種の木の林があり、やはり非常に遠く離れてオンブーの樹が1本生えているといった風景。


pampero (パンペーロ)

 パンパの住人(?)といった意味だが、上記パンパ大草原を吹く風のこと。南半球の冬季(5月〜8月)に南極から吹いてくるので、たいへん冷たく、時には非常な強風となる(旅客機の墜落事故を起こしたこともある)。
 ブエノスアイレスでは、その年初めてパンペーロが吹くと、蒸し暑くて絶えがたい夏も終わりだと、人々は喜んだというが……。


pangaré (パンガレー)

 先住民のことばが語源だと思われる。馬の毛色のひとつで、明るい茶色(鹿の色)で、口先が白い。この毛色の馬は、スピードが速く、長く走りつづける耐久力も強いと定評があり、尊重されていた。なお、このことばはルンファルドではなく、アルゼンチン=ウルグアイの草原地帯の文化に属することば。したがって、タンゴの歌詞に出てくるのは、稀です。


papa (パパ)

 じゃがいも。先住民のことばケチュア語(インカ帝国の公用語)を借用。
 ルンファルドでは「すてきなもの」「美しいもの」「貴重なもの」の意味で、広く使われる。とくに「美女」を指すことも多い。こちらは、子どものスペイン語で「たべもの」をあらわすことばが語源とのこと。
 バンドネオン奏者 Eduardo Arolas (1892 - 1924)“Papas calientes” の題名は、「熱々のポテト」と「ホットな美女たち」の両方の意味を掛けた言葉遊びだろう。もっとキワドいことを連想する人もいるらしい。どうぞご自由に……。


papa frita (パパ フィリータ)

 まぬけ、ばか。本来の意味は「揚げたポテト」だが……。


papas fritas (パパス フィリータス)

 フライド・ポテト、日本で近年は英語の「フレンチ・フライ」という呼びかたが一般化してきているようだが、皮をむき櫛形に切った生のポテトを、油で揚げた料理。
 アルゼンチン=ウルグアイのレストランで、ビーフステーキの付け合せに必須の一皿で、塩をかけただけで食べる。別勘定だが、かつては食べ放題に近い大盛りでいいかげんに供され、タダ同然の値段だった。
 簡単な料理だけれど、外側をカリカリに、中をやわらかく仕上げるのは相当な技を必要とする。プロ・アマチュアの料理人たちが、それぞれの秘伝をもって、この方法がいちばんと争っている(オムレツもそうですね)。どんなにうまくできていても、時間がたつと、空中の水分を吸ってグニャグニャになる。アルゼンチン=ウルグアイのレストランでは、下記の方法が一般的。


papas soufflées (パパ スーフェレー)

 フランス語をまぜた呼び名で、訳せば「ふくらまされたじゃがいも」。
 秘伝はあるけれど、要点は、薄く切ったじゃがいもを、まず低温の油で揚げてやわらかくしておく(その後、少し置いておくことによって、余分な油が切れる)。これを非常に高温の油で一瞬の内に揚げる。このことで水分がすべて飛んで表面がカリカリに固くなり、また内部の空気が急に膨張して、ふくらんだ形になる。しぼまないうちに、すぐ食べること。

わたしも日本でやってみました。じゃがいもは、(男爵ではなく)メークインの系統のもので、
ちょうどいいかげんに水分を含んでいそうなものを買ってきます。
一般家庭の調理器具では、必ず失敗します。
理由は、2度めに揚げるとき、じゃがいもを入れたとき油の温度が下がらないように、非常に大量の油が必要なことです。
そんな鍋も、必要な火力も、ふつうの家にはありません。
2〜3片ずつ揚げればいいんでしょうが……。でも、ふくらまないのがたくさんあっても
自分でつくったものは、じゅうぶんおいしいです。


papirusa (パピルーサ)

 すごい美人。上記の papa を、愛情こめて、おもしろい音のことばにしたもの。


papusa (パプーサ)

 すごい美人。上記の papa に、大げさにするときの語尾をつけたもの。


Milonguerita linda, papusa y breva,
con ojos picarescos de pippermint,
de parla afranchutada, pinta maleva
y boca pecadora color carmín.

