タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero
Saldías (サルディーアス)
ブエノスアイレス出身の劇作家 José Antonio Saldías (1891 - 1946) (ホセ・アントーニオ・サルディーアス)。父は高名な歴史家で外交官。本人は海軍学校に行ったが、ジャーナリストになりたくて、20才のときに、大好きな新聞《ラ・ラソーン La Razón 》紙の編集部に毎日通い、やがて書いた記事が認められて正規の記者になる。先輩記者たち、ボターナ などに認められて、《クリーティカ》紙の創立メンバーに加わった。平行して政治風刺のコメディ作家としても成功。アルゼンチン劇作家協会の事務局長(有給)として信頼される活動をした。自作の歌入り芝居のために、少しだけだがタンゴの作詞もした。
*彼の随筆の断片をご紹介しています。⇒ 《エル・トロペソーン》の名声
San Martín (サンマルティーン)
アルゼンチンの国民的英雄、サンマルティーン将軍 General San Martín (¿1778? - 1850)。アルゼンチン=ウルグアイがまだスペイン王国の領土だった時代に、今日のコリエンテス州ジャペジュー Yapeyú に生まれ、7才でスペインに渡り、11才でスペイン軍の兵士となった(当時スペインはアフリカ侵略やフランスからの侵略など、けっこう戦争に忙しかった)。やがて、ラテンアメリカの(スペインからの)解放・独立をのぞむ人々と知り合い、1812年に帰国して、南アメリカ諸連合諸県(今日のアルゼンチン=ウルグアイ)の司令官を買って出た。スペインによる支配は、現在のペルーが中心地だったので、サンマルティーンは北に向かい、まずチリをスペイン国王派の支配から解放し、ペルーを独立させた。1822年に、もうひとりの偉大な南アメリカ解放者(ベネズエラ出身)シモーン・ボリーバルと出会って、現在のエクアドールで会談した。その会談の内容にについては歴史家たちが研究しているが、結局真相はわからない。とにかくその後サンマルティーンは政治活動から完全に身をひき、フランスで隠棲生活をおくった。
“¡Qué falta de respeto, | なんという敬意の欠如! |
――タンゴ «Cambalache»(古道具屋)1935年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*ティタ・メレッロ Tita Merello 歌。ここをクリック
sanata (サナータ)
ルンファルドの単語を最大限に入れて、そこに vesrre の語法を加えて、切れ目なしに早口で、ふつうの人にはまったく意味をわからなくする、しゃべりかたのテクニック。転じて「意味不明のことばの羅列」「汚くて読めない字」「難解なだけで内容のない文章」など、ゴチャゴチャしてわけのわからない物事もこう呼ぶ。たとえば、政治家の演説、大学の講義、お役所の通達、etc . . . さらに意味を拡大して、なんでも、「混乱した状態」をサナータと呼ぶこともある。
¡Qué sanata! | 「なんだ、これは! わけがわからないよ!」 |
sanatero (サナテーロ)
上掲の「サナータ」話法の達人、あるいは、その話法でしゃべる人。サナータは芸術(芸であり技術)といえるが、悪い意味に広げて「わけのわからないことを言う人」もサナテーロと呼ぶ。普通の会話では、悪い意味で使われることが圧倒的に多い。
わたしの出会った最高のサナテーロは、バンドネオン奏者 ドミンゴ・エスカーポラ Domingo Scápola だった。何を言っているのか、まったくわからなかった。お願いして、しゃべるスピードを半分にしてもらっても、わからなかった。
santera (サンテーラ)
占い師でまじない師の女性。カトリックのサント(男の聖者)やサンタ(女の聖者)などを引き合いに出すのでこう呼ばれた。
参照 ⇒ curandera
serenata (セレナータ)
ふつうのスペイン語で(イタリア語をそのまま借用)、元来は「夜のしらべ」といった意味。愛する人の窓の下で、あるいは親しい人、尊敬する人の家の前で、その人に捧げて演奏する歌や音楽のこと。状況によっては、夜でなくてもいい。また、実際はなんらかのお礼や報酬を期待しているのだが、無償で音楽を捧げるのが建前である。
