タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero


V

vals (バルス)

 ワルツ waltz のスペイン語名。3拍子のワルツは、19世紀初めから、ウィーンに発して世界の社交ダンスのもっとも愛好される形式になったが、アルゼンチン=ウルグアイでも非常に愛され、普及・浸透した。
 また、20世紀初めには、アメリカ合衆国で、モダンな感覚の入った社交ダンスのワルツもでき、この流行も外国に広く伝わった。
 アルゼンチン=ウルグアイでも、1910年代を頂点として、国際的感覚の(ウィーン風、あるいはアメリカンの)ワルツがたくさん作られた。多くは、クラシックの音楽教育を受けた人たちが作曲し、1曲が少なくとも3部構成(ダンスの準備のために、ちょっとした前奏部が加わった曲も少なくない)で、各部分は、曲想・調性・リズムなど異なって、変化をつけている。
 このような古典的感覚・構成のワルツは、1930年代後半から、ダンスのために演奏するタンゴ楽団がリヴァイヴァルさせて、いくつかの古い曲が、今日まで愛されつづけている。歌詞が付いているものもあるが、歌は入れないのがふつう。


vals criollo (バルス・クリオージョ)

 ラテンアメリカ各地にある「アメリカ大陸で生まれ育った、土地っ子のワルツ」を、こう呼ぶ。
 19世紀後半から、ウィンナ・ワルツの魅力は、上流社会ばかりでなく、庶民・地方の民衆にも深く浸透し、それぞれの土地の人間感情・音楽感覚などを反映した、自前の曲もさかんに作られるようになった。これらの、いわばフォルクローレの感覚・色彩をもったワルツを、 バルス・クリオージョ と、ラテンアメリカ各地で呼んでいる。実際に作者の名前が忘れられ、聞き覚えの伝承曲として伝えられてきた曲もある。
 社交ダンスのワルツの構成よりも親しみやすく、ふつう2部構成(さらに別メロディの前奏が付いているときもある)で、必ず歌詞がついている。ダンスを離れて、歌曲として愛されているものがたいへん多い。
 なお、ウィンナ・ワルツあるいは新しい社交ダンスのワルツのスタイルの曲でも、ラテンアメリカでつくられたものは《バルス・クリオージョ》と呼ぶ人もいる。


vals peruano (バルス・ペルアーノ)

「ペルーのワルツ」という意味だが、ペルーでは自国のワルツは単に《バルセ》《バルス》または《バルス・クリオージョ》と呼んでいる。《バルス・ペルアーノ》は、ペルー以外の国で、ペルー風(と思われる)スタイルでつくられた曲の形式名(たぶん1940年代からの呼び名)。特徴は、8分の6拍子(これは2拍子の1種)のシンコペーションのリズムが強調されること。
 

valsecito (バルセシート)

 上記 バルス・クリオージョ の別名。「ちょっとしたワルツ」という意味。


variación (バリアシオーン)

 一般の音楽用語で、ある音楽テーマにもとづく「変奏」。タンゴでは1920年代からバンドネオン奏者の技術が向上して、曲の原メロディを細かい音に割って発展させる変奏ができるようになった。後に、ギターやピアノ、ヴァイオリンなどの楽器でも変奏するようになったが、今日まで、バンドネオンでの変奏がいちばん人気がある。また、大多数の場合、演奏の最後の部分に付けられる。


vedera (ベデーラ)

 歩道。ふつうのスペイン語 “vereda” (ベレーダ) を、子どもなどが舌が回らなくて、あるいはイタリア移民が発音をまちがえるのを、真似した造語。
 わたしの知るかぎり3つの曲の歌詞に出てくるが、歌手 カルロス・ガルデール Carlos Gardel は、3つとも、作詞者の意図に反して、正しいスペイン語に直してうたっている。このような幼稚なことばは、うたえなかったのだろう。ルンファルド は、犯罪者や民衆の知性の産物であって、1種の芸術的・美学的な規範をもっている。

次の曲では、ココリーチェ (イタリア移民の、なまったスペイン語) の呼び声の部分は、ガルデールはその通りにうたっていますが、
ふつうの部分は作者が “vedera” と書いたのに正しいことばに直してうたっています。
“ranca” は正しいスペイン語では naranja、イタリア語なら arancia
“manana, turano” は、それぞれスペイン語 banana, durazno がなまった発音です。


“Ranca e manana, torano e pera”,
ya viene el tano por la vereda.