きれいなキャバレー娘、とっても美人、すてきな美女、
いたずら小僧のような両目はペパーミント・リキュールの緑色、
フランス人っぽいおしゃべりで、やくざっぽくて粋なよそおい、
そして 真っ赤な色の 罪ぶかい口。

――タンゴ «Che, papusa, oí» (チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


parado (パラード)

 ふつうのスペイン語で「止められた、自分で止まった(人、物事)」という意味から、「行きどころがなくなった」「やることがない」など、いろいろな状態をあらわして使われる。”d”の音を発音しないで、“parao” (パラーオ) というと、よりルンファルドっぽくなる!
 参照 ⇒ largar parado


parejero (パレヘーロ)

 競馬用の馬、競馬に使えるぐらい速く走れる馬。語源は “pareja” (パレーハ=一対、カップル) で、19世紀の ガウチョ の競馬は、つねに2頭で争ったことによる。2頭専用の直線コースがつくられていた。コースの両側は土手になり、中央線の部分は土を盛り上げてあった。もちろん(!)どちらが勝つか賭けがされた。


parla (パルラ)

 しゃべりかた、話しぶり。下記 parlar 参照。


parlar (パルラール)

 話す、おしゃべりする。イタリア語 “parlare” のスペイン語化。


Che, madam, que parlas en francés
y tirás ventolina a dos manos,
que escabiás copetín bien frappé
y tenés el yigoló bien bacán . . .

もしもし マダム、あなたはフランス語をしゃべり
両手でお金をばらまく
キリキリに冷えたグラスをあおり
まったくご立派な色男をお持ちだ……

――タンゴ «Muñeca brava»(おそろしいお人形さん)1928年 作詞:Enrique Cadícamo 改編:¿Carlos Gardel?
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


Parque Patricios (パルケ・パトリーシオス)

 ブエノスアイレス市の区のひとつ。ポンページャ Pompeya 区の北東の隣にある(かつては同区の一部だった)。18〜19世紀には、南の大草原から市街地(というほどのものはなかったが)に入る手前の地域で、コラール corral(馬をつないだり、牛車を置いたりする、柵で囲った空き地。現代なら駐車場) がいくつもあった。そこから コラーレス・ビエーホス Corrales Viejos すなわち「古きコラール地帯」という地域名もあった(後になって、この地域で、男性がひとりで勝手に踊って遊んでいたのが、タンゴ・ダンスの原型)。2〜3軒 プルペリーアpulpería(今日ならドライヴイン?)があったようだ。
 その後、トタン屋根の2メートル四方の小屋が立ち並ぶ、犯罪者の巣窟のスラム街もこの地域にあった。雨水がたまっていくつもの沼ができて、夜になると蛙たちの大合唱が遠くまで聞こえた。沼はずっと後まであり、タンゴ『タンゴの街 Barrio de tango』 にもうたわれている。
 1872年に、食用牛の畜殺場ができて、大草原から牛の群れを連れてくる アリエーロ arriero (牛追い)コチェーロ cochero (馬車ひき) といった職業の男たちのたまり場から、タンゴのダンスの原型が生まれた。
 1902年に、畜殺場は郊外に移転し、その跡地に Parque de los Patricios (愛国者たちの公園) ができた。そのときこの地区は ポンページャ 区から独立し、公園の名前をとった、新しい区名が誕生した。
 この区には、弱いけれど(失礼!)熱狂的なファンのいるサッカー・チームをもつ、スポーツ・クラブ《ウラカーン Club Atlético Huracán 》の本拠・スタジアムがある。