タンゴに関していえば、20世紀の初めごろから、アマチュアの音楽家たちが町内の街角や広場、あるいは家に入って演奏することも「セレナータ」と呼んだ。
shome (ショーメ)
人間なら「びんぼうな」、物なら「安物の、粗悪な、ボロっちい、少なくてなんの足しにもならない」。“misho” の逆さことば(vesrre)。
---Che, ¡qué lindo reloj compraste! | 「やぁ、いい時計買ったねぇ!」 |
shomería (ショメリーア)
上記のことばから派生。「たいへんボロな安物、ガラクタみたいなもの、粗悪品、できそこないのもの」。
slogan (エスローガン)
英語のスローガン(標語、モットー)を借用したことばで、1930〜40年代に使われた。スター級のアーティスト(歌手や指揮者)の名前の前に必ずつける肩書き(?)あるいはキャッチフレーズのようなもの。ほとんどの場合、ラジオ放送のコメンタリスタや、ステージの司会者が命名者となった。「○○の最高峰」などという、ありきたりの紹介では、他と差がつかないので、その人にふさわしい、オリジナルな表現をひねり出した。いちばん有名な「エスローガン」は、《リズムの王様 El Rey del Compás 》フワン・ダリエンソ Juan D'Arienzo (1900 - 76)。長々しいのは《いとしいブエノスアイレスの百の街々の歌い手 Cantor de Cien Barrios Porteños 》アルベルト・カスティージョ Alberto Castillo (1914 - 2002)。エスローガンをもった最後のスターは(もうエスローガンということばは使われなくなっていたかもしれないが)、たぶん《タンゴの男性 El Varón del Tango 》フーリオ・ソーサ Julio Sosa (1926 - 64)。
snobismo (エズノビーズモ)
英語の snob (エズノッブと発音) から来たことばで、上流階級とか通人の変な風習をありがたがって、真似して得意になること。あるいは、文学や芸術などで、必ずしも高級でないけれど一風変わったものを、もちあげて、(自分は感性が高いと)得意になっていること。「半可通」ということばのニュアンスに共通するところがあるけれど、日本語にも訳せないので「スノッブ」と、英語をそのまま使っている。こんなことばを使うこともすでに snobismo???
Trajeada de bacana bailas con corte | 金持ち女ならではのドレスに身を包み あんたは場末風の荒っぽいタンゴを踊る |
――タンゴ «Che, papusa, oí»(チェ・パプーサ・オイー)1927年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
soirée (ソワレー)
フランス語をそのまま流用。「夜会」「夜会用のドレス・服」。
Sol-Do (ソル・ド)
タンゴ楽団のいちばん単純な演奏スタイルでは、曲の最後を「ソ」の和音(Gセヴンス)と「ド」の和音(C)でおしまいにするが、そのふたつの音のこと。即興的な、ぶっつけ本番の演奏に関して使われることが多い。このことばを使うときは、ちゃんと音程を取って「ソル」を低く、「ド」を高く発音する。他のスペイン語・ポルトガル語の国のポピュラー音楽でも、似たような使いかたをされることばのようだ。音楽を離れて「これでおしまい!」という意味でも多く使われる。
人が延々としゃべりまくったあとに、ふざけて「ソル・ド」と付けてやるのが、わりあい多い使いかた。「よくしゃべったな」「それで終わりか?」「ようやく終わった!」「もう、おしまいにしてくれ」など、その時によってニュアンスはさまざまだ。
参照 ⇒ chan-chan
sortija (ソルティーハ)
ふつうのスペイン語で「指輪」のことだが、ガウチョの祭り日のイベント競技の名前で、競馬と輪取り競争をまぜたもの。ゴールに当たる支柱に縄または木で横枠を作り、そこに紐をつり、その紐の先の小さな鉤(かぎ)に輪が吊るしてある。競技者は自慢の愛馬に乗って、小さな鉛筆のような棒を持ち、輪を引っ掛けて取って来れば勝ち。バカみたいに簡単そうだが、熟練した馬術が必要なものらしい。またゴールに走って行く途中、手を出してはいけないが、馬をぶつけたりして相手を妨害するのは許されている。
