タンゴのスペイン語辞典 Diccionario Tanguero


Q

quasi nada (クワーシ ナーダ)

 ふつうのスペイン語では “casi nada” (カシ ナーダ) と言い、「ほとんど無」という意味。ただし、実際には大変な仕事や、大きくて立派なものごとを、バカにしたり、からかうとき、またはユーモアをこめてほめるときに使うことば。あるいは、自分から「全然たいしたことないですよ」と、笑って謙遜(けんそん)してみせるときにも使う。 quasi... は、よりラテン語に近い古いことばで(イタリア語では現代でも標準語)、しかも日本でいう「歴史的かなづかい」で書くと、ユーモア、ふざけた気分が強くなる。
 バンドネオン奏者 パチョ Juan Maglio “Pacho” (1880 - 1934) 作の、このことばを題名にしたタンゴ(1910年代初め)は、同名の厩舎 (きゅうしゃ) に捧げられたものだそうだ。元の題名は “El combate” (エル・コンバーテ=闘い) だったとのこと。厩舎のオーナーへの友情あるいはお礼のしるしとして改名したのだろう。


---Pero, ¡qué grande! ¿Vos lo hiciste todo esto?
---Quasi nada . . .

「すごいじゃないか! これ全部きみがやったんだろ?」
なんの、なんの……」


quebrada (ケブラーダ)

 古い時代のタンゴ独特の、急に停まってくずれるステップ(フィギュア)。ふつう corte y quebrada で1語のようにして用いられる。「割れる」ということばが変化したもので、標準スペイン語では「渓谷」を意味する。


quechua (ケチュア)

 先住民の言語の名前。その言語での正しい呼び名は runa simi (ルナ・シミ=ひとびとのことば)
 ケチュア語 は、いわゆるインカ帝国の公用語だった。16世紀に南アメリカにやってきたカトリックの宣教師たちは、ほかの言語をもっていた先住民たちへの布教活動にも、ケチュア語を共通語として使い、教えた。そのため、ケチュア語の使われる範囲はインカ帝国時代よりもさらに広がった。
 ケチュア語は文字をもたず、16世紀からローマ文字のアルファベットを使って表記されてきた。今日まだ、ケチュア語の正字法には、標準化できない部分が残っている。
 現在、ペルー、ボリビア、エクアドールの3国は、ケチュア語を公用語にしている。アルゼンチン北西端の フフーイ Jujuy 州などには、ほんの少しだがケチュア語を使う人々がいる。全体に、ほとんどすべてのケチュア語使用者は、多少なりとも(片言から流暢まで差は大きい)スペイン語とのバイリンガルだ。
 ケチュア語とタンゴとの関係はまったくない。ただし、いくつかのケチュア語の単語は、標準スペイン語に借用され――たとえば「チョクロ」(正しくは choqllu )=生のトウモロコシの実のある部分――、また地方語やガウチョのことばを通じて、広い意味でのルンファルドの語源となっていることも少なくない。


queco (ケコ)

 娼婦のいる家、売春宿。19世紀後半のルンファルドで、このことばが使われた期間はかなり短いようだが、いちばん古い時代のタンゴの題名になったので、後世にも知られた。
 その曲(4小節×2の長さしかないが)『エル・ケコ』は、1885年ごろ作曲され、土地っ子の感情にピッタリの魅力あふれるメロディで、たいへん流行し、ピアノ用に編曲された楽譜で、両家の子女も弾いて楽しみ、プロのクラシック音楽家のリサイタルでも演奏されたと言う。
 作曲者は不明ということになっているが、ブラジルから流れてきたクラリネット奏者 リノ・ガレアーノ Lino Galeano がつくったという伝聞は、じゅうぶんに信頼できると思う。

China, que me voy pa’l queco,
china, dejame pasar.
China, que me voy del hueco,
china, y no vuelvo más.

