タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero


J

jetra (ヘタラ)

 男性の服、スーツ。“traje”逆さことば。


J. L. Borges

 ⇒ Borges


Joaquina (ホアキーナ)

 19世紀末〜20世紀初めの、タンゴの女性ダンサー、ホアキーナ・マラーン Joaquina Marán 。背が高く、褐色の肌。標準的な美人ではなかったけれど、魅力あふれる顔立ちで、会話もたのしかったと伝えられている。たいへんお金持ちのタンゴダンス愛好者で、エレガントなスタイルの名手のひとりに数えられる マコ・ミラーニ Maco Milani の、ダンス・パートナーだった(いわゆる情婦でもあったろう)。当時の女性ダンサーは、サロンの経営者にやとわれて、そこに来る男性たちのパートナーをつとめるプロだった。ホアキーナは後には、自身もサロンを開いたという噂だが、確証はない。
 歌い手で、クラシック・ギター演奏家でもあった フワン・ベルガミーノ Juan Bergamino (1875 - 1959) が、タンゴ『ホアキーナ Joaquina 』を彼女に献呈している(1910年ごろ)。献呈の謝礼金は、マコ・ミラーニ が払ったにちがいない。


joba (ホーバ)

 楽器の「コントラバス」。 bajo (バーホ) の逆さコトバ(vesrre


joder (ホデール)

 人にめいわくをかける、まとわりついて人をいやがらせる、余計なことをする……。これは非常によくない語源をもったことばで、だからタンゴの歌詞には絶対に出てこないけれど、会話であまりにもよく使われているので、いちおう掲載しておく。もう、そんなに品の悪いことばだとは感じられていない。


jodido (ホディード)

 とても悪い状態にある(男、もの)。女性なら jodida (ホディーダ)。重病で死にそうだ、とか、仕事がなくて困窮している、とか、あるいは理由はなんでも単に「困っている」という、それほどでもない意味でも使う。歌詞には絶対に使ってはいけないことばだが、日常生活ではたいへんよく耳にする。


Jorge Luis Borges

 ⇒ Borges


José Hernández (ホセ・エルナンデス)

 正式名は José Rafael Hernández y Pueyrredón (1834 - 86)。アルゼンチンの人間性・文化・歴史を語るとき、もっとも重要な人物のひとり。
 ブエノスアイレス州サンマルティン郡(現在は首都圏)に生まれた。父は牛飼いの専門家で、南部の草原に牧場をもっていた。先祖には、スペイン・アイルランド・フランスの血が入っている。小学教育(すべてをひとりの先生が教える。日本の寺子屋のようなもの)を受けるためブエノスアイレス市内の親類の家に住み、成績優秀なので、特別にフランス語などを無料で学ぶことができた。胸をわずらい、当時の医学常識にしたがって空気を変えることが必要ということで、11才のころからパンパ草原地方でくらすようになった。もう学校へは行かなかった。草原の各地で ガウチョ の生活を深く知り、彼らのことば・考えかた・感じかた・文化に同化した。やがて、政治運動家(当時の国の指導者に反対の立場だった)、軍人、ジャーナリストとして、アルゼンチンのエントレリーオス州パラナー Paraná 市、ウルグアイの首都モンテビデオ Montevideo、ブラジル南部などにも住んだことがある(反乱軍に入ったため、国外追放されたので)。
 ブエノスアイレスに帰ってきて、1872年に『エル・ガウチョ・マルティーン・フィエーロ』、79年に『マルティーン・フィエーロの帰還』と、2巻の物語り詩を発表。アルゼンチン=ウルグアイの(おそらく全ラテンアメリカでも)文学史上、空前絶後の多数の愛読者を獲得した。
 詩はすべて、パジャドール (ガウチョの吟遊詩人) の、ギターとともにうたい語るのにふさわしい、民衆的なスタイルで書かれ、ことばづかいや表現・叙述のやりかたも、ガウチョの生きかたの真髄に根ざしている。
 当時は印税のようなものはないに等しかったので、エルナンデスは、ときどき牧場の売買のあっせんをしたり、公務員(国会議事録のタイピストなど)としての給料で、生計を立てていたらしい。ブエノスアイレス州(現在は首都の1地区)ベルグラーノの自宅で亡くなった(52才)。彼の誕生日11月10日は「伝統の日 Día de la Tradición」として、アルゼンチン共和国の法定の祝日になっている。
 参照 ⇒ Martín Fierro


jotraba (ホトラーバ)

 仕事、めんどうなこと、いやだけれどしなければいけないこと。標準スペイン語 “trabajo” の逆さコトバ(vesrre)。同義語 ⇒ laburo


jovato (ホバート)

 年をとった(男)、じいさん。女性なら jovata (ホバータ)。ふつうのスペイン語 viejo (ビエーホ=年寄り) を、ふざけて変形させてつくったもので、よくできたことばだとは思うが、軽蔑のニュアンスが強いので使わないほうがいい。友だちをからかって使うことも多いけれど、親しい仲でも相当に気を悪くされる。タンゴの歌詞には使えないはず。


junar (フナール)

 注意深く目を配る、しっかりと見とどける、よく見る、物事がどうなっているか理解・把握する。カロー(スペインのロマの言語)からの借用語。ただし、カローでは「聞く、聴く」の意味で、そこから「理解する」という意味が出てきた。


Como con bronca y junando
de rabo de ojo a un costado,
sus pasos ha encaminado
derecho pa'l arrabal.
Lo lleva el presentimiento
de que, en aquel potrerito,
no existe ya el bulincito
que fue su único ideal.

まるで なにかに腹を立てているように、そして
横目で鋭くまわりに目を配りながら
彼は自分の足取りを向けてきた
まっすぐに、場末へと。
彼に足を運ばせているのは、あの予感
――あの小さな原っぱのところには
もう彼の住んでいた ちっぽけな部屋は存在しないだろうという予感、
そこは かつて彼の唯一の理想だった。

――タンゴ «El Ciruja»(エル・シルーハ)1926年 作詞:Francisco Alfredo Marino
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック
*この曲について、わたしが他のサイトに書いた記事があります。お読みいただければさいわいです。「スペイン語、ポルトガル語というけれど――隠語、俗語」


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