「オレンジとバナナ、桃と梨」
呼び売りながらもうやってくる、イタリア男が歩道を。

――タンゴ «Talán . . . talán . . .»(タラーン・タラーン)1924年 作詞:Alberto Vacarezza
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


vedete (べデット あるいは ベデーテ。間違いだが ベデー という発音もある)

 劇場公演の主役、中心スター、大スター。イタリア語 vedetta からフランス語 vedette となり、それが世界各国で芸能界、ショービジネスの世界で使われ、一般の人も知ることばになった。英語やスペイン語などの中に、フランス語のまま、はさんで使われることも多い。


vedete americana (べデータメリカーナ または ベデーテ・アメリカーナ)

 別格のスター、特別出演のスター。フランス語が元なので、1920〜30年代のパリのレビュー劇場やミュージックホールから使われはじめたことばなのだろう。芸能界の特殊用語で、一般の人はほとんど知らず、かなり大きな辞書にも出ていない。もとの意味は「アメリカ人のスター」、それを「外部から呼んだスター」という意味に拡大したことばだ。
 主役ではないけれど、主役に準じる別格の地位をもったアーティストのことで、ポスターなどに名前を載せる順番が厳格に決まっている。――主役はいちばん上に、別格は必ずいちばん下に載せる。字の大きさは、主役と同じか、少し小さめでもいいが、他の出演者よりは大きく、目立つようにしなければいけない。
 出演料は?……これは興業主とアーティスト間の秘密だからわからないが、主役より高い場合もありうる。


vedetismo (べデティーズモ)

 スターらしい気まぐれ、スターならではのわがまま、スターに付きもの異常な言動。もとは女優に対して使われたらしいが、歌手にも、そして女性だけでなく男性アーティストにもある。たとえば――楽屋には○○色のじゅうたんを敷かなくてはいけないとか、なんとかいう種類の蘭の花を3輪飾り、毎日取り替えるようにとか、××ブランドの高級コニャックをいつも用意するようにとか、舞台が終わったあとには、よく冷やしたシャンパンを、あのスタッフは顔が気に入らないから変えてほしい……これらは、場合によっては契約書に明記することもあった。いまは、こんな大スターはいませんでしょうね。


Velódromo (べロードロモ)

 このことばに定冠詞を付けた El Velódromo (エル・ベロードロモ) は、20世紀初めにブエノスアイレスのパレルモ地区にあったタンゴの踊れるダンス会場。このことばは、単に「(あの)自転車レース場」ということで、店の名前とか商号ではない。みんながそう呼んでいた場所である。
(自転車レースは、19世紀後半に世界各地ではじまり、専用の競技場は、ロンドンで作られたのが最初だそうだ)
 どんなところだったのか? 1907年にこの店に出演した(当時22才)ピアニスト、ロベルト・フィルポ Roberto Firpo (1884− 1964) が1952年のインタビューで語っていることを聞こう。(León Benarós “El tango y los lugares y casas de baile” in “La historia del tango - Primera Época” 1977, Corregidor)
エル・ベロードロモ の持ち主は、ペッシェ Pesce で、後にルナ・パーク屋内スタジアムのオーナーになった人の父親だと思う。
 エル・ベロードロモ は4ブロックほどの囲った場所だった。中央には土手があり、その中に、自転車選手の走るトラックがあった。土の道を通って入った。道は時にはぬかるみに変わった。
 《ハンセン》(当時いちばん有名だったビア・ホールでタンゴが踊れる店)から2ブロックのところにあり、そこで演奏しているのが見えた。
 飲みものは、木立ちの下のブリキの小さなテーブルで提供された。いくつか部屋もあった。(ダンス・フロアは土だったようですね)
 そこには女性はいなかった。それぞれが、自分のパートナーを連れてきた」
 参考 ⇒ Gaucha Manuela

ブエノスアイレス市立自転車レース場は、ほぼ同じ場所に、1951年に、ペローン大統領が建てた立派なスタジアムです。いまは廃墟です。


vento (ベント)

 お金。元はイタリアのジェノヴァ方言。


“Llevátelo todo: mis pilchas, mi vento,
¡pero a ella dejala porque es mi mujer!

