タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero


T

taba (タバ)

 ガウチョのゲーム・賭けの道具で、牛(時に大きな羊)のくるぶしの骨――距骨 (きょこつ)――をそのまま使う。変に転がらないように 水を打った地面の上にこれを空中回転させながら放って、へこんだ面(「空」という)が上になると勝ち。横になると(左下の写真のように)勝負なし。
 競技者は必ず男性ふたりで、1対1の勝負というところが、ガウチョ気質にぴったりだ。
 まわりの人は、「空」か、裏か、横向きかに、お互いのあいだで賭ける。
 原理は簡単だが、投げかたのスタイル、回転の回数など、それぞれに技があり、自然の骨だからそれぞれのタバでバランスが違い、なかなかむずかしいものらしい。
 ルンファルドでは、“Se dio vuelta la taba” (セディオ ブエールタ ラターバ=ターバが裏返ってしまった) という表現で、幸運が逆転して不幸になってしまうことの たとえにする。
(このことばの用例は、vieja recova の項にあります)


taba calzada (タバ カルサーダ)

taba calzada

 「靴をはかされたタバ」、すなわち、上記タバの平らな部分に、摩滅を防ぐため、薄い木や金属の膜を、靴のカカトのように打ち付けたもの。ほとんどのタバはこのように補強してある。
 ただし、その膜の下に、外から見えないように鉄・水銀など重みのあるものを仕込み、転がすといつも同じ面が上に出るように細工することは、当然よろしくない。イカサマ賭博の道具である。

⇐ 写真のタバ・カルサーダは、ゲーム用というより、装飾品ですね。
タバのゲームは、なんと古代ギリシアからあったそうで、哲学者ソクラテスも道端でタバを転がして遊んでいたそうです。小動物の距骨を使っていたようなので、サイコロ感覚ですね。
それがローマ帝国支配時代にスペインに伝わり、南アメリカへ来て、材料の大きな骨に事欠かないアルゼンチン=ウルグアイの大草原で、伝統文化となったわけです。
なお、タバということばの語源は、アラビア語らしく、するとスペインへは北アフリカのアラブ文化から伝わったのかもしれません。
ラクダのくるぶしの骨を使っていたのか?


tachero (タチェーロ)

(1)鍋釜 (なべかま) の修繕屋。へこんだところは、ていねいに叩いて形を整え、穴はふさぎ、壊れたところは接着・ネジ止めなどで修理する。店は持たず、道具一式をもって道を呼び歩き、道ばたで作業する。とっくのむかしに絶滅した職業だ。
(2)タクシーの運転手。かろんじた呼び方なので、本人に向かって使ってはいけないことば。


tacho (タチョ)

(1)スペインのアンダルシーア地方では、バケツ、洗濯用のたらいなど、金属の円筒形の容器をこう呼んだとのこと。ラテンアメリカ各地では、ゴミ箱、くずかごなども(金属製でなくても)、こう呼ぶようになった。アルゼンチン=ウルグアイなどでは、(小型ではない)鍋や釜の類をこう呼ぶ。
(2)上記の入れ物からの連想と、音が似ていることから「タクシー」のこと。オンボロ車のニュアンスを含んでいるので、使い方に注意!


taita (タイタ)

 大胆で気が強く、他人に言うことを聞かせるような性格の男。まわりから一目(いちもく)おかれるような、押しの強い男。元来はスペインの古いことばで「父親」を意味した。


tallar (タジャール)

 力ずくで、すべてを取り仕切る、あるいは取り仕切りたがる。自分ににしたがわせて、他人をひっぱっていく。元来はスペインの俗語で、ギャンブルのカードを配る人に関係したことば。
 tayar と表記する人もいる。そのほうが、ルンファルド としては、よい表記だと思う。


Tallon (タロン もしくは タジョン)

