タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero
Racing Club (ラーシン・クルーブ)
ブエノスアイレス首都圏 Gran Buenos Aires の、プロのチームをもつサッカー・クラブ(もちろん自前のスタジアムももっている)。単に “Racing” とだけ呼ばれることも多い(特にファンのあいだでは)。
1903年、バラーカス・アル・スー Barracas al Sud 地区(1904年にアベジャネーダ Avellaneda 市と改名)で創立され、アルゼンチン・サッカーの歴史をつくった5大クラブのひとつ。
クラブ名は、創立者のひとりが、雑誌で見たフランスのサッカー・クラブ(1882年創立)の名前が気に入り、それまで、なんの交流もないのに(無断?)借用したもの。Racing という英語が使われているのは変だけれど、正当な理由がある。そのフランスのクラブは元来、種々のスポーツを振興するクラブで、創立者は、競歩の選手だったとのこと。
バンドネオン奏者・楽団リーダー、 ビセンテ・グレーコ Vicente Greco (1888 - 1924) が、同名のタンゴを作曲して、このチームに献呈している。歌手 カルロス・ガルデール Carlos Gardel は、1917年からこのチームのファンだったそうだ。
*このチームの公式サイト(スペイン語)は http://www.racingclub.com.ar/
rajar (ラハール)
スペインの隠語・俗語そのままで、「走る、逃げだす」の意味。
参照 ⇒ raje。
---Rajemos antes que nos vengan a cobrar. | 「金を払わされる前に、さっさと逃げだそうよ」 |
raje (ラヘ)
「(急いで)逃げること」。“tomar el raje” で「逃げる、さっさといなくなる」という表現も、よく使われる。
---¿Dónde está Carlos que no lo veo? | 「顔が見えないけど、カルロスはどこにいる?」 |
Cabaret . . . metejón . . . | キャバレー……がまんできない恋ごころ…… |
――タンゴ «Pucherito de gallina»(プチェリート・デ・ガジーナ)1953年 作詞:Roberto Medina
*エドムンド・リヴェーロ Edmundo Rivero 歌。ここをクリック
rana (ラーナ)
ずるがしこくて、スキのない悪漢。意味が広がって「ワルの魅力をもった人」という感じで使われることが多い。モンテビデオでは、ブエノスアイレス以上に愛用されていることばである。
標準スペイン語では蛙(かえる)のことで、古いスペインの俗語では「間抜けなやつ」という正反対の意味だったそうだ。
Con un café con leche y una ensaimada | カフェオレ1杯と エンサイマーダ1個で |
――タンゴ «Garufa»(ガルーファ)1928年 作詞:Roberto Fontaina - Víctor Soliño
*アルベルト・ヴィーラ Alberto Vila 歌。ここをクリック
ranchera (ランチェーラ)
1930年代前半に流行し、その後一般的には すたれた(地方では、かなり長いあいだ、細々ながら根強く愛好されつづけているが)ダンス、その音楽、そのリズムによる歌曲。男女のカップルで、手を取り合って(抱き合わずに)踊る。
元来は、ポーランド起源のマズルカ――スペイン語では Mazurca (マスールカ)――で、このダンスは19世紀後半にヨーロッパのサロンで流行し、アルゼンチン〜ウルグアイにも伝わって大人気となった。それが、1920年代の末に、(たぶんアメリカのダンス音楽の浸透に対抗するための)商業政策から《ランチェーラ》と命名され、タンゴの楽団・歌手・作詞作曲家も、レパートリーの一部にこのリズムを加えた。
快活な3拍子で、多くの曲では、要所で、その2拍めを強調し、3拍めを休止にするのが特徴。本来のマズルカには、3拍めを強調する曲もあるが、そのスタイルも使われる。この音楽は、ウルグアイと国境を接するブラジル南部のフォルクローレにも入り、“rancheira“ (ランシェイラ) の名前で、いまも生き残っている。
メキシコの《ランチェーラ》は、1930年代から起こった、農牧地帯の人々の感情をうたった歌謡曲ジャンルの、後年になっての呼びかたです。
rancho (ランチョ)
スペイン語各地で、農地・牧場に関して、いくつかの意味で使われていることば。アメリカの英語にも移入され “ranch” として使われている。
アルゼンチン〜ウルグアイでは、農民や牧童の家のこと。説明が長々しくなるので、日本語では簡単に「小屋」と訳すが、れっきとした住居である。相当に大きい場合もある。典型的なものは、壁と屋根は土と藁(わら)や干し草を混ぜたもの、床は土。パンペーロ (南極から吹いてくる冷たい風) から身を守るために、北側に入り口がある。
タンゴには関係のないことばだけれども、都会の人が自分の家はみすぼらしいと卑下して、あるいは他人の家を皮肉って、あるいは単にユーモラスに「家」というだけの意味で、《ランチョ》ということばを使うことはよくある。
rante (ランテ)
浮浪者、無職で住所不定の(人)、取るに足らない(人・もの)、どうしようもない(男)。atorrante の省略形。
ranún (ラヌーン)
上記 “rana” を、さらに強めたことば。とても頭のいい悪者、すごくトッポいやつ。
rasca (ラスカ)
きたない、やかましい音をまきちらす、へたな演奏者。語源は「ひっかく」ということばなので、元来はヴァイオリンやギターを弾く人を、あざけって言ったのだろう。後には、どの楽器の人にも使う。