右の絵は、長いあいだ(今日でも)ガウチョの絵の第一人者として愛されている
モリーナ・カンポス Florencio Molina Campos (1892 - 1959) の原画をタイル装飾にしたもの。
彼は昔のタンゴの情景も描いています。
sos (ソス)
「あなた(あんた、おまえ、きみ)は○○である」――日本語にするときは、口調や前後の状況で、訳語を変えなければいけなくなる。英語の “you are”、フランス語の “tu es” に当たることば。標準スペイン語では eres (エレス)。参照 ⇒ タンゴのスペイン語文法
---¿Sos vos, Carlitos? | 「あんたなの?、カルリートス」 |
Quién sos, que no puedo salvarme, | おまえは何者だ、わたしはおまえから自分を救うことができない、 |
――タンゴ «Secreto»(秘密)1932年 作詞作曲:Enrique Santos Discépolo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
sport (エスポール)
競馬の単勝馬券の配当金。意味を広げて、ふつうの「もうけ」「報酬」の意味でも使うことがあった。
「スポーツ」のことは、スペイン語では deporte (デポールテ) といいます。
Stavisky (エスタビースキ)
1934年に世界的に有名になった詐欺師 アレクサンドル・スタヴィスキ Alexandre Stavisky のこと。ロシアのウクライナに生まれたユダヤ人で、子ども時代から一家でフランスのパリに移住。カフェの歌手、もぐり賭博場の経営などした後、金融業で成功(?)する。1927年から金融詐欺でしばしば告発されたが、証人の買収や調査した新聞記者を殺すなどして(もちろん自分で手は出さない)、いつも逃れてきた。しかし、1934年に巨額の偽の国債の売買をめぐる詐欺で逮捕される。この件には、複雑に仲介者たちがからんでいて、数々の政治家・役人が協力していた。スタヴィスキは脱獄し(たぶん彼の証言でスキャンダルが起きることを恐れた政治家が逃がしたのだろう)、別荘でピストルで撃たれた死体で発見された。警官に射殺されたのだろうが、自殺ということで一件落着。
¡Qué falta de respeto, | なんという敬意の欠如! |
――タンゴ «Cambalache»(古道具屋)1935年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*ティタ・メレッロ Tita Merello 歌。ここをクリック
*スタヴィスキ事件が忘れられてしまった後年では、この名前を、作曲家ストラヴィンスキーにしたり、指揮者トスカニーニに変えてうたう人もいます。
stud (エストゥード もしくは エストゥー)
厩舎、すなわち競馬の馬を飼育する施設。英語をそのまま借用(発音はスペイン語風に変わるが)。馬主のお金持ち(複数の場合もある)が出資して、調教師を契約して責任者とする。その調教師が独立して、厩舎のオーナーになる場合も少なくない。
suerte (スウェールテ)
ふつうのスペイン語で、「運(運命)」のことだが、ふつうは「好運(幸運)」のほうを意味し、別れのことばに、軽く「ご幸運を!」という挨拶にも使う。悪い運のときは “mala suerte” (マーラ スウェールテ) ということばを使う。
---Chau, ¡suerte! | じゃぁね、お元気で! |
---Fue mala suerte, ¡qué vi'a hacer! | 運が悪かったな、しょうがないや! |
Cuando la suerte, que es grela, | 好運が――そいつは女だ―― |
――タンゴ «Yira . . . yira . . .»(ジーラ・ジーラ)1929年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*イグナーシオ・コルシーニ Ignacio Corsini 歌。ここをクリック
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