Tallon

 一般には児童文学者として高名な ホセー・セバスティアーン・タロン José Sebastián Tallon (1904 - 54) は、イギリス人の父と、イタリア系(ジェノヴァ出身?)の母のもとに、ブエノスアイレスのバラーカス地区に生まれた。彼の姓(アイルランド系)にアクセント記号を付けるのは間違いだと本人はいつも抗議していたが、Tallón と表記されることも多い。幼いとき、父の仕事で、ブエノスアイレス州テンペーレイ Temperley に住んだが、またブエノスアイレスに戻った。
 貧しい移民の街で、コンベンティージョや下宿屋のあいだで、みじめな、しいたげられた子どもたちといっしょに育ったが、そんな子どもたちに夢や希望を与える詩を書くようになった。1927年の、詩によるお話『ニュールンベルグの塔たち Las torres de Nurenberg 』で、アルゼンチン児童文学の先駆者、最初の子どものための詩人という評価を確立した。
 先輩の(ふつうの?)詩人たちからも愛され、パルケ・パトリシオス地区にある彼の家には、一時期、毎日曜日の夜、詩人たちがつどい、月曜の朝まですごしたという。仲間には、ボルヘスアルバロ・ジュンケ がいた。
 タロンは、カリカチュア画家、画家、音楽家でもあった(左の絵は Samuel Mallo López 画。出典:www.temperleyweb.com.ar)。
 タンゴに関しては、彼の家は中流階級で(本人のことば)、父親はずっとタンゴが下等な人々から生まれたことを忘れられず、タンゴに反感をもちつづけたという。でも小父(父の弟)は、タンゴ人間で、ピアノを学びプロになった。タンゴの大作曲家 アグスティーン・バルディ Agustín Bardi (1884 - 1941) は、この小父 Roberto Jaime Tallon の友だちで、彼に “Rezagao” (レサガーオ=遅れを取った男) というタンゴを献呈しているそうだ(1914年)。
 タロンの没後刊行された『禁じられた音楽だった時期のタンゴ El tango en sus etapas de música prohibida 』 は、1910年代初めまでのタンゴの世界を述べたエッセイで、客観的な事実を、冷静で簡潔な文体で浮き彫りにしている。最高級の資料だけれど、甘いところがひとつもなく(彼の詩は愛情いっぱいなのに)、また売春を重要な主題として述べているからだろうか、タンゴ愛好家に嫌われている(?)ようだ。とても残念なことだ。また彼は、このエッセイも改訂し、さらにブエノスアイレスの裏社会についての研究エッセイも準備していたようだが、早すぎる死によって日の目を見ることがなかった。

『禁じられた音楽だった時代のタンゴ』の断片を訳しました。お読みください。⇒ 「タンギスタたち


tallarín (タジャリーン)

 スパゲッティなど、細長いパスタ、うどんの類をすべてこう呼ぶ。イタリアの地方に tagliarine (タッリャリーネ) というパスタがあるそうなので、それがなまったことばだろう。ふつうは複数形で “tallarines” (タジャリーネス) と呼ぶ。同義語:espagueti, fideo.

ここで説明するのは変ですが、麺類は、粉を水で練った生地を
板のように延ばし広げ、それを細長い棒状に切って作ります。
それゆえ、イタリアの麺の名前には、taglia... (「(割るように)切る」という意味)がつくものがいくつかあります。


tamango (タマンゴ)

 靴・ブーツ。「ドタ靴」というようなイメージのことが多い。元来はガウチョが手製した、粗野な靴・ブーツのことだった。語源はポルトガル語(ブラジル経由)で “tamanco” (タマンコ=木靴)


Cuando la suerte, que es grela,
fayando y fayando
te largue parao;
cuando estés bien en la vía,
sin rumbo, desesperao;
Cuando no tengas ni fe
ni yerba de ayer
secándose al sol;
cuando rajés los tamangos
buscando ese mango
que te haga morfar,
la indiferencia del mundo
que es sordo y mudo
recién sentirás.

好運が――そいつは女だ――
あなたに約束したはずのことを次々と裏切って
あなたとは手を切ってしまう、そんなとき、
あなたがまったく住むところも食べるものもなく
行く先はなく、絶望している、そんなとき、
あなたがなにかを信じる心をなくし
取っておいたきのうのマテ茶の葉も
日に乾いてなくなってしまった、そんなとき、
あなたを食わせてくれる
あのお金というものを探し求めて
歩き回ってもこわれた、そんなとき、
この世界の冷淡さを
――世界は耳が聞こえず、ものも言わない――
ようやく、あなたは感じ取るだろう。