チーナ、おれは女たちがいるところへ行くよ、
チーナ、そこを通してくれ。
チーナ、おれはこんな穴倉から出て行くぞ、
チーナ、そしてもう帰ってこないよ。

最初の歌詞と思われる。作者不明。人気メロディなので、後に、いろいろな歌詞が付いた。
«Milonga del tiempo heroico»(英雄たちの時代のミロンガ)ピリンチョ5重奏団 Quinteto Pirincho 演奏。ここをクリック
このグループの指揮者 フランシスコ・カナーロ Francisco Canaro 編曲で、この部分は『エル・ケコ』のメロディがそのまま借用されています。


quemero (ケメーロ)

 女性なら “quemera” (ケメーラ) 。ブエノスアイレスの外れ――後の パルケ・パトリーシオス 地区――にあった、ゴミ焼却場から、金目のものを拾い出して売る職業の人。
 そのゴミ焼却場の俗称 la Quema (ラ ケーマ) から派生したことば。


Era una paica papusa
que yugaba de quemera,
hija de una curandera,
mechera de profesión.

彼女はすごい美人の女の子だった、
ゴミ焼き場から金目のものをあさる きつい仕事をしていた。
彼女のおふくろは まじないで病気を治す女、
じつは本職は万引きだった。

――タンゴ «El ciruja»(エル・シルーハ=ゴミ捨て場あさりの男)1926年 作詞:Francisco Alberto Marino
*カルロス・ガルデール Carlos Gardel 歌。ここをクリック


quía (キーア)

 名前を言わないで、「あいつ」というときに使う。多くの場合、その人に聞こえないように小声で、また聞こえてもなんだかわからないように使うことば。男性にも女性にも使う。“aquí” (アキー=ここ) の逆さことば(vesrre)だそうだ。


---No mirés p'atrás. Está el quía.

「振り向いちゃだめだよ。あいつ(男)がいるぞ」


---Es la quía del que te hablé.

「わたしがあんたに話した あのことの 例の女なんだ」


quichua (キチュア)

 アルゼンチン北西部、サンティアーゴ・デル・エステーロ Santiago del Estero 州の南部一帯、および隣接するコルドバ Córdoba 州北部の一部で使われている言語。
 この地域は、ペルーからやってきた少数のスペイン人と多数の先住民が開発したところなので、以前からいた先住民のことばを少し混合したケチュア語に、スペイン語単語も少しまじえた独自の言語(ケチュア語方言?)が生成された。文法はケチュア語よりやや簡略で、単語は同じものが多いが、今日ケチュア語とキチュア語で円滑な会話ができるとは思えない。より有名なケチュア語との混同を避けるために、quichua santiagueño (キチュア・サンティアゲーニョ) という呼びかたもある。
 タンゴのことばとは関係が薄いが、アルゼンチンの重要な言語(と、わたしは思う)である。


quilombero (キロンベーロ)

 大騒ぎして人にめいわくをかける男、パーティなどを混乱させる男。女性なら quilombera (キロンベーラ) と呼ぶ。
 もとの意味は「売春の場所へよく行く男」。


quilombo (キローンボ)

 タンゴの歌詞には絶対出てこないことばだが、「売春のおこなわれる場所(家や地域)」。意味を広げて「歓楽街」を皮肉に呼ぶこともある。
 転じて「(パーティなどの)ばか騒ぎ」、さらに意味を広げて「(足の踏み場もないような)雑然とした部屋」「(広く一般的に)混乱、こんがらかって面倒なものごと」など。こちらの意味では、広く使われるが、やはり歌詞には使えないことばだ。
 語源はアフリカのブンダ語(バントゥ文化)で、「結びつき」とか「集まり」を指し、人々の住む「小屋」の意味もあった。ブラジルに移入され、最初は「奴隷の宗教舞踊のおこなわれる場所」を指していたとのこと。後に、同国北東部の奥地にできた「逃亡奴隷の集落」を指すことばとなり、広く知られてきた。ブラジルでは、売春に関連したことばとして使われたことはない。


---Tengo que llenar todos estos papeles.
¡Qué quilombo!

「この書類に全部記入しなくちゃいけないんだ。
めんどくさいことになったなぁ!」


Quinta del Ñato (キンタ・デル・ニャート)

 ⇒ ñato


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