この区の住人だった有名タンゴ人は――バンドネオン奏者 フワン・ギド Juan Guido (1898 - 1945)
ギタリスト・作曲家 ギジェールモ・バルビエーリ Guillermo Barbieri (1894 - 1935)
(彼の家で練習するために歌手 カルロス・ガルデール Carlos Gardel も、よくこの区に来ました)
若いころの作詞作曲家・俳優 エンリーケ・サントス・ディセーポロ Enrique Santos Discépolo (1901 - 51)
歌手 アンヘル・バルガス Ángel Vargas (1904 - 59)です。
また、タンゴ『ミロンギータ Milonguita 』のヒロインは、この区の出身ということになっています。参照 ⇒ Chiclana.


Yo soy de Parque Patricios,
he nacido en ese barrio
con sus chatas, con su barro;
en la humildad de sus casas
con sus cercos de madreselvas,
aprendí enfrentar la vida.
En aquellos lindos tiempos
de percal y «Agua Florida»,
con guitarras en sus noches
y organitos en sus tardes.
Yo soy de Parque Patricios,
vieja barriada de ayer.

わたしはパルケ・パトリーシオスの人間
あの区で生まれてきたんだ
荷馬車がならんでいたところ、泥の地面があったところ。
マードレセールバ(すいかずら)の生け垣がある
その町の通りの清いまずしさの中で
わたしは人生に直面することを学んだ。
あのすてきな時代
キャラコのドレスと 《花咲く水》香水の時代、
その夜々はギターたちといっしょ
午後にはオルガニート(手回し街頭オルガン)で踊る。
わたしはパルケ・パトリーシオスの、
過ぎた日の古い町並みの人間。

――タンゴ «Yo soy de Parque Patricios»(わたしはパルケ・パトリーシオスの人間)1944年 作詞:Carlos Lucero
*アンヘル・バルガス Ángel Vargas 歌 アンヘル・ダゴスティーノ Ángel D'Agostino 楽団。ここをクリック


pasaje (パサーヘ)

 ふつうのスペイン語で「通過」その他いろいろな意味があるが、ブエノスアイレスの道路の分類としては、calle(ふつうの通り)より狭い、すなわち幅17.32m未満の道。当然、長さも短いけれど、2〜3ブロックは延びていく。ほかの道と交差しない路地は cortadaと呼ぶ。


pasta

 ⇒ disco de pasta


pata ancha (パターンチャ)

 直訳すると「幅広の足」、危機にさいして、堂々と正面から立ち向かう態度を、このように表現する。
 ルンファルド の発生以前、19世紀の初めから使われたことば。そのころは、短剣による一対一の決闘で、相手に正面から向かって、足をしっかりと地面に着けた姿勢を指していた。


En el peligro, ¡qué Cristo!
El corazón se me enancha,
Pues toda la tierra es cancha,
Y de esto naides se asombre:
El que se tiene por hombre
Donde quiera hace pata ancha.

危険の中で――それが何だ!――
おれの心臓はふくれあがる。
だって どの土地であろうと そこが闘いの場所、
このことで おじけづいてはいけない。
自分を男だと思っている者は
どこにいてもしっかり踏ん張って立ち向かう

――物語り詩 «El gaucho Martín Fierro»(エル・ガウチョ・マルティーン・フィエーロ)より 1872年 作:José Hernández


pato (パト)

 金のない男。女性に対しては pata (パタ) という。ふつうのスペイン語では鴨(かも)のことだが……。


payada (パジャーダ)

 フォルクローレの音楽スタイルで、タンゴのダンスや音楽が発生するよりずっと古くからあった。男性がソロで、即興で定型詩をつくりながら、ギターの伴奏(自分で弾く)で、語りうたう。詩の内容は学者の講演のような、思想・哲学的といえるものまで含んでいるときもあれば、物語りであることもあった。ふたりの歌い手が、お互いに相手に問題を出し、それについて長々と詩で述べていくことを競う試合もあった。このような「パジャーダ」の試合は、数日(数夜)にわたることもあり、地方の町村で、入場料を取る興行としておこなわれた。


payador (パジャドール)