――タンゴ «Yira . . . yira . . .»(ジーラ・ジーラ)1929年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*イグナーシオ・コルシーニ Ignacio Corsini 歌。ここをクリック


tango (タンゴ)

 タンゴということばの語源はわからない。数百年にわたるイベリア半島(スペインとポルトガル)およびアメリカ大陸の記録・古文書その他を調査・研究した最高権威 ゴベッロ José Gobello さんが「まだ結論は出ない」といっているので、わたしたちが、とやかく憶測を述べるのは失礼だ。
 その ゴベッロ さんが、「わたしたちのタンゴ」について、より身近な時代から説いている、簡潔な名著述がある。それを、(ほとんど)そのままご紹介する。ここに異論をさしはさむ余地はまったくない。異論のある人は、その人の無知をさらけだすことになる。……なんて、おどかしてはいけませんね。

出典:José Gobello: Tango, vocablo controvertido (en “La Historia del Tango, Sus Orígenes” Ediciones Corregidor, Buenos Aires, 1976)

 まず前提として、19世紀初めに、南アメリカ各地の、黒人奴隷のいたところに(アルゼンチン=ウルグアイも含む)「タンゴ」ということばがあった。これは黒人が踊る場所、および黒人のダンスそのものを指していた。特徴は、太鼓の伴奏だけで踊ること、ひとりで(カップルと組まないで)即興で奔放に踊ることだった。
 前提のその2――そのタンゴの踊りかたのスタイルはさておいて、わたしたちの「タンゴ」という名前は、そこからは来ていない。わたしたちのタンゴは、スペインのアンダルシーア地方の「タンゴ」から名前をとっている。その経緯は――
(1)わたしたちのタンゴは(名前はどんなものであれ)、おそらく1860年代に生まれた。それは、当時親しまれていたダンス――ポルカ polcaマスルカ mazurcaクワドリージャ cuadrilla、そして、場所によっては ミロンガ milonga――の、別の「踊りかた」だった。その「踊りかた」には、ふたつの特徴があった。ひとつは、ダンスに、男女の気をそそるような性格をもたせたこと。もうひとつは、黒人の踊り独特の、体が割れたり折れたりするような動きを真似したこと。
(2)このような「踊りかた」は、すぐに「ダンスの種目」そのものになった。それは、音楽家たちが、それまで知られていた曲や、新しい即興で作った曲を、そういう新しい踊りかたに合うようなスタイルで演奏したからである。
(3)この「踊りかた」は、ミロンガ milonga と呼ばれた。ミロンガは、その起源や本質は、別のものなのだが。
(4)1880年ごろ、アンダルシーア地方のタンゴがブエノスアイレスで流行すると、ミロンガの踊りかたも全部「タンゴ」の名前で呼ばれるようになった。ダンスの1種目として、音楽の1形式として、いろいろ含めてすべて「タンゴ」と呼ぶようになった。

「アンダルシーア地方のタンゴ」 は、地域・時期によっては 「ハバネラ」 と呼ばれたりしました。
これについて説明するのは、この辞典の範囲を超えるので、やめます。
けっこう、ややこしい話になってしまうんです。
アルゼンチン=ウルグアイも含むラテンアメリカ各地で(スペインの他の地方でも)作曲され、
スペイン語圏全体の流行歌・ヒット曲みたいなものでした。


tanguero (タンゲーロ)

 「タンゴの、タンゴならではの、タンゴ的な(男、ものごと)」。女性、または文法上、女性タイプとみなすものごとについて用いるときは “tanguera” (タンゲーラ) となる。


tanguista (タンギスタ)

 1910年以前のタンゴ楽士への呼び名。「楽士」といえるほど音楽はできず、ただ楽器を弾くというだけの人たちがほとんどだった。バンドネオンも入って、しっかりしたタンゴ楽団ができるようになると、この呼び名は、すたれた。
 彼らの実情については、この時点の付録の読み物をどうぞ。⇒ 「タンギスタたち

*ジャズのミュージシャンや音楽に関して “jazzista” (ジャシースタ) ということばは、比較的よく使われてきました。


tano (ターノ)

 ナポレターノ napoletano (イタリア語で「ナポリ人」) の略。ナポリ出身者だけでなく、イタリア移民のだれでも、その移民の子孫も、やがては移民でなくてもイタリア人をこう呼ぶようになった。
 女性は tana (ターナ) と呼ぶ。
 参考 ⇒ criollo, gallego, ruso, turco.