ぜんぶ持っていけ――わたしの服も、わたしのも――
でも 彼女は置いていってくれ、わたしの妻なのだから!

――タンゴ «Llevátelo todo»(みんな持っていけ)1928年 作詞:Rodolfo Schiamarella
*アスセーナ・マイサーニ Azucena Maizani 歌。ここをクリック


ventolina (ベントリーナ)

 お金。上記「ベント」の変形。イギリスのお金を “libra esterlina” (リーブラ・エステルリーナ = スターリング・ポンド) と呼ぶので、それと語尾を同じにして、皮肉・からかいのニュアンスを加えた造語。高額のコインという感じも加わる。


Che, madam, que parlas en francés
y tirás ventolina a dos manos,
que escabiás copetín bien frappé
y tenés el yigoló bien bacán . . .

もしもし マダム、あなたはフランス語をしゃべり
両手でお金をばらまく
キリキリに冷えたグラスをあおり
まったくご立派な色男をお持ちだ……

――タンゴ «Muñeca brava»(おそろしいお人形さん)1928年 作詞:Enrique Cadícamo 改編:¿Carlos Gardel?
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


verso (ベルソ)

 ふつうのスペイン語では、詩・韻文の1行のこと。そして、おもに複数形 versos で、一般的に「詩・韻文」を意味する。
 ルンファルドでは、「人をおだてる、嘘っぽい(けれど相手は喜ぶ)ほめことば」、「自分のやってもいないことを並べ立てた自慢話」、その他なんでも実体のない美辞麗句を、こう呼ぶ。参照 ⇒ grupo


---La enganchó a esa mujer. Le hizo el verso y le sacó todo el ahorro.

(彼は)あの女を引っ掛けて、うまくおだてて、貯金を全部まきあげた」


---¿Tuvo gran éxito en París? ¡Qué va! Son versos de siempre.

「パリで大成功したって? そんなわけないだろ! いつものほらばなしだよ」


vesrre (ベーッレ、またはベーズレ)

 逆さコトバ、裏返しコトバ。ことばの音を逆にして(入れ替えて)、ふつうの人にはわからなくする語法のこと。少し考えればだれにでもわかるけれど、どの単語も逆にして次々としゃべられると、まったく話がわからなくなる。ふつうの人にはわからない ルンファルドの単語を逆さにすると、なおさらわからない。語呂をよくするため、また、わかりにくくするため、母音を変えることもある。sanata(サナータ)という話法の重要な要素のひとつ。
 例:tango → gotán, amigo → gomía, compañero → ñoricompa, músico → cosimu, traje → jetra.

このことば自体が、revés(裏)を逆さコトバにしたものです。


vía (ビーア)

 ふつうのスペイン語で、鉄道などの「線路」のこと。
 ルンファルドでは、 “en la vía” (エンラビーア=線路の上で) という表現で、住むところもなく、食うや食わずでいるみじめな生活をあらわす。線路伝いに村から村を巡る放浪者 リンジェーラ の境遇にたとえた表現。


Cuando la suerte, que es grela,
fayando y fayando
te largue parao;
cuando estés bien en la vía,
sin rumbo, desesperao;
Cuando no tengas ni fe
ni yerba de ayer
secándose al sol;
cuando rajés los tamangos
buscando ese mango
que te haga morfar,
la indiferencia del mundo
que es sordo y mudo
recién sentirás.