 上記パジャーダの歌い手。「ガウチョの吟遊詩人」と訳すこともできるだろう(全面的に適訳とはいえないけれど)。みずからギターで歌の合いの手の和音、あるいは簡単なリズム伴奏を弾きながら、即興の詩を、語るような抑揚の自然なメロディを付けてうたっていく。
 19世紀末近くになると、民謡のように定着したメロディがいくつかでき、美しい抒情的な歌詞で広く知られる、即興ではない、ひとつの「曲」をうたうようにもなった。この時点で、パジャドールは、プロのポピュラー音楽歌手の先駆になったといえる。
 タンゴ歌曲の最初の作詞者たち、それをうたった歌手たちは、パジャドールの芸術の直接の延長線上にある。


pebeta (ペベータ)

 女の子、若い娘。下記のことばから女性形として派生した。


pebete (ペベーテ)

(1)男の子、少年、がき。語源はカタルーニャ語起源のスペイン語で、火をつけるといい香りを発する小さな棒状の製品。男の子は悪臭(?)を放つので反語として、ふざけてこう呼んだらしい。後には「汚れた」イメージはなく、時には「貧しい」というニュアンスもなく、一般的に男の子のことを指すようになった。
(2)丸い小型のパンで、一般的なフランス・パンより皮が薄く、よりやわらかく(イーストが多め)、より甘い(砂糖が多め)。サンドイッチによく使われる。英語でバン bun と呼ぶものと同種。


pedigree (ペディグレー)

 競馬の馬の由緒ある血統(書)。ふざけて、人間の家柄・血統をからかうときにも使う。純血種のペット動物にも使われているかもしれない。英語が元で、フランス語ほか世界各国語で使われていることばで、いちばんの大元はフランス古語だそうだ。


peine (ペイネ)

 髪をとかす「櫛(くし)」のこと。バンドネオンの専門用語では、リード lengüeta を取り付ける金属製の基板を指す。並んだ複数のリードが、櫛の歯に見える(外部からは見えません)。


peña (ペーニャ)

 標準スペイン語で、「堅固な岩山」といった意味から発して、友人・同志の集まり・グループを指す。スペイン語の各国・各地に、スポーツ(闘牛やサッカーなど)、文学、美術その他の趣味を同じくする人たちの集まり(○○愛好会とか××クラブ)もあれば、ただ会話・交友をたのしむだけの、名前のないグループもある。本部の建物をもっている組織から、カフェで適当に集まる仲間まである。
 タンゴのペーニャは(ペーニャと名乗っていないほうが多いが)、日本の愛好家グループと似ている。研究をまとめた小冊子や雑誌を発行することもあるが、イベントを主催したりの対外的な活動はしないのがふつうだ。仲間だけでたのしむことが目的である。
 フォルクローレで「ペーニャ」というと、1940年代からブエノスアイレスで発生した、郷土料理レストランでステージをもった店がまず連想される(まだ「フォルクローレ」ということばではなく、「郷土音楽」といった名前で呼ばれていたが)。これはペーニャといっても、一般客を対象にしたライヴ・レストランの店だ。また、一方では、フォルクローレのダンスをたのしむ、民衆的な社交クラブ(営利目的ではない)もある。

タンゴ曲『ロドリーゲス・ペーニャ』の題名は、この項のペーニャとは関係ありません。


percal (ペルカール)