Con el codo en la mesa mugrienta
y la vista clavada en un sueño
piensa el tano Domingo Polenta
en el drama de su inmigración.
Y en la sucia cantina que canta
la nostalgia del viejo paese
desafina su ronca garganta
ya curtida de vino Carlón.

垢じみたテーブルに片肘をついて
視線は とある夢に釘付けになって
イタリア男ドミンゴ・ポレンタは考える
彼の移民のドラマのことを。
そして汚いカンティーナ――その店は
古い故郷のノスタルジーをうたっている――
そこで調子はずれにうたう彼のしわがれたのど
もうカルローン・ワインで焼けたのど。

――タンゴ «La Violeta(ラ・ビオレータ)1929年 作詞:Nicolás Olivari 改編: Carlos Gardel
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


taura (タウラ)

 古風なスペイン語で、「強い(すなわち狡猾な)ギャンブラー・ばくち打ち」を指すことば “tahúr” (タウール) が語源。ルンファルドでは、ギャンブルを離れて、「自分の強さ、男らしさを自慢し、突っ張っている男」を、こう呼ぶ。日本語で「やくざっぽい」というのは適訳ではないけれど、ほかに言いかたは見つからない。威張っている危険人物ではあるが、その男らしさに敬意を払うニュアンスも含まれている。


tayar (タジャール)

 ⇒ tallar


té de manzanilla (テー・デ マンサニージャ)

 カモミールのハーブ・ティー。参照 ⇒ manzanilla


té digestivo (テー・ディヘスティーボ)

 参照 ⇒ manzanilla


tema (テーマ)

 主題という意味のふつうのスペイン語。アルゼンチンやウルグアイのポピュラー音楽の音楽家やファンは、特定の「この曲」というとき、このことばを使う。他の国々では、演奏だけの曲でも「歌 canción 」と呼ぶ。

---Escuchen este hermoso tema en tiempo de tango.

「お聴きください、このすてきなを タンゴのリズムで」


tierra (ティエーラ)

 ふつうのスペイン語で「土、土地、大地」。音楽家の用語は a tierra 参照。


timba (ティンバ)

 ばくち、ギャンブル、賭博場。スペインおよびラテンアメリカ各地に共通の俗語。「ギャンブルをする」は “timbear”


tira (ティーラ)

 私服刑事。悪漢たちが集まる酒場や食堂などへ、仲間に思われるような変装をして入り込み、情報を集める。このことばは、本来は警察・悪漢社会の隠語だったが、一般にも知られてしまい、軽く使われている。
 語源はイタリアの隠語だそうだ。


tirar a la marchanta (ティラール アラマルチャンタ)

 マルチャンタ ということばは、市場での(女性の)買い物に関連していて、ラテンアメリカ各地で、いろいろなニュアンスで――日常的な買い物とか、値切ることとか、安くしたふりをして実はクズのようなものを売りつけるとか――使われているようだ。アルゼンチン=ウルグアイでは、この「市場で買い物をする流儀で投げ捨てる」ということばを、「(お金を)何も考えずに使う、気の向くままに、ばらまくように使う」といった意味に使っている。


Se dio el juego de remanye cuando vos, pobre percanta,
gambeteabas la pobreza en la casa de pensión;
hoy sos toda una bacana, la vida te ríe y canta,
los morlacos del otario los tirás a la marchanta
como juega el gato maula con el mísero ratón.

相手を見きわめてモノにするゲームがうまくいった、おまえが――あわれなおんな!――
貸しアパートで貧乏から必死に身をかわしていたときに。
きょう おまえはすっかり金持ち女、人生はおまえに笑い うたう、
あのバカ男の札ビラを おまえはドブに捨てるように使う
根性のねじけた意地悪猫が みじめなネズミをいたぶるように。

――タンゴ «Mano a mano»(マノ・ア・マノ=五分五分)1923年初録音 作詞:Celedonio Esteban Flores
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


tomar el raje (トマール・エッラーヘ)

 逃げる。⇒ raje


torca (トルカ)

 タンゴ音楽家のあいだでだけ通用することばで、男性歌手のこと。cantor の逆さことば(vesrre )。軽蔑的なニュアンスを大いに含んでいるので、歌い手の前では(たとえアマチュアの歌い手でも)決して口にしてはいけない。


¿Qué se cree ese torca?