好運が――そいつは女だ――
あなたに約束したはずのことを次々と裏切って
あなたとは手を切ってしまう、そんなとき、
あなたがまったく住むところも食べるものもなく
行く先はなく、絶望している、そんなとき、
あなたがなにかを信じる心をなくし
取っておいたきのうのマテ茶の葉も
日に乾いてなくなってしまった、そんなとき、
あなたを食わせてくれる
あのお金というものを探し求めて
歩き回って靴もこわれた、そんなとき、
この世界の冷淡さを
――世界は耳が聞こえず、ものも言わない――
ようやく、あなたは感じ取るだろう。

――タンゴ «Yira . . . yira . . .»(ジーラ・ジーラ)1929年 作詞:Enrique Santos Discépolo
*イグナーシオ・コルシーニ Ignacio Corsini 歌。ここをクリック


vi'a (ビーア)

「わたしは〜しよう」。“voy a” が省略されて、なまった形。都会でも地方でも使う。


victrola (ビクトローラ)

 蓄音器(ちくおんき=78回転レコードの時代のレコード・プレイヤー)。これはヴィクター(スペイン語 Víctor ビクトル)社の商品名からきているので、その名前を言いたくない人は fonola (フォノーラ) と呼ぶこともあった。

蓄音器の正式な呼び名は “gramófono”


victrolera (ビクトロレーラ)

 カフェで、蓄音器にレコードをかけるのを仕事にしている(若い)女性。お客とはあいさつも会話もしないのが建て前。お客はタンゴ(に限らないが)を聴きながら、彼女を見ているだけ……。


vieja (ビエーハ)

 ふつうのスペイン語で「老女」だが、アルゼンチン=ウルグアイでは「母親」を指す、話しことばでもっとも広く使われることば。日本語で「おふくろ」というのより、もっと一般的に使われる。参照 ⇒ viejo


vieja recova (ビエーハ レコーバ)

ViejaRecova

 直訳は「古いレコーバ」で、ブエノスアイレスバホ地域の道の呼び名。正式の名前はわからない(私道だったのか?)。またこの名前に相当する道がいくつかあったはずだが、どれだかわからない。下記のタンゴによってのみ後世に残った名前なので、もしかしたら作詞者が勝手にそう名づけたのかもしれない。
(――と書きましたが、後になって、ある文献を見ましたら、「あのレコーバ」とみんなが知っている道が1本あったらしいです)
 レコーバ とは、古いスペイン語で鶏肉や卵の店・市場、ラテンアメリカでは食品市場、アーケード付きの市場、屋根のある通り道を指していた(18〜19世紀)。20世紀になって、《バホ》地域で、昔から商店街だった、屋根・庇 (ひさし)付きの道がいくつかあり、それが「レコーバ」と呼ばれた。庇の支柱が、歩道の縁に沿って並んでいる……そんな時代遅れの、街路である。
 バホ地域は夜の歓楽街だった。そこへ飲みに来た人たちが、「あの古いレコーバの道……」と、正式名のかわりに呼んでいたのだろう。道に新しく正式の名前が付けられても、それではピンと来ないので、俗称のほうで知られていることがよくある。
 アーケード市場としてのレコーバは、ブエノスアイレス各所にあったが、取り壊されたり、老朽化したりで、形だけでも残ったのはバホ地域だけだったようだ。
 なお、Recova Vieja (レコーバ・ビエーハ=昔の市場) は、19世紀にあった、ブエノスアイレス最初の食品(最初は牛肉だけ)市場の呼び名。この市場はアーケード付きの1本の通りで、現在の国会議事堂の真ん前、5月広場の真ん中にあった。タンゴの世界とはまったく接点のない場所である。


La otra noche mientras iba
caminando como un curda,
tranco a tranco, solo y triste,
recorriendo el veredón,
sentí el filo de una pena
que en el lado de la zurda
se empeñaba, traicionera,
por tajearme el corazón.
Entre harapos lamentables,
una pobre limosnera,
sollozando sus desgracias
a mi lado se acercó
y al tirarle unas monedas
a la vieja pordiosera,
vi que el rostro avergonzado
con las manos se tapó.

Vieja recova,
rinconada de su vida,
la encontré vieja y perdida
como una muestra fatal.
La mala suerte
le jugó una carta brava,
se dio vuelta la taba,
Vieja recova,
si vieras cuánto dolor.