 布地の一種で、とてもこまかく目の詰んだ木綿 (もめん=コットン) の織物――インドで手作業で織られていた上質の木綿を模して、産業革命の時代に英国で機械で織る技術が生まれ、世界中に広がった。現在では、化学繊維と混紡されたり、織りかた・用途の変化したものに、同じ呼び名が使われている。フランス語・英語では、percale と呼ばれ(語源不明)、日本語の辞書で「パーケイル」としている布は、専門家の分類はともかく、一般的なイメージでは、昔の同名の布地とはまったく別のものだ。
 さて、アルゼンチン=ウルグアイの ペルカール は、肌ざわりが良くて、軽くて着やすく、色がきれいで(この布地は染めやすい)、しかもそれほど高価でないので、女性のドレス・晴れ着にもっとも愛用された。あらゆる面で、ドレスには絹 (きぬ=シルク) が最高だが、値段も段違いに高いので、庶民には手がとどかない。
 ペルカール は、裕福でない家庭の娘の晴れ着、キャバレーに出入りする女性のドレスの布地であり、そのような女性のシンボルとなっている。
 時代が変わり、化学繊維の登場・普及によって、ペルカールの時代は終わる。それは、伝統的なタンゴを生み育ててきた社会が終わったことにもつながる。

日本語では「キャラコ」(キャリコと呼ぶ人もいた)とするのが正しい訳だと思います。
このことばは、インドの輸出港カルカッタの地名をなまった英語 calico から来ています。
わたしは子どものころ、どんなものだか知りませんでしたが、キャラコと呼ばれる布地があることは耳にしていました。
明治・大正・昭和初期の随筆などを読みますと、タンゴの歌詞に出てくる 「ペルカール」 とまったく同じようなイメージで、
「キャラコ」 が登場します。
「貧乏人の絹」なんて呼ばれていますね。日本では、お正月用の着物などに (絹を着ることができない女性が) 使ったわけです。


percalera (ペルカレーラ)

 ペルカールのドレスを着た娘。ペルカールのドレスが晴れ着であるような場末の娘。


percanta (ペルカーンタ)

 1915年のルンファルド辞書の定義では、単に「女」となっている。次の歌詞でたいへん有名になったことば。その後の使われかたを見ていると、場末・貧しい地区の出身で、若い男性を求めて夜の街に出かけるような、若い女性を「ペルカーンタ」と呼んでいる、と(わたしには)感じられる。わりあい権威ある辞書で「おめかけ」の意味をもつとした定義があるが、それでは行き過ぎのようだ。「情婦、愛人、親しい女ともだち」というイメージはある(『わが悲しみの夜』の歌詞の印象があまりにも強く残ったせいかもしれないが)。日本語の「スケ」に、けっこう近いニュアンスのことば。


Percanta que me amuraste
en lo mejor de mi vida
dejándome el alma herida
y espina en el corazón . . .

おれを捨てた おんな
――おれの人生のいちばんいいときに、
おれの魂に傷を残していった
そして心にはトゲを……

――タンゴ «Mi noche triste»(わが悲しみの夜)1915年ごろ 作詞:Pascual Contursi
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


percherón (ペルチェローン)

 ペルシュロン(と、日本ではフランス語発音の通りに呼んでいる)。フランス北部ペルシュ地方 Perche 原産の、太い足の頑丈な体格の馬。世界中で、馬車馬として珍重されている。


performance (ペルフォルマーンセ)

 競馬で、馬の走りっぷり、これまでの成績。英語をそのまま転用。
 参考 ⇒ ganador, placé, N.P..


pesada (ペサーダ)

 武装強盗団。自動小銃など重火器 armas pesadas を隠し持っていることからの命名で、そのようなグループが出現した1950年代からのルンファルドだそうだ。
 その後、意味を広げて、「すごい顔ぶれのグループ」を、皮肉な畏敬の念を込めて呼ぶことばになった。どちらの場合も、必ず定冠詞を付けて la pesada (ラ・ペサーダ) の形で使う。
 女性個人を指すことばとしては、下記 “pasado” を参照。


---Mirá ahí viene la pesada de Raúl Berón.