自分を何様だと思っているんだ、あの歌屋は?


tovén (トベーン)

 お金。vento の逆さコトバ(vesrre)。


trío (ティリーオ)

 だいたい1910年代までのタンゴ曲(歌詞が付かなかった時代)は、3部構成だった。その最終の第3部がこう呼ばれた。クラシック音楽のソナタ形式などに用いられていた用語を、転用したのだろう。昔の出版楽譜を見ると、第1〜2部にはとくに名前は付かず、第3部には TRÍO と記してある。これはタンゴ・ミュージシャンだけの用語で、長いあいだ使われてきた。ふつうのスペイン語では「3つ1組、3人組、3重奏」などの意味。


---¿Cómo va este tema?
--- Como siempre. Primera, segunda, primera, trío
y la primera con variación.

「この曲はどういう風にやるの?」
「いつも通りだよ。1番、2番、1番、3番
そして変奏付きで1番」


Triunvirato (ティリウンビラート)

 このことばは、本来はローマ時代の、3人の指導者による政治をあらわし、アルゼンチンの歴史上の1時期にも当てはめられているが、それはタンゴとはまったく関係ない。
 タンゴに関係があるのは、そのことばから命名されたブエノスアイレスの通り
 ティリウンビラート通りは、現在のコリエーンテス大通りの北西端に近い途中の区間――だいたいビージャ・クレスポ区を通っている区間――の呼び名だった。また、この道の両側の地区の(行政上の公式名ではない)呼び名でもあったらしい。
 ティリウンビラート地区には、19世紀末にはタンゴを踊れる場所や娼婦の館(両者の区別はあいまいだった)があったらしい。ずっと後年には、劇場などができて、ブエノスアイレスの夜をたのしむスポットのひとつだった。
 現在のティリウンビラート大通りは、ブエノスアイレスの北西部、ビージャ・ウルキーサなどの住宅地・商業地帯を通る重要な幹線。
 昔の通りも、現在の大通りも、チャカリータ墓地に通じる道なので、死ぬことと結びつけた冗談に使われることがある。


A un compadrito le canto,
que era patrón y el ornato
de las casas menos santas,
del barrio de Triunvirato.
Atildado en el vestir,
medio mandón en el trato;
negro el chambergo y la ropa,
negro el charol del zapato
Como luz para el manejo,
le marcaba un garabato
en la cara al más garifo,
de un solo brinco, a lo gato.

El hombre, según se sabe,
tiene firmado un contrato.
Con la muerte, en cada esquina
lo anda acechando el mal rato.
Ni la "cuartiada" ni el grito
lo salvan al candidato.
La muerte sabe, señores,
llegar con sumo recato..
Un balazo lo paró
en Thames y Triunvirato.
Se mudó a un barrio vecino:
el de la Quinta del Ñato.

あるコンパドリート (女性を操って生きている男) にわたしはうたう、
彼は いちばん神聖でない家々の
パトロンであり、飾り看板だった、
ティリウンビラート界隈で。
着るものには細かく気を使い、
人づきあいはとんでもなく横柄だ、
チャンベルゴ帽と服は黒、
靴のエナメルは黒。
ナイフさばきは光のよう、
いちばん偉そうにしている強い男の顔に
すばやく落書きを彫りつけた、
ただ一度跳ね上がるだけで、猫のように。

男というものは、人も知るとおり、
ひとつ契約書にサインしてある。
「死」といっしょに、どの街角でも、
不運の一瞬が彼を見張って目を光らせている。
助っ人たちも叫び声も
見込まれた者を救うことはできない。
「死」というものは、みなさん、
この上なく慎重にそこへ来てしまうすべを知っている。
1発の弾丸が彼の足を止めた、
タメス通りとティリウンビラートの角で。
彼は隣りの地区へ引っ越した、
「死神の別荘地」チャカリータ墓地 へ。

――詩 «El títere»(あやつり人形)より 詩:Jorge Luis Borges


troesma (トロエズマ または トロエッマ)