このあいだの夜 わたしは
酔っ払いのように歩きながら
一歩一歩 足を運び、ひとりぼっちで悲しく
歩道伝いに 街をめぐっていた――そんなとき
わたしは悩みの刃 (やいば) がせまってくるのを感じた
悩みはわたしの胸の中の左のほうで
わたしを裏切って わたしの心臓に
本気で切りつけようとしていた。
見るも哀れなボロ服を着て
ひとりのかわいそうな女が ほどこしを求めて
みずからの不幸の数々を嘆きながら
わたしのそばに近づいてきた。
そして わたしが数枚のコインを
その物乞い女に投げてやったとき
わたしは見た、恥ずかしさでいっぱいの顔を
彼女が両手で覆うのを。
 
古きレコーバ (アーケード通り)
おまえは彼女の人生の最後の片隅。
わたしは年老いて見捨てられた彼女を見つけた
宿命の見本として。
悪運が
彼女におそろしいカードを突きつけた
運命の表と裏が逆転した。
古きレコーバ
おまえにわかるだろうか、どれほどの痛みか!

――タンゴ «Vieja recova»(古きレコーバ)1930年 作詞:Enrique Cadícamo
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
*この歌詞の2番では、彼女がかつて、若いころ、評判の美人で、華やかなキャバレーの人気者だったことがうたわれています。


viejo (ビエーホ)

 ふつうのスペイン語で「古い(物事)」「年とった(男)」という意味だが、アルゼンチン=ウルグアイでは「父親」を指す、話しことばでもっとも広く使われることば。日本語「おやじ」よりも一般的に使われる。親しい友人への、あるいは見知らぬ人をちょっとからかった呼びかけにも、よく使う。相手が年上とか老人でなくても使い、それほど失礼とは感じられない。
 複数形 “viejos” (ビエーホス) は「両親」を指す(ふつうのスペイン語では「老人たち」)。参照 ⇒ vieja


vigüela (ビグエーラ)

 一般的に「ギター」。昔のギター、あるいは大草原地方の素朴なギター、というニュアンスを含んでいる。現在のギターの原型のひとつ(今日もスペインの古い音楽を演奏するために製作されている)“vihuela” (ビウエーラ) が、ラテンアメリカのスペイン語で、なまった発音。


villa (ビージャ)

 ふつうのスペイン語で、町や村――あるていどの数の家が集まっていて、そこに住む人はその地域内で生活している場所を指す。やがて、その意味がずれてきて、都市を離れた別荘地や、個別の別荘をこう呼ぶことが多くなった。ブエノスアイレスでは、19世紀に、比較的無人だった周辺部で、これから都市の中に組み入れられるような地区に「ビージャ」と冠する名前をつけた。1950年代末ごろから、いわゆるスラム街を「ビージャ」と呼んでいる(公的な名前ではなく)。


Villa Crespo (ビージャ・クレースポ)

 ブエノスアイレス市の区のひとつ。19世紀には、Maldonado (マルドナード) 川の流れる泥地で、ほとんど人の住まない湿地のようなところだった。1880年代後半に、まず冶金工場、ほどなく大きな国立靴工場(革をなめす工程からはじまる)ができて、人が住むようになったので、「ビージャ・クレースポ」と命名され、ブエノスアイレス市の独立した1地区になった(クレースポは当時の市長の姓)。靴工場の労働者のために、住宅がつくられ、泥地が街になった。有名な国立コンベンティージョ(通称 Conventillo de la Paloma)は、112室もある大きな共同住宅だった。住民は、まずイタリア移民、その後、スペイン(おもにバスク地方からの)移民、アラブ、ユダヤ、ギリシア移民……。
 はじめは労働者だけの町だったが、やがて商店・飲食店もでき、1940年代には、たいへん繁栄した(マルドナード川は地下水路にされ、その上を大通りにしたが、しばしば氾濫を起こした)。そのころ、この地区の劇場やナイトクラブ・ダンスホールなどエンターテインメント施設は、質量ともに、市の中心部と同じ水準だったという。
 サッカー・チームをもつスポーツ・クラブ “Atlanta” (アトランタ) の本拠・スタジアムがある。

この区の住人だった有名タンゴ人は、なんといっても、ピアノ奏者で楽団指揮者の オスバルド・プグリエーセ Osvaldo Pugliese (1905 - 95)
父親がイタリア移民で、靴工場につとめていたので(あんまり働かなかったようだが)、生え抜きだ!
タンゴ史上いちばん有名な女性バンドネオン奏者 パキータ・ベルナルド Paquita Bernardo (1900 - 25) もこの地区の出身。
彼女の両親はスペイン移民。


vinacho (ビナーチョ)