---¿Qué músicos de la raíz? | なにが、大地の根をもった音楽家だ。 |
rati (ラティ)
Razón, La
⇒ La Razón
rechiflado (レチフラード)
(恋心や欲望、物がほしい気持ちで)頭がおかしくなった(人)、人柄とか様子がすっかり変わってしまった(人や物)、急に怒りだした(人)。女性や、文法上女性とみなされる物に対しては rechiflada (レチフラーダ) を使う。
record (レコル)
英語をそのまま流用。ただし発音は récor とする。
スポーツなどの「最高記録(レコード)」の意味で使う。英語にある他の意味は採り入れない。
---Este disco batió el record de venta. | このレコードは 売り上げの記録を破った。 |
recova (レコーバ)
⇒ vieja recova。
refrán (レフラーン)
ふつうのスペイン語では「ことわざ」、あるいは、皮肉をこめて「(いつも同じ)決まり文句」のこと。詩や歌の専門用語では、詩(歌詞)の1篇(曲)のなかで、繰返し出てくる(最後にも)同じことばの部分。たぶんフランス語の(英語にも同じことばがあるが) “refrain” (ルフラン) を借用したもの。タンゴでは、同義語 estribillo を使うことのほうが、より多いようだ。
remanye (レマンジェ)
物事をよく見て知ること、人間を見抜くこと。
下記の歌詞で一般にも広く知られるようになったことばだが、この例は、特別なニュアンスを持たせた使いかたといえる。この詩人は他の詩でも同じような用法をしている。
Se dio el juego de remanye cuando vos, pobre percanta, | 相手を見きわめてモノにするゲームがうまくいった、おまえが――あわれなおんな!―― |
――タンゴ «Mano a mano»(マノ・ア・マノ=五分五分)1923年初録音 作詞:Celedonio Esteban Flores
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
rioplatense (リオパラテーンセ)
ラプラタ河 Río de la Plata (リーオ・デラパラータ) を共通項ということにして、「アルゼンチン=ウルグアイの(ことば、人、物事)」という意味をもたせたことば。
でも、ラプラタ河流域には両国の首都は含まれるが、他の広大な国土は関係ない。国境の河は大部分がパラナー Paraná 河だ。
じつはこの地域は、スペイン王国のラプラタ河副王領と呼ばれていたので、そこから名づけられた。もう独立してから200年もたっているのに、時代錯誤もはなはだしいことばだ。
スペイン本国の言語学者が、ひとつのまとまった方言を使う地域名として使いはじめた用語です(その場合、現在のパラグアイ共和国も含みます)。
また、タンゴとか両国の文化などに関した文に、時たま出てきました。
ただし、いかにも便宜的な、実情に即さない命名ですので(わたしには差別用語とすら思えます)、
語学に関すること以外は使わないほうがいいでしょう。
「アルゼンチンとウルグアイの」とか、「ラプラタ河口の都市ブエノスアイレスとモンテビデオの」とか、明記すべきだと思います。
Rodríguez Peña (ロドリーゲス・ペーニャ)
南アメリカがスペインから独立するために闘った政治家 ロドリーゲス・ペーニャ Nicolás Rodríguez Peña (1775 - 1853) の名前が、ブエノスアイレスの通りのひとつに残された。タンゴに関係があるのは、この道の名前のほうである。
20世紀のはじめに、ロドリーゲス・ペーニャ通りにあった 《サロン・サンマルティーン Salón San Martín 》は、「ロドリーゲス・ペーニャ(通りのあの店)へ踊りに行こう……」といった感じで、正式名よりも通りの名前で知られるようになった(この通りには、近接してべつに2つのサロンがあったにもかかわらず)。これらのサロンは、多くが福祉・互助団体の建物で、それをイベントの主催者が借りて客から入場料を取る、いわばレンタル会場だった。通称「ロドリーゲス・ペーニャ」のサロン・サンマルティーンでは、最初は月曜日に、その後、水か木曜日にダンスパーティが開かれた。ロング・ドレスのファッション・コンクールが開催されたり、なかなか高級なパーティだったようだ。
バンドネオン奏者 ビセンテ・グレーコ Vicente Greco (1888 - 1924) が最初に楽団をひきいたとき、ここに出演し、タンゴ『ロドリーゲス・ペーニャ』を即興で演奏してお客を歓喜させたと伝えられる(1911年)。
――タンゴ «Rodríguez Peña»(ロドリーゲス・ペーニャ)1911年 作曲:Vicente Greco
*キンテート・クリオージョ・ターノ・ヘナーロ Quinteto Criollo Tano Genaro 1913年録音
(バンドネオン:ヘナーロ・エスポーシト、ピアノ:ロベルト・フィルポ ほか)。ここをクリック
Royal Pigall (ロジャール・ピガール)
⇒ Pigall
ruso (ルーソ)
ふつうのスペイン語で「ロシア人」。女性は rusa (ルーサ)。アルゼンチンとウルグアイでは、白系ロシア移民に限らず、東ヨーロッパなどどこから来た人でも「ユダヤ人」をぜんぶ「ルーソ」と呼ぶ。ユダヤ人ではなくても、それっぽい顔をした人はこう呼ばれてしまう。
参考 ⇒ criollo, gallego, tano, turco.
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