 巨匠、大先生。「マエストロ maestro 」の逆さことば(vesrre)。親しみと敬意をもった呼びかたでもあり、ひやかし、からかい、バカにした気持ちをもっていることもある。
 あらゆるタンゴ歌手の師であるという敬意と愛をこめて、 カルロス・ガルデール Carlos Gardel (¿? - 1935) は、死後だいぶ後になってから、こう呼ばれている。
 たぶん1940年代から、タンゴ楽団のリーダー・指揮者が、こう呼ばれる(本人のいないところで)。


Tropezón (トロペソーン)

 ブエノスアイレスの盛り場カジャーオ通りにあった――2回移転したが――人気カフェ兼レストラン(大衆食堂、大衆酒場の雰囲気)。1910〜30年代に、いつもアーティストや演劇関係者、その他の遊び人たちでにぎわって、夜明け近くまで営業していた。とくに劇作家たちのたまり場だった。タンゴ界では、最古の「巨匠」 アンヘル・ビジョルド Ángel Villoldo や、まだフォルクローレをうたっていた時期から歌手 カルロス・ガルデール Carlos Gardel が、しばしば友人とのおしゃべりや食事のために来店した。鶏やソーセージ・野菜をたくさん入れて煮込んだ料理 プチェリート・デ・ガジーナ が名物料理だった。

店の名前は、ふつうのスペイン語では「つまづき」という意味です。帰宅する途中に、つまづいて、寄ってしまう店。
同名のカフェが、ブエノスアイレス市外にあったようですが、この項の店とは無関係です。

*参考 ⇒ 《エル・トロペソーン》の名声


Cabaret . . . «Tropezón» . . .
era la eterna rutina.
Pucherito de gallina
con viejo vino Carlón.

キャバレー……《トロペソーン》……
それが永遠に変わらない 決まった道順だった。
――プチェリート・デ・ガジーナ、
古きカルローン・ワインとともに。

――タンゴ «Pucherito de gallina»(プチェリート・デ・ガジーナ)1953年 作詞(作曲も):Roberto Medina
*エドムンド・リベーロ Edmundo Rivero 歌。ここをクリック


tuco (トゥコ)

 アルゼンチン=ウルグアイでの、イタリアのパスタにかけるソースの1種の名前(チリやボリビアでもこう呼ぶそうだ)。イタリア語の succo (スッコ=汁、ジュース) が、方言で zucco (ツッコ) となまり、さらにそれがスペイン語の音にされたのだろう。日本でいうミート・ソース、イタリアのラグー(ボロニェーゼ)の仲間で、ただし汁気が多く、スープ状である。
 レストランでは、イタリア名前の、より凝ったソースをつくる(それでないとお金が取れない)ので、「トゥコ」は家庭での料理といえる。
 レシピは千差万別だろうが、基本的には――牛肉またはチキンをひと口大に切るか、より小さく刻む(昔はひき肉は使わなかったはず。現代では使うだろう)。わたしの親友(男性です)は、ソーセージを輪切りにしたのも入れた。鍋に適当に油を熱し、みじん切りのニンニクとたまねぎをいため、肉類も入れてちょっといため、適当に切った生のトマトあるいはトマト・ピューレを入れ、水・ワイン(赤でも白でもいい、いつも飲んでいるもの)を適当に入れて煮て、できあがり。あまり長く煮込まないのが本来だと思う。
 スパゲッティに、これを掛けたものは espagueti con tuco” と呼ぶ。スペイン語にして “espagueti al jugo” と呼ぶ人もいる( jugo はジュース・汁のこと )。


tungo (トゥンゴ)

 競馬の馬(軽蔑したニュアンスのときも、愛情こもった呼びかけのときもある)。同義語:burro; pingo。「マトゥンゴ」ということばを省略したもので、これは元来は牧場の専門用語で「病気や老衰で役に立たない馬」を指す。


turco (トゥルコ)

 ふつうのスペイン語で「トルコ人」。女性は turca (トゥルカ)。アルゼンチンとウルグアイでは、トルコ出身でなくても、シリア、レバノン、その他アラブ系の移民をぜんぶ「トゥルコ」と呼ぶ。
 参考 ⇒ bachicha, criollo, gallego, ruso, tano.


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