「見ろよ。あそこにやってくるのが、ラウール・ベローンの 熱烈ファンのつわものたちだよ」


pesado (ペサード)

 ふつうのスペイン語では「重い(物、人)」という意味。20世紀はじめのルンファルドでは「やくざもの」を指すことばだった。まわりを威嚇しながらドシドシ歩く「重い足どり」による命名。
 20世紀半ば過ぎには、酒が入ると人にからむ男とか、くだらないことを長々としつこくしゃべる男とか、重ったるくて、いっしょにいたくない人をこう呼ぶようになった。女性なら pesada (ペサーダ) と呼ぶ。
 現代では「いっしょにいる人をイライラさせる、わずらわしい(人)」の意味で、さらに広く使われている。この用法は、もしかしたらルンファルドと関係なく、各国で通用するスペイン語の俗語なのかもしれない。


¡Piano! (ピアーノ)

 ふつうのイタリア語で「ゆっくりと」「小さな声で」「注意ぶかく」といった意味、音楽用語では「小さな音で」。これらをそのまま借用して「静かにしなさい」「おちついてください」「ゆっくりいきましょう」など、人に注意するときに使う。2度くりかえすことが多い。ゆっくりと、おちついた口調で言う。


---¡Piano, piano! . . . ¿Para qué correr tanto?

おちついて、おちついて!……そんなに走らなくてもいいでしょう?」


---¡Piano! . . . A esta hora ella está durmiendo.

静かに!……この時間、彼女は眠っているところなんです」


piantado / piantao (ピアンタード/ピアンターオ)

 行動や考え方が常人とはちがう、ヘンな人。この世間から追い出されている(あるいは自分で逃げ出した)ような人。


piantar (ピアンタール)

 犯罪者の隠語 “espiantar”(盗む、持ち去る、逃げる)を短くしたことば。隠語のほうは、タンゴの歌詞に使われるほど一般化せず、この簡単なほうの形が広く親しまれている。意味は、かなり広くなって「逃げだす、なくなる、(物を)もって行ってしまう、(人を)追い出す」など。語源はイタリア語 spiantare (引き抜く)。参考 ⇒ espiante

Mas cuando estuvo a mi lado
me habló como un caramelo
del sol, la luna y el cielo
y lo pianté con razón.
Mama, yo quiero un novio
que sea milonguero,
guapo y compadrón.

でも彼はわたしの横にいたとき
キャラメルみたいに甘くなって わたしに話した
お日様のこと お月様のこと 空のこと
――そこでわたしは彼を追い払った、当然のこと。
ママ、わたしは恋人が欲しい
タンゴの踊りがうまくて
男前で ワルっぽいひとが。

――タンゴ «Mama, yo quiero un novio»(ママ、わたし恋人が欲しい)1928年 作詞:Roberto Fontaina
*アルベルト・ビラ Albero Vila 歌。ここをクリック


piantar (前か後ろに me, te, se, nos を伴って)

(自分を)逃がす、すなわち「逃げ出す、ずらかる、消える」。上記のより、この形のほうが多く使われる。


¡Cómo se pianta la vida
del muchacho calavera!

なんと逃げ足が速いことだろう
遊びほうけている男の人生は!

――タンゴ ¡Cómo se pianta la vida! (人生は逃げてゆく)1929年 作詞:Carlos Viván
*アスセーナ・マイサーニ Azucena Maizani 歌。ここをクリック


Barrio . . . barrio . . .
perdoná si al evocarte
se me pianta un lagrimón,
que al rodar en tu empedrao
es un beso prolongao
que te da mi corazón.

街よ……街……
許してくれ おまえのことを思い起こすと
でっかい涙の粒がひとつ おれ(の目)から落っこちてしまうのを
――それはおまえの石畳の上を転がっていくとき
長くつづくキスになって
おまえにわたしの心を与える。

――タンゴ «Melodía de arrabal»(わが悲しみの夜)1932年 作詞:Mario Battistella
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


Mama, si encuentro ese novio
juro que me pianto
aunque te enojés.