 すごい(何が「すごい」のかわからないが)ワイン、でっかい(何が?)ワイン、ひどいワイン……ワイン――ふつうのスペイン語は vino (ビーノ)――に、なにか大げさな気持ちをこめたことば。とてもおいしい高級なワインにも、まずい安ワインにも使われる。


vinito (ビニート)

 ちょっとしたワイン、かわいいワイン……そんな日本語はないけれど、とにかく、ワイン――ふつうのスペイン語は vino (ビーノ)――に、かるい気持ちをこめたことば。


---¿Tomamos un vinito?

ちょっとワインでも飲みませんか?


viola (ビオーラ)

 ギター(クラシック音楽のヴァイオリンの仲間の楽器ヴィオラも、当然こう呼びますが)。今日でも、ポルトガルでは、ギターのことをこの名前で呼んでいる。ブラジルでは violão (ヴィオラォン) と呼ぶ。だから、これは隠語というより、古語の名残りなのだろう。


violero (ビオレーロ)

 ギター弾き。同義語:guitarrero


viorsi (ビオールシ)

 お手洗い(トイレ)。“servicio” の逆さことば(vesrre


 

Virgen (ビルヘン)

 必ず定冠詞――そのあとにくるものが不特定のものではなく、はっきり他と区別される存在であることを示すことば―― la を付けて、la Virgen (ラ ビルヘン) となる。カトリック信仰で、イエス様を生んだマリア様のこと。
 ふつうのスペイン語では「おとめ(処女)」を意味する(文字は、小文字の “v” を使って)。
 日本では機械的に「聖母マリア」と訳してしまうけれど(わたしも、いままでそうしてきました)、スペイン語の(カトリックの)人々は、意識的に避けているのではないかと思えるほど「母」ということばを、呼び名に使わない。“la Virgen María” (ラ ビルヘン マリーア=おとめマリーア) もしくは、“Santa María” (サンタ マリーア=聖マリーア) である。
 参照 ⇒ Luján

この項はタンゴやルンファルドに無関係のようですが、その底にある文化・人間感情・考えかたにとって
非常に重要なので、ここに書きました。


vitrola (ビトローラ)

 victrola の発音を簡単にしたことば。


viyuya (ビジュージャ)

biyuya


vocalista (ボカリースタ)

 一般的に、楽団のメンバーである歌手(男性も女性も)。
 参照 ⇒ cantor; chansonier; estribillista.


voces (ボーセス)

 voz の複数形。


Vogue's Club (ヴォーグス・クルーブ)

 1920年代にブエノスアイレスにあった高級キャバレー、ナイトクラブ。ほんの少ししかつづかなかった。
 参照 ⇒ Palais de Glace


vos (ボス あるいは ボ)

 話している相手を指すことば。日本語の「あなた、あんた、おまえ、きみ、てめえ」などに相当する。年長者、自分より位の高い人、敬意を表すべき人、初対面の人、第三者的な人などには、 usted (ウステー) という、すこし距離を置いたことばのほうを使う。
 “vos” は「親しい相手に使う」と説明されていることがあるが、これは間違い。自分と相手の距離感の近い人に、あるいは近い距離で話したいときに使う(親しさも、距離が近いことに入るが)。日本語の敬語などとは、まったく異なることばの感覚に注意!
 なお、このことばの語尾の s は発音しない人、場合がたいへん多い。
*この辞典の「タンゴのスペイン語文法」を、ぜひお読みください。

このことばは今では古語になった標準スペイン語の、第2人称複数の代名詞です。
単数の人(あなた)に、複数形(あなたたち)で話しかけるのは、1種の敬語・ていねいな表現で、現代フランス語の標準の「あなた vous」とまったく同様の感覚です。
したがって、vos は、相手とまったく距離感のない標準スペイン語の より、やや広い範囲の相手に使われています。


voz (ボース)

 スペイン語で「声」のこと。バンドネオン奏者の特殊用語では、部品の「リード(舌)」をこう呼ぶ。
⇒ lengüeta


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