ママ、そんな恋人を見つけたら
わたしは誓う 絶対に(家を)出て行きます
たとえあなたが怒っても。

――タンゴ «Mama, yo quiero un novio»(ママ、わたし恋人が欲しい)1928年 作詞:Roberto Fontaina
*アルベルト・ビラ Albero Vila 歌。ここをクリック


Pigall (ピガール)

 ブエノスアイレスのキャバレーの名前。パリの歓楽街ピガール地区 Pigalle を借用した命名。
 1916年に、コリエンテスとエスメラルダ通りの角にあったレビュー・バラエティ劇場《ロジャール Royal 》の2階をキャバレーにして Royal Pigall と名乗った。後年この建物は《Ta-Ba-Ris (タバリース)》と改名して、ラテンアメリカ最大規模のキャバレーになった。
 また、マイプー通りには《Maipú Pigall (マイプー・ピガール)》、同通りのカシーノ(やはりバラエティ劇場)の内部に《Casino Pigall (カシーノ・ピガール)》も開店した。どの店も経営者・共同出資者たちは、少し入れ替わりはあるが、同じ人たちである。
 参照 ⇒ Armenonville

エドゥアルド・アローラス作曲のタンゴの題名 “Place Pigall” (プラース・ピガール) は、パリの広場の名前です。
そこに、アルゼンチンから渡ったタンゴ楽団指揮者マヌエール・ピサーロの経営するキャバレーがありました。ブエノスアイレスの《ピガール》より後のことです。ピサーロは1920年代後半には、いずれもピガール通りに、4軒のキャバレーを経営していました。


pilcha (ピルチャ)

 一般的に「服、服装」。せまい意味では、男性の(ふだん着ではなく)人前に出るときの服、女性のドレス、アーティストのステージ服など。

語源は、先住民パンパ族のことばで、毛布のようにからだにまとうマント状のものを指していたようです。
19世紀末のルンファルド文献では「一般的に衣類」と定義されています。


---¿Que pilcha te vas a poner?
---Saco blanco, pantalón negro y el moño.

「どのを着るの?」
「上着は白、ズボンは黒、それにボウ・タイ」


Llevátelo todo: mis pilchas, mi vento,
¡pero a ella dejala porque es mi mujer!

ぜんぶ持っていけ――わたしのも、わたしの金も――
でも 彼女は置いていってくれ、わたしの妻なのだから!

――タンゴ «Llevátelo todo»(みんな持っていけ)1928年 作詞:Rodolfo Schiamarella
*アスセーナ・マイサーニ Azucena Maizani 歌。ここをクリック


pingo (ピンゴ)

 競馬の馬。速い、いい馬というニュアンスをもって、愛情ある呼びかた。同義語:burro; tungo


pinta (ピンタ)

 一般のスペイン語では「人や物の(内容・性質があらわれているような)外見、格好、様子」のこと。ルンファルドでは、限定して「粋な姿・服装」の意味でもよく使われる。参照 ⇒ mala pinta


Milonguerita linda, papusa y breva,
con ojos picarescos de pippermint,
de parla afranchutada, pinta maleva
y boca pecadora color carmín.

きれいなキャバレー娘、とっても美人、すてきな美女、
いたずら小僧のような両目はペパーミント・リキュールの緑色、
フランス人っぽいおしゃべりで、やくざっぽくて粋なよそおい
そして 真っ赤な色の 罪ぶかい口。

――タンゴ «Che, papusa, oí» (チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


pippermint (ピッペルミーン)

 ペパーミント・リキュール。ミントの香りをつけた、あざやかな緑色の、甘いアルコール飲料で、そのまま、あるいはカクテルに使う。本物の(?)酒飲みには敬遠されるが、女性にこころよい刺激を与えるという伝説があった。英語 “Peppermint” がなまった呼びかた。

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